高砂市伊保町中島・今市の位置、誕生の歴史は「高砂を歩く(137)」をご覧ください。
小田原藩壊滅
宝永4年(1707)11月23日(現暦:12月16日)、「宝永の噴火」と知られる富士山が、空前の大爆発をおこしその惨状の一部は前回紹介したとおりです。
少し繰り返します。元禄16年(1703)にも、房総近海を震源とするマグニチュード8.0~8.2といわれる巨大地震が、南関東地方に大災害をもたらしました。
ことに小田原の被害は甚大で、町は火災でほとんど全滅。それに小田原城は、天守閣をはじめ多くの建物が全壊しました。
その上に、宝永の大噴火がその4年後におこったのです。
富士山は、膨大な火山灰を噴出させ、風下の小田原領を直撃しました。
小田原領は、火山灰にのみこまれました。
たちまちに食料が不足し、飢餓が襲いました。火山灰は川をせき止め、いたるところで洪水を引きおこしました。
ほとんどが「亡所」と言うまでも、廃墟同然となり、当然、年貢は集まりません。
復興の方法が見つかりません。
中島・今市村は小田原藩領に
当時、小田原藩の藩主・大久保忠増は幕府の老中でした。非常手段をとりました。
なんと、小田原藩の領土の過半を一時、幕府に返上にしてしまったのです。
幕藩体制の成立以来こんな例はほかにありません。
そして、小田原藩は、それに代わる土地を宝永5年に、復興がなるまでという期限つきであったのでが、新たな領地を得たのです。
高砂・加古川市域では、次の村々が小田原藩の領地となりました。
新田次郎の小説『怒る富士』(文春文庫上・下)には、17日間も続いた宝永の大噴火を背景として、農民や幕府の混乱が見事に描かれています。
時間のある時にでもお読みください。
◇小田原大久保領になった村々
中島・今市・曽根(以上高砂市)、行常・大沢・細工所(野尻新田を含む)・岡・吉広・柏尾・高畑・大宗(以上加古川市)(no2911)
*挿絵:『怒る富士』のカバー