ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

級友たちとの再会

2004-08-15 03:58:15 | 脳みその日常
ノンビリと下道を使って帰省するといいながら、結局峠をシビアに攻めながら行く。
嗚呼、我が闘争本能は収まらじ(笑)

ウン十年ぶりの級友たちとは、すぐに打ち解ける。
もっとも、すぐにその人とわからないのが数人いた。
身体が横に広がってしまったとか、化粧が上手くなったとかの理由で(笑)
今年75歳になる担任のS先生は体調不良にもかかわらず出席されたが、いろいろ話せて嬉しかった。

県庁職員のM君はワシと同様に遠路はるばる出席。
面白いなと思ったのは、M君がいかにも公務員というイメージがあったことだ。
仕事は人のキャラを決定づける要素があるのだろうか。
もしそうだとすれば、ワシなんてフーテンそのものだろうな(笑)
ええ、ええ、どーせ自由業ですからね。

級友のH(女性)などは、ワシを見て何て抜かしたと思う?
「うわー、まるでインチキっぽい詐欺師みたーい」だと。
うっさいわ !
頃合いを見計らって、こいつの家に「オレオレ詐欺」の電話でもかけてやることにしよう。(笑)
楽しみに待ってろよ、H。
森口博子に似てるとお世辞を言ってやったんだから、このぐらいの詐欺をしてもバチは当たらんだろう。
[壁]`∀´)Ψヶヶヶ

基本的に、どの人もさほど所帯染みた感じではなかったが、無理矢理次回幹事に決定させられた別のM君は、どー考えてもオヤジにしか見えない(笑)
不自由な頭髪と中年体型。
イメージとしては漫才の青空球児だな…「ゲロゲーロ」でお馴染みの。
子供の頃は本当にシャイで可愛らしい男の子だったのに、このような変貌を遂げるとはねえ。
神様も、罪なことをなさる。(爆笑)
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2カ年計画

2004-08-14 01:17:05 | 脳みその日常
流星群が見れなかった落胆にもめげず、わずかな睡眠の後、会議に出掛ける。
いやー、改めて今回の企画の壮大さに驚く。
それとともに今後、この仕事が2カ年計画のものであることに、今更ながら気づく。
早々に、全50タイトルの概要をワシが作らなければならない。
なぜって、ワシが監修者だから(泣)
F社長が気軽にワシにかけた「監修頼みます」という言葉が、今となっては恨めしく思える。
まー、しゃーない。
男たるもの、一度受けたものを断るわけにはいかん。
やったろーやないかいっ……来週から(笑)

この会議は、ほんの2時間ほどで終わったのだが、その後F社長と雑談に突入する。
なんか知らんが、F社長と話していると話が終わらない。
彼について、ワシはさんざんコキおろしているが、実はなかなかの人物である。
今となっては懐かしいLP時代から多くの企画を手がけた人なのだ。
時代の生き証人のような彼から、当時の話が聞けるというは本当に得難いことではある。
だから、話が尽きることはないというわけ。
そんなこんなしていたら、雑談が4時間にも及んでしまった。

ワシは当然、クルマでそこへ行ったので、彼と別れた瞬間に駐車料金にことを思い出す。
うはーっ、6時間も駐車しとるやん。
マ、マズイな…いくらになるんかな。
不安は的中。4,000円(泣)
うーん…これも授業料だと思ってプラス思考で乗り越えることにしよう。

さて、日付が変わって、今日は小学校時代の同級会だ。
会が始まるのは夕方なのだが、道路が渋滞しそうなので、あと数時間したら出発の予定。
でも、フツーに帰省したのでは面白くないので、交通量の少ない山道でノンビリ行くとするか。
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ペルセウス流星群

2004-08-13 04:47:19 | ドライブ関連
そうだった、ペルセウス流星群を見なくては…
夜空マニアのワシとしては見逃すわけにはいかない(笑)
夜の星を見るには、どうしても灯りのないところに行くしかない。
都内だと、ダメなのだ。
となると、ドライブ(笑)

