ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

上部ダムの役割を果たす!…黒川ダム

2022-12-14 06:59:21 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県朝来市生野町黒川(あさごし いくのちょう くろかわ)にある市川水系の黒川ダムを訪れます。アクセスは昨日記事にした生野ダムの右岸を走る国道429号を行くか、もしくは数日前に記事にした多々良木ダムの左岸の道を進んで行くと到着します。

今回は国道429号から行ったんですが、もうちょいというところで…見えてきました。あれですね。


ダム横に来ました。そこから見た黒川ダムの様子。


ここは国道429号からダムへの入口のところが洪水吐の管理橋になっていて、管理所と思しき建物はその内側にあります。で、写真は洪水吐から溢れ出た水が通る水路。あちらへ流れてゆきます。写真右上にちょいと見えるのが国道429号。


それをダム湖側から見ると、こんな感じ。写真右端が国道429号。


上の写真を撮った近くに、なぜか水利使用標識があります。なんかポツンと寂しそう。


では、国道沿いにある「黒川ダム」石碑を横目に見ながら洪水吐の管理橋を渡りダムへ向かいます。


これが管理所と思しき建物。


その近くには「奥多々良木発電所のしくみ」が書かれた案内板があります。これと同じものが多々良木ダムにもあり、その記事で書いたように黒川ダムは同発電所の上部ダムの役割を果たしています(下部ダムは多々良木ダム)。詳細については多々良木ダムの記事をお読みください。


隣には「奥多々良木発電所鳥瞰図」。これらの案内板をイーゼル(絵を描く時に使う台=画架)のようなもので展示しているのはセンスがあるなあと思いますね。


これがダム上。歩いてみましょう。


欄干の代わりに張られている鉄の鎖。その太さは岐阜県の徳山ダムや福島県の松ヶ房ダム、そして群馬県の奈良俣ダムのものに匹敵します。


ダム上、中央から見たダム湖の様子。


一方、下流側の景色はこんな感じ。もはや空撮みたいでしょ?


多々良木ダムにも同じ看板がありましたね。物を投げないで下さいね、踊り子さんに当たります!(謎)


対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。


左岸、ダム湖側から見た様子。


同、下流側から見るとこんな感じです。いや〜壮観、壮観!


左岸側で見つけた注意喚起と思われる看板。でも、「蜂が多く飛んでいる」とだけ書かれても「あー、そうですか」とリアクションするしかありませんね。


ちなみにダム上は歩ける時間が決まっているので注意が必要。これも多々良木ダムにありましたね。


揚水発電のための上部ダムだから、そんなに大きくないんじゃないかと勝手に予想していましたが、いやいや、どうして。立派すぎるロックフィルダムです。それにしても朝来市はどんだけダムを抱えてんねん!驚きです。
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もっと説明が!…生野ダム

2022-12-13 07:05:41 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県朝来市生野町竹原野(あさごし いくのちょう たけはらの)にある市川水系の生野ダムを訪れます。アクセスは国道312号沿いの「銀山湖 6.5km」の看板のあるT字路を入り、突き当たりを左折します。そのまま国道429号を市川沿いに進んで行くと目的地の右岸に到着します。

まずはダム下から見た様子をご覧ください。


国道429号を進んで行くと、最初に目にするのが「兵庫県姫路土木事務所生野ダム管理所」です。管理所の脇の道を進むとダム上になります。



クルマを管理所の横に停め、ダム上に向かって歩いて行くと右側に「生野ダム」と記された碑が。

裏側にはダム貯水池の諸元が書かれています。直線重力式コンクリートダムで、高さは56.5m。1973年3月31日竣工。

この碑は、薄い石板を全面に貼り付けたものなんですが、これって経年劣化で石板が剥がれやすいんですよね。確か秋田県か宮城県のダムにも同様のものがあって、見事に崩れていましたけど。どこだったかなぁ。


碑の背後には「生野ダム案内板」。いや、これ、周辺地図やん。


で、いよいよダム上に…と思いきや、訪れた日はダム上の工事中で、残念ながら行けず。


ふと、傍を見るとロボットの顔のような物体が。どうやらこれはタイムカプセルらしい。


右岸、ダム横から見たダム湖の景色。ダム湖名は「銀山湖」。その由来は807年(大同2年)に開坑したと言われる生野銀山によるものだそうです(参考)。ちなみに同名のダム湖は新潟と福島の県境にある奥只見ダムのダム湖もそうでしたね。一般には「奥只見湖」と書かれ、ダム湖百選にもそれで登録されていますが、正式には「銀山湖」だとか。


