石の宝殿(大石)ですが、途中で放棄されています。
このことに関して前回の青木説で「石の宝殿は、蘇我氏との争いに敗れた物部氏のモニュメント」とする説を紹介しました。
「石の宝殿」は蘇我氏が作ろうとしたものか
今回は、『石の宝殿・古代史の謎を解く(真壁忠彦・葭子共著)』から、反対に石の宝殿は蘇我氏がつくろうとしたモニュメントであるとする説を紹介します。
・・・・石の宝殿は、ほとんど完成品にちかい段階で放棄されています。
よほどのことがあったと考えられます。
石の宝殿が「飛鳥時代のもの」で、これだけの石造物の製造を命令することのできるのは、中央の最高権力者です。
その権力者とは「蘇我氏」以外に考えられません。
それでは、なぜ蘇我氏がこのモニュメントづくりを中止したのでしょうか。
よほどの理由があったはずです。
蘇我氏は大化の改新で滅び、事業は中止されたのか
その理由を探すなら、「大化の改新で蘇我氏が急に滅亡した」と考える以外に理由はみつかりません。
当時、蘇我氏は、大王家(天皇家)をしのぐ権力を持っていました。
蘇我氏が「石の宝殿」のようなものをつくろうと命令することは、なんの造作のもないことです。
「大化の改新により蘇我氏がほろぼされ、急に勢力がなくなり、石の宝殿の製作を中止してしまった」とする推理です。
いかがでしょうか。
それにしても、蘇我氏が何のためにこの石の宝殿をつくろうとしたのでしょうね。
何らかの、伝承があってもよさそうなものですが、何も語られていません。(no3392)
*写真:蘇我氏のつもり