うーん、どこに行けば見れそうかな。
出発したのが午前零時半なので、そう遠くまでは行けない。
うん、まあ青梅辺りまで行けば見れるか。
そんなわけで、岩蔵街道を下ってゆく。
確か、夜の岩蔵温泉って、暗かったよなー。
あの辺りならいいかも…

しかーし、先入観というのは恐ろしいもので、改めて行ってみると意外に明るい。
いや、明るいというより「街灯」がそこそこあるのだ。
うーん、これでは流星群を鑑賞するのに邪魔だなあ。
仕方ないので、その先の飯能パーク・カントリークラブまで足を伸ばす。
さすがに、この辺りまで来ると真っ暗だ。
よしよし、いーぞ。

と、ところが、流星群が見えるという北東の方角には「もや」がかかってるではないか !
( ̄Д ̄;) ガーン
しばらくそこで待ってみたが、一向に晴れる気配がない。
やはり横着したのがいけなかったのか。
んーー、残念 ! (ギター侍のパクリ)

しかし、気づいたことがあった。
もうここらへんには「秋」が来ていたのだ。
真っ暗闇の中で虫の声が、スゴイの何のって…

奴らの大合唱を背中に受けながら、ここを後にした。
その声が、まるで「やーい、負け犬 ! 」のように聞こえたのは錯覚だったか(泣)
クソー、今度こそバッチリ見てやるゾ。
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いよいよ…

2004-08-12 17:11:34 | 脳みその日常
F社長がゴソゴソやっていた企画がいよいよ始まることになった。
なんや知らんが、ワシはこの企画の監修をするらしい。
監修といったって、たいしたことをするわけじゃない。
商品が売れるようにアイデアを「あーだこーだ」出すだけさ。
あとは地を這うようにチマチマと依頼される原稿を書くのみ。
やだなー、こんなクソ暑い時にそんなことをせにゃならんとは。
(;´д`)トホホ
いずれにしても、年末までは少なくとも地獄のような日々が続きそうだ。
明日はその編成会議の初日。

昨晩も暑かったので、250kmばかりドライブ♪
埼玉の東松山から群馬の太田市、栃木の足利市あたりをフラフラ。
そういえば足利市民会館の担当者の人…えーと、誰だったっけ。
最近ご無沙汰してますが、お元気ですか?…って、こんなとこ見てるはずないか(笑)
有名アーティストばかり呼んでも、お客が入るっちうもんやないよ(苦笑)
そのうち連絡します…って、見てないか。

ドライブは、R50からR4に入って、東京方面に。
しばらく行くと、おおっ、さすが夏休みらしい光景に直面。
工事渋滞かと思いきや、熱で頭をヤラれたバカな兄ちゃんたちが下り車線を塞いどる。
ワシは上り車線だから影響がないかというと、そーでもない。
こっちもノロノロだ。
ワシも含め、みんな退屈だから面白半分に見物するため渋滞が起こったというわけ。
幸い、事故じゃなかったからよかったけどね。
いやな、R4って、夜中に走ると結構な確率で事故を目撃するんだわ。
ワシもその昔、居眠り運転の白いワーゲンと正面衝突しそうになったこともある。
あの時は、マジでビビったけどねえ。

みなさん、夏休みの運転は注意しましょう(笑)
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スポーツと友好

2004-08-11 05:05:55 | 脳みその日常
数日前に「反日運動」でモメたサッカー。
これを含め、しばしば思うのがスポーツと友好の関係だ。
建前としては、スポーツを通じて友好を深めるのを目的としている。
確かに文字通りそうなれば、やるに越したことはない。
だが、実際にはどうなんだろう。

スポーツといわれるもののほとんどは、競い合う性質をもっている。
それは、いわば両者が互いに対抗意識を持つことで成立しているといってもよい。
相手よりも多く点を取るとか、相手よりも速く走るというのが、それだ。
まあ、理想的な友好関係ならば、試合後に相手を称えることで幕引きとなろう。
それは選手レベルの話。

