北洗川筋を散策しました。
さっそく、弁財天を祀る社(美保里)から、南へ南洗川川筋を散策したいのですが、その前に、加古川の水が北洗川と南洗川の分岐点にある弁財天を祀る神社(写真上は弁天神社と同じ敷地に建つ竹島神社)に立ち寄ります。
*次の「市丸廟」の説明は『高砂市史(第二巻・近世編)』から、文体を少し変えてお借りします。
市丸廟
小田原藩、大久保家の播磨領支配についてはよくわかっていません。
高砂市域でもこの時期の史料は少なく、とりわけ中島・今市村の史料はほとんどありません。
『高砂市史・伊保篇』に、少し触れられているだけです。
享保一九年(1234)に、家中大谷利左衡門が役用で今市村に詰めた時に住吉神杜を設立し、元文三年(1738)に大坂に移住する際に村に神社の支配権を譲っています。
また、中島村に北条陣屋詰代官・市丸又四郎の顕彰碑(写真下)があることも注目されます。
中島村が丹波川(加古川)の水害を度々受けるのを目撃した市丸は、享保元年(1716)に洪水よけのため竹林を植え、鎮護のため弁財天と稲荷を勧請しています。
その後、水書を免れたため、市丸の死後の享保六年(1721)に中島村の村人がそれに感謝して碑を建てています。
現在も高砂市美保里には市丸廟の額が掲げられたい市堂が弁天堂と同じ敷地に堂には市丸の事績を記した碑文と「恵光院浄慶」と記された墓碑が納められています。
境内の巨木群
市丸廟のある境内に竹島神社があります。その前のイチョウの大木はみごとで、市の記念樹に指定されています。
その他にも、たくさんのみごとな巨木がある神社の境内です。(no2914)
*『高砂市史(第二巻・近世編)』参照
*写真上:弁財天を祭る神社の敷地にある巨木と竹島神社、写真下:市丸廟と碑