ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

石の宝殿と生石神社の話(23) 二つの磐座(いわくら)

2016-11-22 09:23:28 | 石の宝殿と生石神社の...

        二つの磐座(いわくら)

 「石の宝殿」について、駆け足で紹介しました。

 今、気になっていることがあります。高御位山(たかみくら)のことです。

 きょうは、石の宝殿から少し離れますが、「高御位山(たかみくら)」について、想像を交えて、すこし紹介しておきましょう。

 古代、近在の人が最も早く神としてお祭りした場所は、高御位山であろうと想像されます。

 古代の神々は、最初から神社に祭られていたのではありません。

 神霊は、大岩や大きな樹木に宿るものと信じていました。

 神霊が樹木に宿った場所をまつるという形式は、現在「ひもろぎ」であり、岩石にとどまるとして祭ったのが、磐座(いわくら)です。

 高御位山の山頂は、どこからでも拝める磐座(神)が望めます。

 古代の人々は、朝に夕に、高御位山を神として感謝して拝んだことでしょう。

    高御位神社と生石神社

 平安時代に書かれた『播磨国神名帳』に高御位山を見ておきましょう。

 そこには、播磨の国には大社が24社あり、そのうち印南郡には2社の大社が記載されています。

 その2社は、高御位大神と生石大神です。

 くりかえします。古代の近在の人々は二つの神の宿る磐座を持っていました。

 一つは、自然の磐を拝む高御山の磐座であり、もう一つは、人工の磐座「石の宝殿」でした。

 やがて、神社という建造物が作られ磐っ蔵信仰は、さらにきらきらと広がったようです。

 高御位山には、生石神社と関係を想像される伝承があります。(no3401

 *写真:高御位神社と磐座 

    〈お知らせ〉 

   http://hirokazu.webcrow.jp/kurakumatsuemon_blog.pdf

   上記のURLをクリックすると「工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛」が通しでお読みいただけます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする