ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

いつ名称変更された?…箕面川(治水)ダム

2022-12-16 06:58:54 | 大阪(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は大阪府箕面市箕面(みのおし みのお)にある淀川水系の箕面川ダムを訪れます。アクセスは国道171号の「豊川1丁目」信号を北方向へ曲がり、府道4号(茨木能勢線)を道なりにどんどこ進みます。するとT字路になるので「勝尾寺」方向へ左折。そのまま府道43号を進み、国道423号を潜ってからT字路が出てくるので「高山」方向へ曲がります。そして「箕面隧道」というトンネルの手前を入っていくと目的地に到着します。

【箕面の由来】(参考
さて、関西圏以外の人には珍しい箕面という地名ですが、その由来を調べてみました。今回訪れるダムの南西方向に落差33mを誇る箕面大滝というのがあるんですが、そこから流れ落ちる様子が農業で使用される箕(みの)のおもて面に似ていることから箕面大滝と呼ばれるようになり、その箕面がそのまま地名になったそうな。

ま、そんなわけで箕面川ダムが見えてきました。なかなか大きなダムです。


隧道の手前を左に入ってくと最初に目にするのがこの建物。どうやら箕面川ダムの管理所らしい。なんか不思議なフォルムです。


さらに進むとダム横になるんですが、その近くには「箕面川ダム付近案内図」があります。

治水を目的とするダムで、昭和57年(1982年)に完成したとあります。



その側には「箕面川ダムの案内」。

諸元表。高さはなんと47.0mもあるんですね。


これがダム上。ご覧の通り、車両も余裕で通行できます。


ダム上、中央付近から見た下流側の様子。写真だと平らに見えますが、斜面に沿って撮っているので実際にはそれなりの傾斜があります。写真中段左側に見えるのは洪水吐からの水路です。

そして、少し目線を上げるとこんな景色。


対岸(右岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。


右岸、下流側から見たダムの様子。


右岸にある「定礎」の碑。昭和54年(1979年)7月23日とあります。あれれ、ここでは「箕面川治水ダム」の表記になってますね。


近くにある石碑。読みにくいですが、ここでも「箕面川治水ダム」と刻まれています。

その裏には昭和57年(1982年)5月竣功と記されています。ちなみに平成5年(1993年)には環境賞を受賞(参考)。


「みの於や万 雲かけつくる峯の庵(いほ)ハ 松のひびきも手枕(たまくら)のし多」と書かれた歌碑。作者は『方丈記』でおなじみの鴨長明(1155-1216)で、出典は『夫木抄(夫木和歌抄:ふぼくわかしょう)』の巻二十:雑二(参考)。『夫木抄』は、奈良時代末期に編纂された『万葉集』以後に作られた和歌のうち、勅撰和歌集に採録されなかった17,387首を集めた全36巻からなる巨編で、鎌倉時代後期の1316年頃に編纂された私選和歌集。編者は遠江国榛原郡(現在の静岡県牧之原市)の武士で勝間田城主でもあった勝間田長清(かつまたながきよ:生没年不詳/藤原長清ともいう)。


右岸にも箕面川ダムの案内板があります。こちらにはダム築造の経緯が記されています。そのきっかけとなったのは昭和42年(1967年)7月に北摂地域を襲った集中豪雨で、これを機に洪水調節と河川維持用水の補給を目的とするダムの建設が開始されたそうな。



その近くからダムを見ると、こんな感じ。

向こうに見える管理所は本当にユニークな形をしています。

そして、左岸側には洪水吐が見えますね。


この周辺道路沿いには立ち入らないためのフェンスがビッチリと張られているので、実際にはフェンス越しに景色を見ることになります。でも、ダム上から貯水湖はほとんど見えません。写真がないのはそういう理由です。

それにしても築造時には「箕面川治水ダム」だったのが、いつから「箕面川ダム」に名称変更されたんでしょうね。なんか、それが気になります。
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