ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(328) 中島・今市を歩く(4) 北洗川跡をたどる

2015-08-21 09:57:37 |  ・高砂市伊保町

   北洗川跡をたどる

 前回、地図で確かめたように、中島・今市は北と南を洗川にかこまれた水に浮かぶ島でした。その島の北が中島村であり、南が今市村でした。

 これらの村は、水に恵まれてる半面、しばしば洪水の被害を受けた地域でした。

 きのう(20日)、中島の大歳神社へ出かけました。

 大歳神社は、竜山の麓の明姫グリーンロードと法華山谷川の交わるところにかかる竜山大橋の東詰のすぐ南にある神社です。

 ここは、北洗川と法華山谷川に出会う場所で、特に洪水に悩ませられたところです。

 北洗川の川筋跡を自転車で散策しました。いまは、ほとんど埋め立てられていますが、北洗川は水路が、少し昔の面影を留めています。

 水路は、途中で暗虚になっていますが、その先は道を越えて再びその姿を現し、宝殿中学校のあたりで現在の加古川の本流に繋がっていることが分かります。

   北洗川と南洗川の分岐点

 もう一度、今市・中島の場所を確かめください、

 弁財大明神と竹島大明神を祀る社(美保里・みほのさと)の近くで、北洗川と南洗川で分かれています。

 この辺りも、大歳神社も大洪水のたびに大きな被害があったところです。

 そこで、大久保出羽守の元禄期、代官は堤防に樹木を植え、その根張りで決壊を防ぐ指導をしたといいます。

 これらの神社には、その頃植えたと思われる銀杏(いちょう)・榎の巨木が見られます。

 加古川の洪水直撃を受ける南北の洗川に分かれるところ(美保里)に、弁財天があり、北洗川が法華山谷川と出会うところ(中島)に大歳神社があります。

 神に祈った人々の気持ちが伝わってくるようです。

 弁財天をまつる社から南へ、昔の南洗川筋もサイクリングしました。(no2913)

 *写真上:大歳神社(中島)と巨木、下:わずかに北洗川の川筋跡をとどめる水路

コメント
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