ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

石の宝殿と生石神社の話(26) 石工・仲右衛門(1)

2016-11-25 08:21:50 | 石の宝殿と生石神社の...

 石の宝殿と生石神社について少し説明しました。次の話題(山片蟠桃物語)の前に石の宝殿の周辺を歩いてみます。

      石工・仲右衛門

 『はりま(埴岡真弓著)』で、石工・仲右衛門を紹介しています。

 その一部をお借りします。

 「・・・現在、観涛処へは加茂神社(伊保町)から登りますが、かつてはもっぱら生石神社の写真の場所から観涛処へ登りました。(*危険ですから、必ず加茂神社横の道から登るようにしてください。「観涛処(かんとうしょ)」については、石工・仲右衛門の後に紹介の予定です)

 その大型の石碑に、観涛処を製作したと思われる石工の名前が「生石村石工雲根室仲右衛門」と刻まれています。

 彼は、江戸時代末に活躍した石工の一人で、巨大な石材の細工を得意としたといいます。

 これ以外にも、天川橋(姫路市御着)が彼の作品として知られています。

 天川橋の架橋は文政11(1828)です。

 仲右衛門は山から石を切り出す「山取」の技術に秀でていたといいます。

 天川橋の写真を撮りに出かけました。

 「天川橋」というのですから、天川の中心地に架かる橋のようです。

 御着城の西に天川が流れており、そのあたりで、西国街道と交差しています。

 たぶん、そこが天川橋だろうと見当をつけ車を止めると、バッチリでした。

 でも、仲右衛門の影がありません。

 新しいコンクリートの特徴のない橋に変わっていました。

 ここでも歴史が一つ消えています。

    多くの名工たち

 仲右衛門の他に名の知れた石工として、嶋村(高砂市米田町)の西邨(にしむら)一族がいます。

 生石神社拝殿前にある、宝暦8(1758)年の石灯籠もその作品の一つです。

 嶋村の石工の作品は、姫路にも散見されます。

 播磨国総社、射楯兵主神社にある宝暦12年の石灯籠も「石工嶋村平次郎」の作です。

 その他、近辺の神社等で、生石村の清兵衛、藤兵衛、塩市村の久七、米田村の捨吉の名を見ることができます。

 これら名前が伝わっている石工以外にも、生石神社周辺には無数の名工が存在したに違いありません。(no3404

 *『はりま(埴岡真弓著)』(神戸新聞総合出版センター)参照

 *写真:「観涛処」入り口の石碑

 〈お知らせ〉

 http://hirokazu.webcrow.jp/kurakumatsuemon_blog.pdf

 上記のURLをクリックすると「工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛」が通しでお読みいただけます。

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