県営ダムの割にダムの説明が不十分な気がします。諸元は書かれているものの、築造の経緯の説明がないし。
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四季折々で楽しめる…与布土ダム

2022-12-12 07:00:18 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県朝来市山東町与布土(あさごし さんとうちょうよふど)にある円山川(まるやまがわ)水系の与布土ダムを訪れます。アクセスは播但線の竹田駅近くを走る国道312号「竹田城下町」交差点を山東方面(県道277号)へ進み、「よふど温泉→」の看板のある交差点を右折。そのまま道なりに県道276号を行くと目的地の左岸に到着します。

【与布土について】(参考)(参考)(参考
ダム名になっている「与布土」ですが、古くは925年(延長3年)に編纂された『但馬世継記』に與等連(ようどのむらじ)の居住地を「與布土ノ里」と記述されているそうな。與等は豪族の姓で、連は高位の豪族が保持した称号のこと。與等連は孝元天皇の時代に邪馬台国の南にあったと言われる狗奴国(くぬこく/くなこく)出自の豪族で、元は中国の秦、呉からの渡来人らしい。いずれにしても豪族名である與等の表記が「與布土」になり、やがて「与布土」になったというわけです。「与布土」という表記は1431年に山名宗全が竹田城を築城した後に与布土の衣笠山に出城を作ったという記録があるので、その頃にはこの表記が定着していたものと考えられます。

さて、興味深いのは「与布土」の読み方です。というのも、この読み方には「よふど」と「ようど」が混在しているからなんです。例えばこのダム名や地名は「よふど」と読むのに対し、道路標識の表記は「ようど(Youdo)」なんですね。一体どちらが正しいのか。これは地元でも問題視されたようで、結果的には2011年に一応の解決をみることになったそうな。つまり書き言葉は「よふど」、話し言葉では「ようど」に統一しよう…と。なるほど、なるほど。

見えてきました。まずはダム下から見た「ご尊顔」をご覧ください。そのフォルムは前回記事にした大路ダムに似ていますね。

常用洪水吐から流れ出る水が作り出す模様がなんとも美しいです。


ダム下へ向かう入口付近にある案内板。ダム横へはループ橋を登っていきます。


ダム横に来ました。近くには「与布土ダム」と刻まれた石碑があります。


ダム横から見た「ご尊顔」。治水ダムでしょうか。


「与布土ダム」の案内板。当該ダムは与布土川の洪水被害の軽減、朝来市への水道用水の安定供給、そして河川水量の安定化を目的とする多目的ダムで、1991年に事業着手され、2014年に竣工した重力式コンクリードダム。高さは54.4m。


ダム湖名は「奥山四季彩湖」。当該ダム周辺地域は奥山渓谷と呼ばれ、その渓谷は四季折々の美しい景色が楽しめることから命名されたそうな。


案内板の前にある不思議な物体。ダム下の地図によれば「展望台」だそうですが、数段登っただけで景色が変わるとは思えないんですけどね。むしろワシにはトマソンに見えて仕方がありません。



そこからダムを見ると、こんな感じ。


当該ダムの左岸、「奥山四季彩湖」側にあるのが「兵庫県与布土ダム管理所」。



「定礎」と書かれた石碑。2012年5月とあります。


左岸、ダム横から見たダム上。歩いてみましょう。


ダム上、中央から見た「奥山四季彩湖」。美しい!


一方、ダムの真下はこんな感じ。

そして、下流側の遠景。


対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな景色。


右岸、「奥山四季彩湖」側から見たダムの様子。


同、下流側から見たダムの様子。


近くに住んでいれば、季節が変わるごとに訪れてみたい場所ですね。
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オロオロせぬように…大路ダム

2022-12-11 06:46:25 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は兵庫県朝来市和田山町久世田(あさごし わだやまちょうくせだ)にある円山川(まるやまがわ)水系の大路(おおろ)ダムを訪れます。アクセスは国道312号沿いにある「久世田口」バス停近くの交差点を円山川方向へ曲がり、橋を渡り播但線の線路を越えてすぐ左方向へ進みます。そして国道312号のバイパスを潜ったT字路を左折し、そのまま進むと目的地の右岸に到着します。

…というわけで、見えてきました。あれですね。治水ダムのようです。


ダム横に来ました。そこからダムを見ると、こんな感じ。


貯水側から見ると。


これがダム上。「大路ダム 兵庫県」のプレートが見えます。県営ダムのようですね。


ダム上、中央から見た貯水湖の様子。


ダムの真下。

そして、下流側の遠景。


左岸側にある建物は「兵庫県大路ダム管理所」。管理所の屋根が傾斜していることや、入口ゲートの上が弧を描く構造なのは積雪対策なのかもしれませんね。


管理所は1998年7月に完成したのかな。


対岸(左岸)から右岸を見ると、こんな感じ。いわゆる親柱のところに「大路川」と書かれているので、当該ダムは大路川を堰き止めて築造されたことから大路ダムと命名されたようです。ちなみに大路川の名称は左岸の北西に「大路山」(標高603.1m)があるのでそれが由来なのかもしれません。それにしてもネットで検索すると「おおろやま」「おおろさん」と二通りの読み方が出てくるんですが、どちらが正しいのかなあ。

また、ダム湖名は拾枚湖(じゅうまいこ)らしい。


管理所から見たダムの様子。


左岸、拾枚湖側から見たダムの様子。


「定礎」の石碑。1997年3月。


右岸へ戻ってきました。ダム横から少し拾枚湖側へ行ったところに「大路ダム」と刻まれた石碑があります。うーん、なんでまたこんな地味な場所に…。


大路ダムの概要が記された案内板。

その隅に拾枚湖の由来が書かれています。それによると大路川は山並が幾重にも連なる(それを拾枚というらしい)ところに水源を発していることからそう命名されたようです。

諸元データ。高さ32.1mの重力式コンクリートダム。


よくある治水ダムという感じでした。ただ、県営ダムなのに築造の経緯の説明がないのが惜しいなあ。
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景色、良し!…多々良木ダム

2022-12-10 07:09:19 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、いよいよ円山川水系の多々良木ダム(兵庫県朝来市多々良木[あさごし たたらぎ])を訪れます。アクセスについては昨日の記事を参照してください。

まずは右岸へ行ってみます。右岸側に洪水吐があるロックフィルダムですね。


右岸、ダム横の貯水側には管理所があります。


同、貯水側からダムを見ると、こんな感じ。コンクリートの遮水壁になっているんですね。


近くには水利使用標識があります。発電用のダムなんですね。


「奥多々良木発電所のしくみ」と題する案内板。これを見ると、多々良木ダムは単体の発電用ダムではなく、揚水発電を行なう奥多々良木発電所の下部ダムの役割を果たしているそうな。ちなみに上部ダムは黒川ダムで、どちらのダムも1974年に築造され、同年に奥多々良木発電所も運用を開始しています(参考)。




黒川ダムと多々良木ダムの位置関係を示す図。興味深いのは黒川ダムが属する市川水系が瀬戸内海へ流れ込むのに対し、多々良木ダムの属する円山川水系は日本海へ流れ込んでいることです。揚水発電によって水は両方のダムを行き来するのに、最終的には全く異なる方向へ流れて行ってしまう…。うーん、なんか人生みたいじゃないですか!


いよいよ、ダム上を歩いてみることにしましょう。

ちなみにダム上を通ることのできる時間は決まっているので要注意。時間外だと通れないかも。


ダム上から見た洪水吐から溢れ出た水が流れて行く水路の様子。


ダム上、中央から見たダム湖の様子です。吸い込まれそうな色。


下流側の景色。写真中央に見える建物は「あさご芸術の森美術館」。


ダム上の通路に立てられた看板。「物を投げないで下さい」…踊り子さんに当たります(わかる人にはわかるかも)


対岸(左岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。


なんとも味のある周辺案内図。


それにしても朝来市は良いところです。気に入りました。移住してもいいかなと思ったり…。

まぁ、しませんが。
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あさご芸術の森は面白い!

2022-12-09 07:14:19 | ドライブ関連
どーも、ワシです。今回は兵庫県朝来市多々良木(あさごし たたらぎ)にある円山川水系の多々良木ダムへ向かおうとしたんですが、国道312号の「多々良木」信号からダムへ向かって行くと、それはもう魅力的な物体が目白押し。なので、今回はダム巡りではなくその魅力的物体の数々をご紹介したいと思います。

まず最初に目にしたのものがこちら。道沿いにゴロンと並んでいるのでビックリします。タイトルは「Seven Friends」(2013)。作者は帝塚山大学 安井健二研究室。



予想外の物体の出現に戸惑いながらダムへ向かって行くと、ダム下には現代芸術がゴロゴロ。案内板によると、このあたりは「あさご芸術の森」というらしい。


主だったものを見ていきます。

「MY FAMILY」(1999)。作者の中岡慎太郎(なかおかしんたろう:1957- )は岐阜県大垣市出身。多摩美術大学彫刻科卒業。(参考



「浮く石」(1999)。作者の植松奎二(うえまつけいじ:1947- )は兵庫県神戸市出身。神戸大学教育学部美術科卒業。(参考



「ブルーチーズ(森のなかで…)」(2003→2017)。作者のクボタケシ(久保健史:1974- )は兵庫県出身。宝塚造形芸術大学卒業。(参考



「円の仕掛/未来飛行」(2000)。作者の生形貴春(うぶかたたかはる:1948- )は大阪府出身。花園大学文学部卒業。(参考



「KEN」(2019)。作者の青野セクウォイア(1982- )はナポリ生まれの東京育ち。東京藝術大学大学院彫刻専攻修了。(参考



「『最後の午餐』に集合した一同」(1998)。作者の藤原吉志子(ふじわらよしこ:1942-2006)は東京都出身。東京藝術大学美術学部卒業。(参考




「おつきさま」(2001)。作者の澄川喜一(すみかわきいち:1932- )は島根県鹿足郡六日市町(かのあしぐんむいかいちちょう)/現在の同郡吉賀町(よしかちょう)出身。東京藝術大学大学美術学部彫刻科卒業。(参考



などなど…。

そして、多々良木ダムの直下にあるのが「あさご芸術の森美術館」。記念館名となっている淀井敏夫(よどいとしお:1911-2005)は地元朝来市出身の彫刻家で、東京美術学校(現在の東京藝術大学大学美術学部)彫刻科卒業。同大学教授、二科会理事長を歴任。2001年には文化勲章を受章。



美術館前にあるモニュメント。これも格好よろしい。


そのほかにも周辺には現代アートがたくさん展示されているようです。いや〜、朝来市に移住したくなるくらい面白いです。

次回はいよいよ多々良木ダムへ向かいますよ!
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偶然遭遇!…市川発電所取水堰

2022-12-08 07:28:49 | 兵庫(ダム/堰堤)
えー、どーも、ワシです。JR播但線は市川に沿って走っているんですが、それとともに県道39号も並走しています。その県道39号を走っていた時、偶然目にした堰堤を今回紹介しようと思います。場所は兵庫県神崎郡神河町渕(かみかわちょう ふち)。おそらく市川水系の堰堤です。

それがこちら。画像を横切る電線がとても邪魔ですが、ご勘弁ください。


対岸(左岸)側には管理棟のような建物が見えます。その近くには水利使用標識のようなものがありますが、残念ながらその内容を判読することはできません。


市川の上流方向の景色。


そして、下流側はこんな感じ。


その場所は文字で説明しにくいので国土地理院の地図を載せておきます。当該箇所は写真中央の「➕印」のところです。


でも、なんていう名称なんだろう。気になりますね。えぇ、気になるんです。そこで調べてみました。

すると、どうやらこれは直線距離にして約5.0km下流にある関西電力の市川発電所(兵庫県神崎郡神河町大河[かみかわちょう おおかわ])のための取水堰らしい。同発電所の運用開始が1911年12月なので、この取水堰もその時期に設置されたものと思われます(参考)。よく見ると土台部分などは石積みの工事がされていて、これは大正から昭和初期にかけての工法なのは明らか。職人の丁寧な仕事を思わせます。なお、写真を撮り忘れましたが取水口は左岸側にあり、分水した水は市川とは別の導水路を通って市川発電所へ流れ込んで発電に使用されます。

