ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

まずは大人が態度で示せ

2006-03-04 04:14:09 | 脳みその日常
学生と話をしていて思うのは敬語が使えないこと。ワシなどはナメられているのか知らないが、親子ほど年齢が離れているのにタメぐちを使われることが多い。といってそれがケシカランとは思わない。そもそも後輩に対して威張るつもりもないし、第一、ワシは彼らの親でもないし、先生でもないわけだから。

ただ、気になったのは彼らが親に対しても敬語を使わないということ。親を敬う気持ちがないから当然敬語も使わないのだろう。これが日常化していれば誰に対しても敬語を流暢に使うことなどできるわけがない。なるほどねえ。

しかし彼らばかりが悪いのではない。ワシら親の世代にも責任はあるのだ。「子供とは友達感覚の付き合いが良い」とか「兄弟みたいな関係が理想」などというフザケタ考えをもって子供を育てる親も現にいる。だから困るのである。

親子関係に波風を立てたくないという気持ちはわかる。しかし、だからといって無理に子供の機嫌を取るような育て方は明らかに間違いだ。悪いことは悪い、良いことは良いと教えることこそ親の務めなのである。仮に親子が一時的に険悪なムードになっても、そんなのは気にすることではない。関係はそのうち修復されるから。それが「血」というものなのだ。

そもそも子供が親に敬語を使わないのは親が教えないからではない。親自身が子供から尊敬される生き方をしていないからではないか。たとえば、この人、凄いなと思えば、その人に対して自ずと敬語を使わなければと思うはず。なぜならその人に対してタメぐちをしたら失礼にあたると思うから。子供とはいえバカじゃない。そのへんはちゃんと見ている。

だからといって親が壮絶な生き方をしろというのではない。その人なりに「自分は一所懸命に生きているぞ」という姿勢を見せるだけでよいのだ。親が一所懸命頑張っていれば、子供はそれをちゃんと理解するし、頑張っている親に迷惑をかけまいと子供自身も襟を正すものだ。

毎年学生を「観察」していると、この子の親はこんな人なんだろうなということがわかる。たとえワシと仲良くなっても「親しい仲に礼儀あり」ということがわかっている学生はちゃんとワシに敬語を使って話す。親御さんの立派な躾が子供を通じてわかるのだ。でも、「ねえねえ、ちょっとー」などとワシに話しかける学生の場合、よくよく話を聞いてみると、まずダメ親である。子供の言動はまさに親の躾を浮き彫りにするのだ。

いや、まてよ。ワシがタメぐちで話しかけられるのはワシのほうにも原因があるのかもしれない。そんな彼らからすればワシなんて「敬う存在じゃねーよ、バーカ」と思っているからタメぐちなのかもしれん。うーん、イタイところを突くな。確かに的を射ているからそれについて反論はできないし…。

とほほほ。
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