ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

南高梅に水を!…島ノ瀬ダム

2022-03-30 07:05:53 | 和歌山(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は和歌山県日高郡みなべ町東神野川(みなべちょうひがしこうのがわ)にある南部川(みなべがわ)水系の島ノ瀬(しまのせ)ダムを訪れます。ダム名は左岸側の地名「島之瀬」から命名されたと思われますが、「之」が「ノ」に変わった理由はわかりません。アクセスは国道424号沿いに「島ノ瀬ダム」という道路表示があるのでそれに従って進むと到着します。

右岸、下流側から見た「ご尊顔」がこちら。治水ダムかな? なんとも存在感のあるダムです。



ダム下も頑丈に造られているという印象です。



右岸、貯水側からダムを見ると、こんな感じ。



これがダム上。幅は狭いですが車両は通行できます。



右岸のダム本体には「島ノ瀬ダム」「平成3年(1991年)3月完成」と書かれたプレートが嵌め込まれています。





ダム上、中央から貯水側を見ると、こんな感じ。水がなみなみと湛えられています。



一方、ダム下までは44.5m。さほど恐怖は感じない高さです。



そして下流側の遠景がこちら。



左岸に来ました。近くには島ノ瀬ダムの案内板があります。補足説明すると、当該ダムは南部川が渇水した際に農業用水を供給するための貯水ダムで、1973年から1995年の間に行なわれた国営南紀用水土地改良事業のひとつとして築造されたもののようです。同事業ではそのほか辺川(へがわ)頭首工をはじめ、幹線・支線用水路が整備されたことで農業用水の安定供給が実現。これにより2013年には梅の栽培面積は4,180haとなり、日本一の梅の生産地となったそうな。(参考1)(参考2) 



案内板の隣には「ダムの見学ポイント」が記されています。



また当該ダムは小水力発電施設も備えています。説明がちょっとわかりにくいなぁ。



オシャレなデザインの「島ノ瀬ダム」表示。その背後には「希利水悠久」「梅の里を潤す」と刻まれた石碑。



石碑「梅の里を潤す」の裏側には諸元が記されています。



貯水側に面して建っているのが「島ノ瀬ダム管理事務所」。





その壁面には水利使用標識が貼られています。



管理事務所の隣には「島ノ瀬ダム建設協力者顕彰の碑」。ダム建設にあたり家屋が移転した方、用地を提供した方の名が記されています。



ダム下へ行ってみました。そこからダムを見ると、こんな感じ。ホント、存在感が半端じゃありません。



目立たない場所には「島ノ瀬ダム完成記念」と刻まれた碑が。なぜこんなフォルムなんだろうか…。考えてみると施工業者は五洋建設・東急建設建設共同企業体。ああ、なるほど、これは五洋建設のトレードマークである五角形のことなのかと納得。(参考



みなべ町といえば南高梅(なんこううめ)の産地として知られていますが、それを示す碑がここにあります。なお、南部川村(みなべがわむら)は1954年12月1日から2004年9月末まで存在した日高郡に属した村で、同年10月1日から南部町(みなべちょう)と合併してみなべ町として発足しています。当時の南部川村役場には全国で唯一の「うめ課」があったそうな。きっと気合が入っていたんでしょうね。



【南高梅の歴史】
ついでに南高梅の歴史を調べてみました。南高梅の原木は現在のみなべ町晩稲(おしね)に住んでいた高田貞楠(たかださだくす)が明治35年に自身の桑畑を梅畑にしようと近所の勇惣佐七(ゆそうさひち)から内中梅の苗を購入して植えたところその中に大粒の実のなる優良種が一本あるのを発見。これを母樹として育て「高田梅」と命名したものが南高梅の原木となります。その母樹は1931年、小山貞一(こやまていいち)に継承され栽培されます。

1950年、梅の優良品種を統一して市場の安定を図るための「梅優良母樹調査選定委員会」が設立。37品種の優良種を調査した結果、1954年に7系統(白玉、養青、古城、改良内田、高田、地蔵、薬師)が選ばれ、中でも高田梅はここの気候にあった最良品種との評価を受けます。そして、この調査研究に参加した南部高校園芸科の生徒を指導し、かつ同委員会の委員長でもあった竹中勝太郎(たけなかかつたろう)が高田梅の名称を「南部高校」と「高田梅」から「南高梅」と命名し今日に至ります。(参考

いや〜、ダムを巡っていてまさか南高梅の歴史を学ぶとは思いませんでした。はははは。
コメント