おととい、現代音楽の夕べに行く。後輩のT君夫妻と久々に再会。元気そうで何よりだ。演奏された作品は世界初演と日本初演がそれぞれ2作品。そのほか日本人の作品が2つ。いずれもベクトルの異なる作品であり、コンセプトの違いが明確に出ていた。
現代音楽といっても、今回の作品はむしろワールド・ミュージックという感じ。だから聴きやすかった。我が講座でも宣伝し、無料招待という形をとったのだが、ウチのところから来場したのはひとり。宣伝の仕方がマズかったか…。
関係者によれば、当日の来場者数はたった93名(!)だとか。顔が引きつるのも当然だな。もうひとつ言うと、某国の大使が来場する予定だったのがドタキャンしたらしい。
「彼のために座席の1列を確保しておいたのに、どーしてくれんのよ!」
担当者は怒り心頭であるが、もう笑うしかない。ちなみに昨日担当者からのメールでは大使館員が「こっそり」1名来場していたとか。おいおい、なんだよ、こっそりって…。まるでスパイとか偵察だな。
現代音楽といっても、今回の作品はむしろワールド・ミュージックという感じ。だから聴きやすかった。我が講座でも宣伝し、無料招待という形をとったのだが、ウチのところから来場したのはひとり。宣伝の仕方がマズかったか…。
関係者によれば、当日の来場者数はたった93名(!)だとか。顔が引きつるのも当然だな。もうひとつ言うと、某国の大使が来場する予定だったのがドタキャンしたらしい。
「彼のために座席の1列を確保しておいたのに、どーしてくれんのよ!」
担当者は怒り心頭であるが、もう笑うしかない。ちなみに昨日担当者からのメールでは大使館員が「こっそり」1名来場していたとか。おいおい、なんだよ、こっそりって…。まるでスパイとか偵察だな。
光接続にして我がネット環境は快適になった。しかし伝送速度は100メガと宣伝しているが、あまり実感がわかない。確かに前のADSLよりは速くなったとは思うが…。そこで検証を試みた。
まず、ネット上で測定することのできる回線速度診断サイトで実験する。ひとつのサイトだけでは確信が持てないので複数のサイトで行なってみた。すると、伝送速度は平均して20メガ前後…。
はぁ?なぜ?
何度試みても測定値に変化は見られない。おいおい、100メガでつながるんじゃないのか?まあ、100メガというのは理論値であるから、完全に100メガの速度になることはない。それはわかっている。
でもさ、20メガって何だよ。電話局に近いADSLユーザーならそれぐらいの数値にはなるぞ。不幸にしてウチは最寄りの電話局から直線距離にして2.3kmほどのところにある。なので、今までADSLにしていても12メガあたりが最速だった。
もっとも、光接続の場合は電話局からの距離は関係ないので、そこに原因があるわけじゃない。ならばほかに原因があるはず。関連するサイトをあちこち見てまわったが、いまいちよく理解できない。仕方ないのでNTTに聞いてみた。
「100メガと謳っているのに、ウチじゃあ20ぐらいしか出ないけど、なぜ?」
「はぁ、それについてはユーザー様のパソコン環境によって違ってくるんです」
というやり取りから始まった。担当者の説明によると、こうだ。多くの利用者が勘違いしているのはブロードバンドの「区間」のことらしい。つまり、NTTやTEPCOの光ケーブルから各自のパソコンまでは、100メガとは言わないまでもそれに近い伝送速度になっている。
しかし、伝送速度が速いのはその間までで、各自のパソコンのもう一方の端は、プロバイダーを経由してそれこそネットの海に繋がっている。従って、プロバイダーから先の、ネットという大海原が渋滞していれば、いくら光接続であっても高速接続にならないのだとか。ワシの測定による20メガというのは、光ケーブルとその先の接続状況とをトータルして算出したもののようだ。
担当者はここで、自社の光ケーブルの伝送速度が速いことを証明すべく、「フレッツ・スクウェア」に接続して、そこで速度確認をしてくれという。「フレッツ・スクウェア」というのはBフレッツを利用している人しか接続することのできない、いわば閉ざされた場所だ。これはワシのパソコンから光ケーブルを通じて「フレッツ・スクウェア」にダイレクトに接続されるため、純粋に伝送速度を測定することができる。
ならば、と測定してみた。すると、叩き出された平均値は何と50メガ!!それを担当者に知らせると「まあ、そんなもんですよ」と。
いずれにしても現段階では伝送速度をアップさせる決定的な方法はないようだ。ただし、WINDOWSであれば話は別。rwinとかいうアプリなどを使って速度アップできるという。だか、ワシのは古いiMac。無理だ…。
あと、パソコンのCPUが高性能であればあるほど伝送速度の数値は上がるらしい。なるほど、数値が上がらないのはこれか。といって、買い替えるわけにもいかず…。
むぅぅぅぅ。
まず、ネット上で測定することのできる回線速度診断サイトで実験する。ひとつのサイトだけでは確信が持てないので複数のサイトで行なってみた。すると、伝送速度は平均して20メガ前後…。
はぁ?なぜ?
