ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

もやもや…安積発電所三方川取水ダム(第3取水ダム)

2022-12-03 06:55:27 | 兵庫(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。えー、今回は兵庫県宍粟市一宮町西深(しそうし いちのみやちょうにしぶか)にある揖保川水系の安積発電所三方川取水ダムを訪れます。アクセスは揖保川沿いを走る県道6号を進んでいくと到着します。 

到着しました。これのようです。形状はダムというより堰堤ですね。

おおっ、ゴム引布製起伏堰(通称:ゴム堰)じゃないですか!もう、パンパンに張られた状態です。


堰堤の横から見た揖保川上流方向の景色。


右岸側にあるこの場所が取水口(写真中央)。


左岸、上流側から堰堤を見ると、こんな感じ。


右岸へ移動します。先ほど見た取水口から分水した水はここへ流れ込みます。


近くにある水利使用標識。


右岸側にあるここが関西電力安積発電所…、あれっ「第3取水ダム」管理所? 三方川取水ダムの表記じゃないよ。一体どういうこと?



とりあえず、右岸側から見た堰堤の様子。


さて、なんとなく見てきましたが、いくつか疑問が。まずは安積(あづみ)発電所がどこにあるのか。調べてみると、同発電所は兵庫県宍粟市一宮町安積にある関西電力の発電所で、1939年4月に兵庫県が運用開始し、1951年5月1日からは関西電力が所有者となっています(参考)。そしてこの場所から直線距離にして約5.3km下流にあり、揖保川とは別の水路を通って送水され発電に使用されるようです。

次の疑問は、三方川取水ダムなるものはいつ築造されたのかということ。明確な記述は見当たりませんが、この施設は安積発電所のための取水ダムであることから上に記した運用開始時期の頃には築造されていたと思われます。ただ、最初からゴム堰だったわけではありません。というのも、ゴム堰は1956年にアメリカでノーマン・インバートソンが考案したもので、日本では1964年に東京の多摩地区で導入されたのが最初だからです。従って同取水ダムがあったにしても、当時は別の形をしていたと考えられます。

じゃあ、この場所にゴム堰が採用されたのはいつなのか。さらに調べていくと1980年11月に隔月雑誌である『電力土木』に「安積発電所三方川取水ダムの改良について ファブリダムの採用」という記事が掲載されています(参考)。ファブリダムとはゴム堰のこと。これが事実だとすれば、現在の形になったのは1980年の前半頃と考えてよさそうです。

三番目の疑問は「第3取水ダム」の意味。「第3」とあるからには「第1」と「第2」もあるはず。じゃあそれらはどこにあるのか。気になりませんか?気になりますよね? いや、気になってください。

で、地図で調べてみるんですがヒットしません。ただ、この付近を「取水口」で検索し、国土地理院の地図で安積発電所への水路を照らし合わせてみると「第1」と「第2」の候補がいくつか浮かび上がってきました。まず「取水口」で検索すると2つの場所がヒットします。1つは安積発電所 谷渓流取水口。もう1つは安積発電所 深河谷川取水口。前者は同発電所から直線距離にして約3.4km上流の引原川に近いところにあり、後者は約3.2km上流の揖保川に近い場所にあります。また水路図を辿ると谷渓流取水口はさらに引原川の上流にある「西谷取水口」(国道29号から国道429号に入るT字路の近く)に繋がっていて、これも候補になりそうです。でも、結局どれが「第1」「第2」なのかは今のところ確認できていません。もしかすると他にもあるのかもしれませんけどね。

さて、最後の疑問は地図上の名称になっている「三方川(みかたがわ)」について。これも調べてもその周辺にはそのような名称の川は見当たりません。「三方川」で検索してみるも釣りマニアのサイトはヒットするんですが、場所は特定できず。ちなみに、この場所から約3.5kmほど揖保川上流に「三方川断層」というのがあるようなので、もしかするとそれに由来するものなのかもしれません。

うーん、なんだかモヤモヤするなあ。
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