いうまでもありませんが、この場所はグーグル先生の地図には載っていません。だから見つけた時、なんだか宝物を掘り当てた気分。

はははは。
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上部調整池としての…太田ダム

2022-12-07 06:55:29 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、昨日記事にした長谷ダムから右岸沿いに遡ってうねうね行くと大河内発電所の上部調整池である太田ダムに到着します。調べてみると太田ダムには5つのダムがあるようで、まず向かったのは「太田第四ダム」と「太田第三ダム」。(下の地図の写真参照)

ところが、「太田第四ダム」の入口はご覧のように閉まっていて先に進むことができません。従ってその先にあるはずの「太田第三ダム」にも行けません。さすがは敷地内に外部の者を入れないことで定評のある関西電力。素晴らしい(皮肉)。



仕方ないので、そこから見た「太田第四ダム」の様子を撮りました。ダムに興味のない人には「なんやねん、これ」でしょうけどね。ええ、わかりますよ、その気持ち。


ならばと、南側にある「太田第五ダム」「太田第一ダム」「太田第二ダム」へ行ってみます。もしかしたらこれらは見ることができるかもしれないという期待をもって…。

到着しました。あそこが入口のようです。


ところが、こちらの門も閉じられていて、関係者以外は立入禁止。万事休すですわぁ。


この門のところからが「太田第五ダム」で、ご丁寧に石碑があります。

当初の予定ではここを歩くつもりだったんですけどね。


ダムへは行けない代わりかどうかは知りませんが、門の外側の敷地に太田ダムの周辺案内図がありました。

この場所から5つのダムはこのようになっていて、

それぞれのダムの位置関係はこうなっています。


実際に見ると、こんな感じになります。写真左奥が「太田第一ダム」で、右が「太田第五ダム」。


写真中央に見えるのが「太田第二ダム」で、その横に見える建物がダムの管理所。


そして、写真左側に見えるのが「太田第三ダム」で、右側は取水口になります。この取水口から下部調整池である長谷ダムへ向かい、それが揚水発電に使用されるようです。なお、ここから「第四」は見えません。


…とまあ、こんな感じです。通常の見学客ならこの説明で満足するんでしょうけど、やっぱりワシはダム上を歩きたい。実際に歩いて景色を味わいたい。ただ、それだけ。なのにそれができない…。

ほんと、がっかりだわぁ。

ちなみに同名のダムは新潟県にもありましたね(参考)。それは県営ダムなんですが、やっぱりダム上には行けませんでした。
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下部調整池として…長谷ダム

2022-12-06 13:48:28 | 兵庫(ダム/堰堤)
まーったく、年末進行とやらで雑誌の原稿締切が早まり、あたふたしているこの頃。
 
どーも、ワシです。今回は兵庫県神崎郡神河町長谷(かみかわちょう はせ)にある市川水系の長谷ダムを訪れます。アクセスは県道39号から入り、うにゃうにゃと道を進んでいくと水の谷トンネルが現れるので、その手前を入っていくと右岸に到着します。

まずは下流から見た「ご尊顔」をご覧ください。うん、かなり大きなダムです。


右岸に到着しました。


右岸の横には「大河内(おおかわち)発電所のあらまし」が記された案内板があります。

説明によれば、大河内発電所は次回訪れる太田ダム(上部調整池)とこの長谷ダム(下部調整池)の水を上下させて発電を行なう循環式純揚水式発電所だそうです。上のリンク先の情報によると発電所の運用は1992年10月から。

長谷ダムは高さがなんと102m!コンクリート重力式で、上のリンク先の情報によると1980年に着工し、1995年に竣工したそうな。ということは、太田ダムが完成したのも1995年なのでとりあえずは発電所が先に稼働していたようですね。



右岸、ダム横には管理所らしき建物があり、

その横にはご存知の水利使用標識。

管理所あたりからダムを見ると、こんな感じ。


これがダム上です。歩いてみましょう。


ダム上、中央から見た貯水側の景色。


ダムの真下を見ると…うーん、さすがにクラクラします。

下流側の遠景。写真下に見えるのが大河内発電所の開閉所。


対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。


訪れた時、右岸の管理所のところには職員がいましたが、いくつか質問しても無愛想。まあ、ダム上を歩けただけでも良しとしましょう。ちなみに兵庫県たつの市に同名のダムがあるようですが、そちらの読み方は「ながたに」だそうで、そのうち訪れる予定。
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福知川の砂防堰堤たち