何度試みても測定値に変化は見られない。おいおい、100メガでつながるんじゃないのか?まあ、100メガというのは理論値であるから、完全に100メガの速度になることはない。それはわかっている。
でもさ、20メガって何だよ。電話局に近いADSLユーザーならそれぐらいの数値にはなるぞ。不幸にしてウチは最寄りの電話局から直線距離にして2.3kmほどのところにある。なので、今までADSLにしていても12メガあたりが最速だった。
もっとも、光接続の場合は電話局からの距離は関係ないので、そこに原因があるわけじゃない。ならばほかに原因があるはず。関連するサイトをあちこち見てまわったが、いまいちよく理解できない。仕方ないのでNTTに聞いてみた。
「100メガと謳っているのに、ウチじゃあ20ぐらいしか出ないけど、なぜ?」
「はぁ、それについてはユーザー様のパソコン環境によって違ってくるんです」
というやり取りから始まった。担当者の説明によると、こうだ。多くの利用者が勘違いしているのはブロードバンドの「区間」のことらしい。つまり、NTTやTEPCOの光ケーブルから各自のパソコンまでは、100メガとは言わないまでもそれに近い伝送速度になっている。
しかし、伝送速度が速いのはその間までで、各自のパソコンのもう一方の端は、プロバイダーを経由してそれこそネットの海に繋がっている。従って、プロバイダーから先の、ネットという大海原が渋滞していれば、いくら光接続であっても高速接続にならないのだとか。ワシの測定による20メガというのは、光ケーブルとその先の接続状況とをトータルして算出したもののようだ。
担当者はここで、自社の光ケーブルの伝送速度が速いことを証明すべく、「フレッツ・スクウェア」に接続して、そこで速度確認をしてくれという。「フレッツ・スクウェア」というのはBフレッツを利用している人しか接続することのできない、いわば閉ざされた場所だ。これはワシのパソコンから光ケーブルを通じて「フレッツ・スクウェア」にダイレクトに接続されるため、純粋に伝送速度を測定することができる。
ならば、と測定してみた。すると、叩き出された平均値は何と50メガ!!それを担当者に知らせると「まあ、そんなもんですよ」と。
いずれにしても現段階では伝送速度をアップさせる決定的な方法はないようだ。ただし、WINDOWSであれば話は別。rwinとかいうアプリなどを使って速度アップできるという。だか、ワシのは古いiMac。無理だ…。
あと、パソコンのCPUが高性能であればあるほど伝送速度の数値は上がるらしい。なるほど、数値が上がらないのはこれか。といって、買い替えるわけにもいかず…。
むぅぅぅぅ。
アメリカの某有名音楽学校を出た弦楽器奏者の音は大概似ている。なかでも、やはり有名な某女史に師事した人は大体そうだ。本当に「こいつら、クローンじゃないの?」と思うほど音の出し方はソックリ。その音は平板で極めて薄っぺら。さらに言うなら「良い音」じゃない。でも、彼らの大半はテクニシャンなので単に音を「出す」ことはうまい。だからあちこちのオケでコンマスなどをしている。
大人数のなかのコンマスならば、まだよい。でもアンサンブルをするとその人の音だけ思いっきり「浮いて」しまう。そう、他の奏者と音が調和しないから。これは致命的な欠陥だと思う。平板で心地よくない音だけが響いてくるのだからね。いったい、どういうことなのだろう。
前述の某有名音楽学校で、アンサンブルの授業がどのように行なわれているのかは知らない。推測でモノを言うのはイカンとは思う。しかし、おそらくそこの授業では相手の音を聴くという指導がマトモになされていないのではないか。もしアンサンブルで相手の音を聴く訓練ができていれば、ひとりだけ違和感のある音を出すなんていう不届きなことはできないし許されないからね。
つまり、同校の方針というのはソリストを輩出することなのではないか。周囲と異なる音を出せば確かに目立つ。それはソリストには必要な条件ではある。とはいえ、聴き手にとって不愉快な音を出して注目を引くというのは、そもそも間違い。