しかし、試合をするからには観客もしくはサポーターの意識も考慮しなければならない。
試合を観戦する人すべてが、敵味方に関係なく素晴らしいプレイを称えるのならよい。
「ナイス・チャレンジ」とか「ナイス・プレイ」もしくは「ナイス・ファイト」など。
ところが、ほとんどの観戦者はどちらかのチームを応援するもののようだ。
そうなると、ついつい感情的にゲームを観戦する結果に。
これが国家間の対戦になると話がややこしくなる。
なぜなら、目の前で繰り広げられているのは単なる試合なのだが、観客の意識には、いつの間にかナショナリズム(愛国主義)が芽生えるからだ。
すると、今回のサッカーのように、いつしか過去の歴史のことまで持ち出すバカが登場する。
問題外だけどな。
果たして、こんなことでスポーツが友好に寄与するものといえるだろうか。

友好を親善という言葉に置き換えても話は同じ。
試合に勝った側はいいさ。さぞ気分がいいだろうから。
でも、負けた側は面白くないよな?
なのに、勝った奴らとどうして心の底から仲良く出来るんだ?
どうも、そうは思えんがね。

相手を称えるということは、それなりの度量の大きさを意味する。
つまり、たとえ自分が負けても相手を受け入れられる気持ちがあるということ。
でもさ、スポーツする人って、基本的に負けず嫌いでしょ?
いくら彼らの性格がサバサバしているといっても、やっぱり負けたら悔しさは残るでしょ。
いや、逆に言えば、反骨精神とか闘争心がなければスポーツなんてできないよ。
ニコニコしてたら、相手に勝とうなんていう気持ちは失せるって。

そうした理由から、ワシはスポーツを通じた親善にはどうも根本的な矛盾があるんじゃないかと思っている。

もっとも、ワシはスポーツをすることがいけないと言ってるわけじゃない。
肉体や技能の鍛錬によって、人間の可能性を伸ばすことができるんだから、大いにやるべきだと思う。

余談だが、F-1はなぜみんなで走らなくちゃいけないんだろうか。
そもそもの目的ってさ、クルマの性能を向上させるためにやってんだろ?
だったら、何も一斉に走る意味はないと思うんだけどな。
むしろ、きちんとしたデータを取りたいのなら、タイム・トライアルで十分。
何も、命を粗末にしたり、マシンをクラッシュさせるこたーない。
まあ、F-1には娯楽的要素もあるんだろうから、仕方ないのかもしれないが。
でも、ムダなことをしていると思うね。
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弱いところからガタが来る

2004-08-10 19:00:58 | 脳みその日常
自慢でも何でもないが、ワシの交際範囲は広い。
医者、弁護士、裁判官はもとより、マル暴さんやその手下なんかとも知り合いだ。
むしろ同業者とはソリが合わないことが多い。
というよりも、同業者とは話していても面白くないんだよ。
だから、できるだけ接触しないようにしている。

昨晩は元マル暴のKさんと電話で久々に話をした。
Kさんは以前は東京に住んでいたが、事情があって今は九州の小倉に住んでいる。
小倉といえば、工藤会が仕切っている場所。
でも、Kさんはもうカタギの人なので、この組織とは無関係にひっそりと暮らしている。
話をしていても、つましい生活の様子が伝わってくる。

Kさんもかつてはそうだったらしいが、「現役」の人たちの生活はムチャクチャなんだそうだ。
カネに糸目をつけない遊び方をしてみたり、ヤクに手を出すなんてのもよくあったという。
「だけどね」と、Kさんは続ける。

  結局、若い頃のツケは、あとになって来るんだよ。
  知らずに肝炎になってて、30年後に突然発症して急死するなんてよくある。
  この世界の人間が48~50ぐらいで死ぬ人が多いのは、それなんだよね。
  みんなムチャやってきたから当然の報いなんだけどさ。
  オレもそろそろかなあ…

腹が据わっているといった感じの発言には、妙に説得力がある。
「いやー、Kさんは大丈夫ですよ」
そんなワシの言葉にもKさんは、ただ
「あははは、そうかね」と乾いた笑いで返すだけ。
達観しているのかな、この人。
語り口が穏やかなだけに、言葉で表現できないスゴさがあるのだ。

