春の一日、生石神社のすぐ西にある竜山1号墳の撮影に出かけました。
桜が覆いかぶさるような「竜山1号墳」でした。
竜山1号墳
被葬者は、「石の宝殿」の製作の事情を知っていた?
山腹斜面にずり落ちるばかりに置かれていた石棺身部分のすぐ上部に小形の石室が確認されました。
石棺の大きさは、蓋の大きさで、幅0.6メートル、長さ1.18メートル、蓋と身の高さをあわせると0.62メートルです。
この古墳は、生石神社の境内にあり、石宝殿と無縁とは思えない位置にあります。
この古墳の時期について、棺形から7世紀中頃までとされていますが、長さが1メートル少々の小形棺で、場合によっては火葬骨が納められていても不思議のない大きさです。
この種の棺で、子供を納めた事例は知られていません。大人を納めた石棺です。
場合によると8世紀に入っている可能性もある古墳とも言われています。
とすると、すでに奈良時代です。
ともかく、この棺に納められ、人物は、とのような生涯を送ったのでしょう。
小さくとも竜山の伝統的な石棺に納められたこの人物は、この地方では中心的な人物の一族であろうと想像されます。
この人物は、石宝殿製作時を記憶している人かもしれません。
この人物の親か祖父があの「石宝殿(大石)」製作工人の中心的人物であり、製作の事情を知っていた可能性は強と想像するのです。(no3384)
*『高砂史(第一巻通史編)』参照
*写真:竜山一号墳の石棺と蓋