ここでワシがいう「周囲と異なる音」というのは、むしろ豊かで輝きのある音という意味。楽器から絶えず悲鳴を出させるような音はいらない。そんなことは演奏する本人だってわかっているだろうに。
それにしても、某女史は演奏スタイルの悪しき伝統を作っているな、とつくづく思うね。世間は彼女のことをやたらと評価するが、その理由がわからない。これまで彼女の弟子たちの演奏を数多く聴いてきたが、未だに理解できないでいる。
阿藤海ふうに言うと、「なんだかなぁ…」
大人数のなかのコンマスならば、まだよい。でもアンサンブルをするとその人の音だけ思いっきり「浮いて」しまう。そう、他の奏者と音が調和しないから。これは致命的な欠陥だと思う。平板で心地よくない音だけが響いてくるのだからね。いったい、どういうことなのだろう。
前述の某有名音楽学校で、アンサンブルの授業がどのように行なわれているのかは知らない。推測でモノを言うのはイカンとは思う。しかし、おそらくそこの授業では相手の音を聴くという指導がマトモになされていないのではないか。もしアンサンブルで相手の音を聴く訓練ができていれば、ひとりだけ違和感のある音を出すなんていう不届きなことはできないし許されないからね。
つまり、同校の方針というのはソリストを輩出することなのではないか。周囲と異なる音を出せば確かに目立つ。それはソリストには必要な条件ではある。とはいえ、聴き手にとって不愉快な音を出して注目を引くというのは、そもそも間違い。
ここでワシがいう「周囲と異なる音」というのは、むしろ豊かで輝きのある音という意味。楽器から絶えず悲鳴を出させるような音はいらない。そんなことは演奏する本人だってわかっているだろうに。
それにしても、某女史は演奏スタイルの悪しき伝統を作っているな、とつくづく思うね。世間は彼女のことをやたらと評価するが、その理由がわからない。これまで彼女の弟子たちの演奏を数多く聴いてきたが、未だに理解できないでいる。
阿藤海ふうに言うと、「なんだかなぁ…」
以前、浜松のトラック・ステーションのことを取り上げた。あそこは昔バイトで4トン車を走らせていた時によく利用したものである。今回はもっとご近所の東神トラック・ステーションヘ。(全国のトラック・ステーションのリストはコチラ)
上記のリストにも書いてあるが、場所はR246の上草柳の交差点のすぐ近く。ここも長距離ドライバーの「寝ぐら」のひとつだ。現地に到着したのは午前2時半。4トンや大型、そしてトレーラーなどがほぼ満車の状態。駐車場内にはほとんど街灯がないに等しいので撮影しても、たぶんうまく写らない。なので、その様子をお伝えできないのは残念だ。
そこで24時間営業しているレストランに行く。さすがにこの時間、お客は誰もいない。レジにはオネーチャンがひとり座って新聞を読んでいた。
「すみません、今の時間って食事できますか?」
「できますけど、カレーぐらいしかできませんよ。それでもよければ」
というわけで、「カレー・セット」をいただく。サラダとみそ汁がついて700円。まあ、そんなところか。腹が減っていたせいもあり、なかなかうまかった。
それにしても、このオネーチャン、格好はどうみても女子高生。茶髪でショート・ヘア。紺のカーディガンにミニスカート。そしてルーズ・ソックス。最初見た時には絶対に高校生と思った。でも、よく見たら肌がたるんでいるのだ。うーん、これはどう考えても十代の肌じゃない。十代だったら肌にハリがあるはずだし。さすがに「歳はいくつ?」とは聞けず。推定年齢は30歳前後。いや、もっと上かもしれない。名誉のために本人の写真は撮らなかった。
どーでもいい情報だが、この場所は知る人ぞ知る「ハッテン場」。曜日と時間によってはゲイの方々がお集りになるらしい。今回はそれらしい人はみかけなかったので安心した。でも行かれる方は、くれぐれもケツを掘られないようご注意下され(笑)
上記のリストにも書いてあるが、場所はR246の上草柳の交差点のすぐ近く。ここも長距離ドライバーの「寝ぐら」のひとつだ。現地に到着したのは午前2時半。4トンや大型、そしてトレーラーなどがほぼ満車の状態。駐車場内にはほとんど街灯がないに等しいので撮影しても、たぶんうまく写らない。なので、その様子をお伝えできないのは残念だ。
