ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

露払い的な〜…大迫ダム

2022-03-19 16:36:51 | 奈良(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。昨日記事にした大滝ダムの横を走る国道169号を吉野川に沿って遡っていくと、またまたダムが現われます。それが今回訪れる紀の川水系の大迫(おおさこ)ダムです。住所は奈良県吉野郡川上村大迫。

お〜、見えてきました。あれですね。



ダム横の国道沿いには川上村の地図を模したオブジェ。でも、なぜ南北が逆なんでしょうねえ。違和感。



左岸にある大迫ダムの案内板。だけど文字などが消えかかっています…。



「大迫ダム」と刻まれた石碑。常々思うんですが、文字を白抜きにすればもっと目立つのになぜしないんでしょうねえ。



石碑の裏には「建碑の記」と題された文言。ここに書かれている通り、吉野川という名称は奈良県内での呼び名で、和歌山県に入ると紀の川に変わります。名称はともかく、この川は昔からその流域の生活と産業に大いに寄与してきました。しかし氾濫と旱魃を繰り返す「気まぐれ」の川でもあり、人々はその変化に苦慮しつつ対応してきたそうな。昭和25年(1950年)、国民の食料確保と地域農業の復興そして奈良/和歌山の両県民の多年にわたる「努力」に報いるべく国は十津川・紀の川総合開発構想を立案。これに基づき十津川・紀の川の土地改良事業は当時の農林省(現在の農林水産省)直轄工事が開始。大迫ダムはこの開発計画の一環として昭和39年(1964年)に建設が始められ、昭和49年(1974年)6月7日に完成したという。





石碑の隣りには「横軸ペルトン水車発電機」があります。説明にある通り、これは大迫ダムの約下流10kmにあった関西電力迫発電所に設置されていたもの。同発電所は明治45年(1912年)に宇治川電気株式会社(1906年創立、1942年解散)によって建設され発電を開始します。そして昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で損壊するまで川上村などに電気を供給してきたそうな。設置されている発電機は奈良県では最古のものだそうです。(参考)(参考





その付近からダムを見ると、こんな感じ。見てお分かりの通り、大迫ダムはドーム型アーチ式なんですね。



これが左岸側から見たダム上。車両通行可ですが、ワシは歩いて行きます。



ダム上、中央から貯水側を見ると、こんな感じ。



一方、ダム下の様子。副ダムのところがアーチ状になっているのはダムの形に対応しているからなのでしょうね。



そして下流側の遠景。写真下部に見えるクリーム色の建物は大迫発電所。



対岸(右岸)に来ました。下流側からダムを見ると、こんな感じ。



右岸にも大迫ダムの案内板があります。これはまだ風化していません。しかし諸元を見ると着工は1963年4月で、完成は1973年9月となっていて、左岸の「建碑の記」と内容と異なっています。うーむ、どちらの記述が正しいんでしょうか…。





水利使用標識。灌漑用水と上水道用水のためのダムなんですね。でもダム下に発電所があるんですが、この標識には発電の文字はないですね。どういうことなんでしょうか。



右岸にあるこの建物は「大迫ダム管理所」。





最初に書いたように大迫ダムは大滝ダムの上流にあります。ダムの規模は大滝ダムのほうが大きく新しいので大迫ダムでは担いきれない役割を大滝ダムが担っているのかもしれません。そうした現状を見ると大迫ダムは相撲の横綱の土俵入りに例えるなら大滝ダムの、いわば「露払い」みたいな役割を演じているようにも思えます。
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