それにしても、本来弱いところからガタが出始めるというのは本当かもしれない。
人間は歳とともに老いる。
それも、すべての機能が同時にである。
となれば、使っていない箇所や筋肉にまず影響が出るのも道理だろう。
ましてや、患っているところがあれば、そこから悪くなる。

近年、一部の若者はコンビニなどの店先で無為な時間を過ごしている。
あのな、10代の頃ってのは勉強して脳みそを鍛えないとアカンのやで。
脳みそに刺激を与えることで、脳細胞はどんどん活性化されるのだ。
ところが、その大切な時期に脳みそを遊ばせておいたら脳の成長もそれまで。
あとになって、いくら取り返そうと思っても、絶対に無理。
20代の前半から脳細胞は、日に10万個ずつ死滅していくという。
活性化されなかった脳みその人は、やがては痴呆になる可能性だってあるかもしれない。
なぜなら、考える力が弱い、つまりはそれが弱点だから、そこからガタが生じてもおかしくないからさ。

いま遊ぶのは構わない。
でも、いまラクをしてても、そのツケが必ず将来返ってくることを忘れてはならない。
いろんな意味でね。
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語呂合わせ

2004-08-09 05:39:57 | 脳みその日常
いやー、どうもダラダラしててアカンな…ブログの更新のことだが(笑)

昨日は8月8日。ほぉ、ゾロ目やん。その時、ふと思った。
よく語呂合わせで「何とかの日」ってあるでしょ?
その論理で行けば、昨日は「母の日」であってもおかしくないはず。
でも、実際の母の日と呼ばれるのは五月の第2日曜日だよな。
モノの本によれば、これはアメリカで行なわれていたものを取り入れたのだとか。
その由来は知らんけど。
それにしても、日本は取り入れるのが好きやねえ。
8月8日のほうが覚えやすくていいと思うんだけどな。
もっとも、こんなクソ暑い時に祝われても迷惑か(笑)

「母の日」があるならば、当然「父の日」のことも触れなければ不公平だな。
これもモノの本によると六月の第3日曜日とある。
で、やっぱりアメリカで始まった行事が導入されたようだ。
こちらのほうの由来は、なんとなくわかっている。
なんでも、ダッド夫人という方がいて、この日、父の墓前に白いバラを供えたのがきっかけになったとか。
ふーん、それってさ、父親の命日か何かだったんじゃないのー?
しらんけど。
語呂合わせで「父の日」を決めるとしたらどうするか。
うーん…「ちち」なんて語呂合わせできんか。
そうだ、「とうさん」にすれば何とかなるな。
つまり10月3日だ。うんうん、バッチリぢゃないか。
覚えやすいし。
10月なら祝っても鬱陶しがられずに済むしな。

そんなことを考えているワシであるが、これまで両親にお祝いなんてしたことないんだわ。
それにはワシなりの理由がある。
彼らにも誕生日というのがある。
その時に祝われるのだから、何も改めて祝ってやる必要もあるまい。
ま、世の中に「長男の日」「長女の日」「次男の日」「次女の日」なんてのがあれば話は別だが(笑)
ああ、そんなのあるわけないよな。
仮に「長男の日」「長女の日」があったとしても、多人数兄弟の場合は何人いるかわからんわけだし。
「ボクの日がないぃぃぃぃぃぃい(泣)」とか、
「なんでワタシの日がないのぉぉぉぉぉぉぉ(泣)」なんてことになりかねないし。
わざわざ家庭不和の原因を作る必要もないか。

そうなのだ、みんな誕生日があるんだから、何も別の日に祝う必要はないのだ。
(* ̄Д ̄)え~っていう声も聞こえてきそうだな。
じゃあさ、父の日や母の日の前後に誕生日を迎える父母はどーよ?
今日は誕生日で、明日が父の日だとしたら、連続して祝うわけ?
そうするんだったらワシは何も言わん。
でも、たいがいは面倒くさいからどちらかの日にやるんじゃないのかな。
ほらー、そうすると記念日に近い誕生日の人は毎年祝われる回数が他の人よりも少ないことになるだろ?
たとえば、父親の誕生日は父の日に近くて、母親の誕生日は母の日から遠い場合はどうよ。
たぶん、父親は年に一度、母親は年に二度祝われるだろうな。
そーなると、とーさんはヒガむぞ。
(〃_ _)σ∥イヂイヂ・・・

これは、クリスマスが誕生日の人なんかにも通じる話だな。
もっとも、ワシは仏教徒なもんで関係ないが。
と言いつつ、4月8日のお釈迦様の誕生日をスルーしたワシは罰当たりですが(笑)
ええ、ええ、ワシはどーせ、なんちゃって仏教徒ですから。
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クレモナの響き…か?