そこで24時間営業しているレストランに行く。さすがにこの時間、お客は誰もいない。レジにはオネーチャンがひとり座って新聞を読んでいた。
「すみません、今の時間って食事できますか?」
「できますけど、カレーぐらいしかできませんよ。それでもよければ」
というわけで、「カレー・セット」をいただく。サラダとみそ汁がついて700円。まあ、そんなところか。腹が減っていたせいもあり、なかなかうまかった。
それにしても、このオネーチャン、格好はどうみても女子高生。茶髪でショート・ヘア。紺のカーディガンにミニスカート。そしてルーズ・ソックス。最初見た時には絶対に高校生と思った。でも、よく見たら肌がたるんでいるのだ。うーん、これはどう考えても十代の肌じゃない。十代だったら肌にハリがあるはずだし。さすがに「歳はいくつ?」とは聞けず。推定年齢は30歳前後。いや、もっと上かもしれない。名誉のために本人の写真は撮らなかった。
どーでもいい情報だが、この場所は知る人ぞ知る「ハッテン場」。曜日と時間によってはゲイの方々がお集りになるらしい。今回はそれらしい人はみかけなかったので安心した。でも行かれる方は、くれぐれもケツを掘られないようご注意下され(笑)
学生と話をしていて思うのは敬語が使えないこと。ワシなどはナメられているのか知らないが、親子ほど年齢が離れているのにタメぐちを使われることが多い。といってそれがケシカランとは思わない。そもそも後輩に対して威張るつもりもないし、第一、ワシは彼らの親でもないし、先生でもないわけだから。
ただ、気になったのは彼らが親に対しても敬語を使わないということ。親を敬う気持ちがないから当然敬語も使わないのだろう。これが日常化していれば誰に対しても敬語を流暢に使うことなどできるわけがない。なるほどねえ。
しかし彼らばかりが悪いのではない。ワシら親の世代にも責任はあるのだ。「子供とは友達感覚の付き合いが良い」とか「兄弟みたいな関係が理想」などというフザケタ考えをもって子供を育てる親も現にいる。だから困るのである。
親子関係に波風を立てたくないという気持ちはわかる。しかし、だからといって無理に子供の機嫌を取るような育て方は明らかに間違いだ。悪いことは悪い、良いことは良いと教えることこそ親の務めなのである。仮に親子が一時的に険悪なムードになっても、そんなのは気にすることではない。関係はそのうち修復されるから。それが「血」というものなのだ。
そもそも子供が親に敬語を使わないのは親が教えないからではない。親自身が子供から尊敬される生き方をしていないからではないか。たとえば、この人、凄いなと思えば、その人に対して自ずと敬語を使わなければと思うはず。なぜならその人に対してタメぐちをしたら失礼にあたると思うから。子供とはいえバカじゃない。そのへんはちゃんと見ている。
だからといって親が壮絶な生き方をしろというのではない。その人なりに「自分は一所懸命に生きているぞ」という姿勢を見せるだけでよいのだ。親が一所懸命頑張っていれば、子供はそれをちゃんと理解するし、頑張っている親に迷惑をかけまいと子供自身も襟を正すものだ。
毎年学生を「観察」していると、この子の親はこんな人なんだろうなということがわかる。たとえワシと仲良くなっても「親しい仲に礼儀あり」ということがわかっている学生はちゃんとワシに敬語を使って話す。親御さんの立派な躾が子供を通じてわかるのだ。でも、「ねえねえ、ちょっとー」などとワシに話しかける学生の場合、よくよく話を聞いてみると、まずダメ親である。子供の言動はまさに親の躾を浮き彫りにするのだ。
いや、まてよ。ワシがタメぐちで話しかけられるのはワシのほうにも原因があるのかもしれない。そんな彼らからすればワシなんて「敬う存在じゃねーよ、バーカ」と思っているからタメぐちなのかもしれん。うーん、イタイところを突くな。確かに的を射ているからそれについて反論はできないし…。
とほほほ。