2022-12-04 07:21:13 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は揖保川沿いを走る県道6号から市川水系の長谷(はせ)ダムに向かうため、福知川沿いを走る県道39号を進みます。その際、2つの砂防堰堤を目にしたのでそれを記事にしようと思います。

この県道39号、道端に「大型車の通行は禁止」の看板があるように道幅がとても狭いんです。そして見通しの悪いカーブも多く、もうスリル満点。

「うひゃ〜」とか勝手に叫びつつ進んでいくと「いろりの宿 木の助」を過ぎたあたりで、1つ目の砂防堰堤が目に入ってきました。それがこれ。透過型です。


堰堤本体に嵌め込まれたプレート。地形的に近寄れないので判別しにくいんですが、「女が淵堰堤」のように読めます。もちろんその他の文字も読めず、築造年も不明。


堰堤の横から見ると、こんな感じ。


上流側から見た堰堤の様子。


福知川の上流方向の景色。


まあ、とにかく駐車スペースすらないので長居はできません。早々に立ち去ります。


さらに進み、杉岡の滝を過ぎ、しばらく行ったところでまたもや透過型の砂防堰堤に遭遇。なかなか立派です。

ズームしてみます。迫力が凄い。


堰堤本体に嵌め込まれたプレート。「うづゑ堰堤」と読めます。また「平成21年度 砂防激特事業」というのも確認できます。ただ、諸元は不明。ちなみに平成21年(2009年)8月9日から10日にかけて襲来した台風9号に伴う記録的な豪雨では兵庫県西部・北部を中心に死者20名、行方不明者2名を出すという痛ましい災害が発生しました(参考)。


堰堤の横から見た様子。


「女が淵堰堤」も「うづゑ堰堤」も検索ではヒットしないので詳細は不明です。でも、以前この地で強烈な土砂災害が発生したことは確かなようです。こういうところを走っていると、まさに「ザ・自然!」という感じがして自然の恐ろしさを思い知らされます。
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もやもや…安積発電所三方川取水ダム(第3取水ダム)

2022-12-03 06:55:27 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は兵庫県宍粟市一宮町西深(しそうし いちのみやちょうにしぶか)にある揖保川水系の安積発電所三方川取水ダムを訪れます。アクセスは揖保川沿いを走る県道6号を進んでいくと到着します。 

到着しました。これのようです。形状はダムというより堰堤ですね。

おおっ、ゴム引布製起伏堰(通称:ゴム堰)じゃないですか!もう、パンパンに張られた状態です。


堰堤の横から見た揖保川上流方向の景色。


右岸側にあるこの場所が取水口(写真中央)。


左岸、上流側から堰堤を見ると、こんな感じ。


右岸へ移動します。先ほど見た取水口から分水した水はここへ流れ込みます。


近くにある水利使用標識。


右岸側にあるここが関西電力安積発電所…、あれっ「第3取水ダム」管理所? 三方川取水ダムの表記じゃないよ。一体どういうこと?



とりあえず、右岸側から見た堰堤の様子。


さて、なんとなく見てきましたが、いくつか疑問が。まずは安積(あづみ)発電所がどこにあるのか。調べてみると、同発電所は兵庫県宍粟市一宮町安積にある関西電力の発電所で、1939年4月に兵庫県が運用開始し、1951年5月1日からは関西電力が所有者となっています(参考)。そしてこの場所から直線距離にして約5.3km下流にあり、揖保川とは別の水路を通って送水され発電に使用されるようです。

次の疑問は、三方川取水ダムなるものはいつ築造されたのかということ。明確な記述は見当たりませんが、この施設は安積発電所のための取水ダムであることから上に記した運用開始時期の頃には築造されていたと思われます。ただ、最初からゴム堰だったわけではありません。というのも、ゴム堰は1956年にアメリカでノーマン・インバートソンが考案したもので、日本では1964年に東京の多摩地区で導入されたのが最初だからです。従って同取水ダムがあったにしても、当時は別の形をしていたと考えられます。

じゃあ、この場所にゴム堰が採用されたのはいつなのか。さらに調べていくと1980年11月に隔月雑誌である『電力土木』に「安積発電所三方川取水ダムの改良について ファブリダムの採用」という記事が掲載されています(参考)。ファブリダムとはゴム堰のこと。これが事実だとすれば、現在の形になったのは1980年の前半頃と考えてよさそうです。

