二つの磐座(いわくら)
「石の宝殿」について、駆け足で紹介しました。
今、気になっていることがあります。高御位山(たかみくら)のことです。
きょうは、石の宝殿から少し離れますが、「高御位山(たかみくら)」について、想像を交えて、すこし紹介しておきましょう。
古代、近在の人が最も早く神としてお祭りした場所は、高御位山であろうと想像されます。
古代の神々は、最初から神社に祭られていたのではありません。
神霊は、大岩や大きな樹木に宿るものと信じていました。
神霊が樹木に宿った場所をまつるという形式は、現在「ひもろぎ」であり、岩石にとどまるとして祭ったのが、磐座(いわくら)です。
高御位山の山頂は、どこからでも拝める磐座(神)が望めます。
古代の人々は、朝に夕に、高御位山を神として感謝して拝んだことでしょう。
高御位神社と生石神社
平安時代に書かれた『播磨国神名帳』に高御位山を見ておきましょう。
そこには、播磨の国には大社が24社あり、そのうち印南郡には2社の大社が記載されています。
その2社は、高御位大神と生石大神です。
くりかえします。古代の近在の人々は二つの神の宿る磐座を持っていました。
一つは、自然の磐を拝む高御山の磐座であり、もう一つは、人工の磐座「石の宝殿」でした。
やがて、神社という建造物が作られ磐っ蔵信仰は、さらにきらきらと広がったようです。
高御位山には、生石神社と関係を想像される伝承があります。(no3401)
*写真:高御位神社と磐座
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