ただ、気になったのは彼らが親に対しても敬語を使わないということ。親を敬う気持ちがないから当然敬語も使わないのだろう。これが日常化していれば誰に対しても敬語を流暢に使うことなどできるわけがない。なるほどねえ。
しかし彼らばかりが悪いのではない。ワシら親の世代にも責任はあるのだ。「子供とは友達感覚の付き合いが良い」とか「兄弟みたいな関係が理想」などというフザケタ考えをもって子供を育てる親も現にいる。だから困るのである。
親子関係に波風を立てたくないという気持ちはわかる。しかし、だからといって無理に子供の機嫌を取るような育て方は明らかに間違いだ。悪いことは悪い、良いことは良いと教えることこそ親の務めなのである。仮に親子が一時的に険悪なムードになっても、そんなのは気にすることではない。関係はそのうち修復されるから。それが「血」というものなのだ。
そもそも子供が親に敬語を使わないのは親が教えないからではない。親自身が子供から尊敬される生き方をしていないからではないか。たとえば、この人、凄いなと思えば、その人に対して自ずと敬語を使わなければと思うはず。なぜならその人に対してタメぐちをしたら失礼にあたると思うから。子供とはいえバカじゃない。そのへんはちゃんと見ている。
だからといって親が壮絶な生き方をしろというのではない。その人なりに「自分は一所懸命に生きているぞ」という姿勢を見せるだけでよいのだ。親が一所懸命頑張っていれば、子供はそれをちゃんと理解するし、頑張っている親に迷惑をかけまいと子供自身も襟を正すものだ。
毎年学生を「観察」していると、この子の親はこんな人なんだろうなということがわかる。たとえワシと仲良くなっても「親しい仲に礼儀あり」ということがわかっている学生はちゃんとワシに敬語を使って話す。親御さんの立派な躾が子供を通じてわかるのだ。でも、「ねえねえ、ちょっとー」などとワシに話しかける学生の場合、よくよく話を聞いてみると、まずダメ親である。子供の言動はまさに親の躾を浮き彫りにするのだ。
いや、まてよ。ワシがタメぐちで話しかけられるのはワシのほうにも原因があるのかもしれない。そんな彼らからすればワシなんて「敬う存在じゃねーよ、バーカ」と思っているからタメぐちなのかもしれん。うーん、イタイところを突くな。確かに的を射ているからそれについて反論はできないし…。
とほほほ。
先日、CD購入のため新宿のタワー・レコードに行った。エレベーターを待っている時、ちょっと信じられないことが。ある若い男がエレベーター・ホールへ自転車を押しながらやってきたのである。一瞬何が起こったのか理解できなかった。テナント・ビルの中へ自転車を持ち込むということがワシの常識にはなかったからだ。
あ、ありえない…
コイツ、どうやら自転車とともにエレベーターに乗るつもりらしい。奴にとってはそれは当たり前であり、きわめて涼しい顔をしている。うーん、これをどう解釈したらよいのか。
ほぼ例外なく、自転車というのは外で使用する乗り物であり、フツーは移動手段として用いられる。目的の場所に到着したら、それをどこかへ置いて用を済ます。これが一般的な考え方であろう。まかり間違っても公共の建物の中まで自転車を持ち込む奴は、フツーはいない。
ならば、一喝すべきなのか。いや、待てよ。自転車を持ち込んではいけないというルールはあっただろうか。たぶん明確な規定はないんじゃないか。自転車は移動手段とか外に置いておくものというのは我々の勝手な通念にほかならない。ほとんどの人が建物内に自転車を持ち込むなんてことはしないから、それが当たり前になっている。
もし明確な禁止事項として定められていないならば、自転車の持ち込みはアリということになる。だって、自転車が外で使用する乗り物とはいえ、当の我々はテナント・ビルに土足で乗り込んでいるじゃないか。ならば、自転車だってOKという理屈が通ってしまっても不思議ではない。
もっとも、我々がそんなことをしないのは狭い通路を自転車で通るなんて危険きわまりないとわかっているからだ。万一相手にケガでもさせてしまったら大変なことになる。それに何より他人に迷惑だろう。だからフツーの脳みそをもつ人は自転車を建物内に持ち込むなんてバカなことはしないのだ。