三番目の疑問は「第3取水ダム」の意味。「第3」とあるからには「第1」と「第2」もあるはず。じゃあそれらはどこにあるのか。気になりませんか?気になりますよね? いや、気になってください。

で、地図で調べてみるんですがヒットしません。ただ、この付近を「取水口」で検索し、国土地理院の地図で安積発電所への水路を照らし合わせてみると「第1」と「第2」の候補がいくつか浮かび上がってきました。まず「取水口」で検索すると2つの場所がヒットします。1つは安積発電所 谷渓流取水口。もう1つは安積発電所 深河谷川取水口。前者は同発電所から直線距離にして約3.4km上流の引原川に近いところにあり、後者は約3.2km上流の揖保川に近い場所にあります。また水路図を辿ると谷渓流取水口はさらに引原川の上流にある「西谷取水口」(国道29号から国道429号に入るT字路の近く)に繋がっていて、これも候補になりそうです。でも、結局どれが「第1」「第2」なのかは今のところ確認できていません。もしかすると他にもあるのかもしれませんけどね。

さて、最後の疑問は地図上の名称になっている「三方川(みかたがわ)」について。これも調べてもその周辺にはそのような名称の川は見当たりません。「三方川」で検索してみるも釣りマニアのサイトはヒットするんですが、場所は特定できず。ちなみに、この場所から約3.5kmほど揖保川上流に「三方川断層」というのがあるようなので、もしかするとそれに由来するものなのかもしれません。

うーん、なんだかモヤモヤするなあ。
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地図に載ってない砂防堰堤…栃原川1号堰堤

2022-12-02 07:37:10 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、昨日記事にした砂防堰堤のすぐ近くに「栃原川1号堰堤」というのがあるのを発見。地図で確認するも、この築造物は載っていません。なお、アクセス方法については昨日の記事をご覧ください。

どーん、これです。透過型砂防堰堤ですね。


近づいてみると、なかなか迫力があります。


堰堤本体には「栃原川1号堰堤」と記されたプレートが嵌め込まれています。

平成26年(2014年)12月竣工とあります。


正面から見た様子。


堰堤の上に行きたかったのですが、斜面がなかなか険しかったので断念。

この砂防堰堤にも「栃原川」とありますが、ここから約23km離れた播但線(ばんたんせん)の生野(いくの)駅の西側に弧を描くように走る県道39号に沿って流れる川も栃原川っていうんですよね。同じ兵庫県内なのに同じ名称の川が存在するんでしょうか。ちなみにこの砂防堰堤は揖保川水系に属し、県道39号沿いの栃原川は市川水系に属しています。

なんか、よーわからんなあ。
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どちらが正しい?…ある砂防堰堤

2022-12-01 07:32:17 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。グーグル先生の地図を見ていたら兵庫県宍粟市波賀町小野(しそうし はがちょうおの)に小野川堰堤というのがあるので今回はそこを目指します。アクセスは国道29号沿いに「しそう自立の家 ←400m」という看板のあるT字路があるのでそこを入り、県道546号(上ノ波賀線)を進んで行くと到着するようです。

どうやらこれらしい。透過型の砂防堰堤ですね。


下流側の景色。デカい岩がゴロゴロしています。


堰堤の横から見た様子。


上流側から見ると、こんな感じ。


堰堤の上から見た上流側の景色。


一方、下流側を見ると、こんな眺め。この堰堤はちょうどS字カーブのところにあります。


ところが、ですよ。堰堤横の表示板には「栃原川砂防堰堤」と書いてあるじゃあ、あ〜りませんか!いやいや、どーゆーこと?


地図を再度確認しましたが、この場所で間違いありません。ネットで調べてみるとこの砂防堰堤は大きな「仕事」をしていることが判明。平成30年(2018年)7月6日の豪雨で発生した土石流ではこの堰堤がガッチリと土砂と流木を受け止め、下流の人家への被害を防いだことがわかります(参考)。リンク先の資料(p.51)には「小野川砂防堰堤」と書かれていますね。

これらのことから、この砂防堰堤は少なくとも2018年以前に築造されたのは明らか…なんですが、なぜ名称が2つもあるんでしょうね。なんとも謎です。
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