でも、実際に持ち込んでいるバカを見てしまうと、ホント呆気にとられる。大丈夫か?日本の常識。こんな奴が今後増えてくるのかねえ。空恐ろしいわ。
あ、ありえない…
コイツ、どうやら自転車とともにエレベーターに乗るつもりらしい。奴にとってはそれは当たり前であり、きわめて涼しい顔をしている。うーん、これをどう解釈したらよいのか。
ほぼ例外なく、自転車というのは外で使用する乗り物であり、フツーは移動手段として用いられる。目的の場所に到着したら、それをどこかへ置いて用を済ます。これが一般的な考え方であろう。まかり間違っても公共の建物の中まで自転車を持ち込む奴は、フツーはいない。
ならば、一喝すべきなのか。いや、待てよ。自転車を持ち込んではいけないというルールはあっただろうか。たぶん明確な規定はないんじゃないか。自転車は移動手段とか外に置いておくものというのは我々の勝手な通念にほかならない。ほとんどの人が建物内に自転車を持ち込むなんてことはしないから、それが当たり前になっている。
もし明確な禁止事項として定められていないならば、自転車の持ち込みはアリということになる。だって、自転車が外で使用する乗り物とはいえ、当の我々はテナント・ビルに土足で乗り込んでいるじゃないか。ならば、自転車だってOKという理屈が通ってしまっても不思議ではない。
もっとも、我々がそんなことをしないのは狭い通路を自転車で通るなんて危険きわまりないとわかっているからだ。万一相手にケガでもさせてしまったら大変なことになる。それに何より他人に迷惑だろう。だからフツーの脳みそをもつ人は自転車を建物内に持ち込むなんてバカなことはしないのだ。
でも、実際に持ち込んでいるバカを見てしまうと、ホント呆気にとられる。大丈夫か?日本の常識。こんな奴が今後増えてくるのかねえ。空恐ろしいわ。
昨晩、出鼻をくじかれたので今日はリトライ。何度も書くが、マスゴミをはじめとしてこういう場合「リベンジ」と呼ぶが、この使い方は明らかに間違っている。リベンジは復讐の意味だから。再挑戦ならば意味からして「リトライ」もしくは「リチャレンジ」でなければおかしい。なのに、未だにバカの一つ覚えのようにリベンジ、リベンジと騒いでいる。アホか、まったく。誰かエライ人よ、早くこの悪習を正してくれまいか。
いきなり本題からズレてるし…。そうそう、リトライなのである。というものの、どこへ行くという目的があるわけじゃない。ただフラフラとクルマを走らせていた。
すると、東大和市のある場所にさしかかった時、そこだけがタイム・スリップしているじゃあ、あーりませんか。画像ではわかりにくいが、上方に横切る門のようなものがあり、そこには「名店会」とある。名店会、名店会ですよ!!
奥にはいくつかの飲み屋が営業しているようだった。細い小路に入って撮影しようと思ったが、店から偶然出てきたヨッパライに絡まれたら嫌なので遠巻きにしか撮ってない。それにしても、この一角だけ何か昭和30年代あたりの雰囲気のまま。その周囲にはモダーンなマンションとかアパートが建っているので余計に別世界に見えるのだ。
昭和のノスタルジー空間から程遠くないところには右のような歯医者が。「あまり」というのは、おそらく甘利という苗字なのだろう。でも、なんとなく「ウチはあまり腕が良くない歯医者ですよ」とか「どーせ余りものの歯医者ですよ…ブツブツ」と言っているようで、思わずパチリ。
もちろん実際どうなのかは知らない。知ろうとも思わない。けれど、きっと腕の立つ歯医者なのだろう(と信じたい)。
いきなり本題からズレてるし…。そうそう、リトライなのである。というものの、どこへ行くという目的があるわけじゃない。ただフラフラとクルマを走らせていた。
すると、東大和市のある場所にさしかかった時、そこだけがタイム・スリップしているじゃあ、あーりませんか。画像ではわかりにくいが、上方に横切る門のようなものがあり、そこには「名店会」とある。名店会、名店会ですよ!!
奥にはいくつかの飲み屋が営業しているようだった。細い小路に入って撮影しようと思ったが、店から偶然出てきたヨッパライに絡まれたら嫌なので遠巻きにしか撮ってない。それにしても、この一角だけ何か昭和30年代あたりの雰囲気のまま。その周囲にはモダーンなマンションとかアパートが建っているので余計に別世界に見えるのだ。
昭和のノスタルジー空間から程遠くないところには右のような歯医者が。「あまり」というのは、おそらく甘利という苗字なのだろう。でも、なんとなく「ウチはあまり腕が良くない歯医者ですよ」とか「どーせ余りものの歯医者ですよ…ブツブツ」と言っているようで、思わずパチリ。
もちろん実際どうなのかは知らない。知ろうとも思わない。けれど、きっと腕の立つ歯医者なのだろう(と信じたい)。
月末は忙しくてかなわん。昨日は講座。そのための準備をしなくちゃならなかったが、その前に批評を2本、朝までに入れた。休むヒマなく、すぐに講座の準備にかかる。
今回のテーマは「ラ・カンパネッラ」。もろちんリストの有名なピアノ曲だ。この作品を糸口に、カンパネッラ(鐘)がいかに西洋人のなかに息づいているのかを説明。そしてバード(1543-1623)の《鐘》からサインス=デ=ラ=マーサ(1903-82)の《暁の鐘》まで、鐘にまつわる作品をいろいろと聴く。本当はブローウェル(b.1939)の《鐘の鳴るキューバの風景》も聴こうと思ったが、うっかりディスクを持参するのを忘れた。
夜には演奏会に行く予定だったが、仕事じゃなかったのでキャンセル。いやいや、もう眠くてね。
帰宅してメシを食い、ホッとしたらここぞとばかりの睡魔。本能には勝てんのだ。
3時間ほどして我に返る。慌ててメールのチェック。丸一日チェックしないと100通ほどの未読メールがたまる。うんざりしながらも何とかこなす。さて、ドライブに行くかと思い立つも、雨で出鼻をくじかれる。とほほ。
そうだ、やらなくちゃならんことがあった。新譜ディスクを3枚試聴することを忘れていた。とりあえず聴いて、批評するか決める返事をしなければならない。それらを聴きながら、夜中でも構わず送られてくるメールをチェック。同時に昼間見るのを忘れていた携帯のメールもチェック。あ、招待演奏会の返事をマネジメントへファックスしなくちゃ。もう、わけがわからなくなる。
ホントかウソか知らないが、聖徳太子は同時に大勢の人の話を聞いて理解したという。それは、いうなれば大量の情報量をひとつの脳みそで同時に処理することでもある。日常的にそんなことをしていたとすれば、フツーの脳みそなら絶対に沸騰する。まかりまちがえば脳みそそのものが蒸発してしまうかもしれない。
いやー、天才はすごいねえ。
今回のテーマは「ラ・カンパネッラ」。もろちんリストの有名なピアノ曲だ。この作品を糸口に、カンパネッラ(鐘)がいかに西洋人のなかに息づいているのかを説明。そしてバード(1543-1623)の《鐘》からサインス=デ=ラ=マーサ(1903-82)の《暁の鐘》まで、鐘にまつわる作品をいろいろと聴く。本当はブローウェル(b.1939)の《鐘の鳴るキューバの風景》も聴こうと思ったが、うっかりディスクを持参するのを忘れた。
夜には演奏会に行く予定だったが、仕事じゃなかったのでキャンセル。いやいや、もう眠くてね。
帰宅してメシを食い、ホッとしたらここぞとばかりの睡魔。本能には勝てんのだ。
3時間ほどして我に返る。慌ててメールのチェック。丸一日チェックしないと100通ほどの未読メールがたまる。うんざりしながらも何とかこなす。さて、ドライブに行くかと思い立つも、雨で出鼻をくじかれる。とほほ。
そうだ、やらなくちゃならんことがあった。新譜ディスクを3枚試聴することを忘れていた。とりあえず聴いて、批評するか決める返事をしなければならない。それらを聴きながら、夜中でも構わず送られてくるメールをチェック。同時に昼間見るのを忘れていた携帯のメールもチェック。あ、招待演奏会の返事をマネジメントへファックスしなくちゃ。もう、わけがわからなくなる。
ホントかウソか知らないが、聖徳太子は同時に大勢の人の話を聞いて理解したという。それは、いうなれば大量の情報量をひとつの脳みそで同時に処理することでもある。日常的にそんなことをしていたとすれば、フツーの脳みそなら絶対に沸騰する。まかりまちがえば脳みそそのものが蒸発してしまうかもしれない。
いやー、天才はすごいねえ。