2004-08-07 13:24:32 | 音楽あれこれ
昨晩は、ミラノ・スカラ弦楽合奏団の演奏会に行く。
もう8回目の来日だそうだ。
へー、そんなに何度も来ていたのか。しらんかった。
アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー

評判通り、確かに美しい音色だ。
楽員のボウイングも、きわめて自然だし。
ああ、楽器のせいかもしれないな。
マネジメントに確認していないが、おそらく12人すべての弦楽器はイタリア国内で制作されたものと思われる。
あの明るく美しい音色は、やはりクレモナの職人たちが作ったものと考えるのが妥当だろう。
だって、どれほどひっくり返っても、プラハの流派の音ではないからな。
だから、もうその音色を聴いただけで満足、満足。

昨夜はゲスト・プレーヤーとして、ヴァイオリンの渡辺玲子が出演する。
まあ、この人、テクニックには優れたものがあるが、なんであんなボウイングをするんだろうな。
いえね、弓のアップ、ダウンの「道筋」が違うんですわ。
だから、弓を速く動かすと、その軌跡はまるで「エックス(X)」のよう。
手首をよく観察してみると、ダウンの時に、手首を甲の側へ曲げるのが早いのと、腕を前に押し出すのが原因のようだ。
正直な話、ワシは弦楽器奏法には詳しくないので何とも言えないが、見た感じでは非常に無駄な力を使っているように思えてならない。
何事もそうだろうが、「ブレる」というのはあまりよい結果を生まないものだから。
それでも、なんとかなっているのは、きっとテクニックがそれを上回っているからに違いない。

それにしても、この人、シャベリからしてワシの苦手なタイプであーる(苦笑)
というのも、休憩のあとに、この人によるトークが少しあったのだが、そのトーンからして

「アタクシはプライドが高いのでございますことよ」

という雰囲気がプンプン。
まあ、それはそれで構わないんだが、もうちょっと愛想笑いぐらいしろよ。
昨日今日デビューした若手じゃないんだからさー。

それに、海外生活が長いのはわかるけど、だからといって何も、
「ツアー」を「トゥアー」とか、「コンサート」を「コンスァートゥ」みたいに発音しなくてもいいんじゃないか、と。
いや、つい原語読みになってしまうのは理解できないわけじゃない。
でもねー、なんかさ、そういうのを聞いてしまうと、つい背筋が寒くなるわけよ。

「アタクシは、スッペシャルな人間なんでござーますよ」

そのように、ワシには聞こえるんだが…
それって、ビンボー人のヒガミ? ええ、ええ、そうですとも。

ああ、でもね、ワシにとってキャラクター的に苦手な人であっても、演奏の内容と混同させませんからね。
そのへんはワシも一応「聴くプロ」だからさ。
あははは。
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継続は難しい

2004-08-06 04:57:19 | 脳みその日常
このブログは毎日更新しようと思っているのだが、なかなかそうもいかない。
昨日は何事においても中途半端で、反省することしきり。
久々の演奏会に行く予定も、その流れでキャンセルしてしまった。
あー、自己嫌悪。

で、気分を変えようと思い、ちょっと横になったら爆睡。
おかげで、ヘンな時間に目が覚めてしまった。
とーぜん、その日のうちにブログの更新も出来ず。
( ´△`)アァ-

重い気分のまま、深夜にテレビをつけると「重い番組」が…
福祉に対して懸命に取り組んだ官僚が、理想と現実との狭間で自殺する、というもの。
あちゃー、ますます気分が滅入ってきたな。

いかん、自分の精神状態の凹みを他人のせいにしとるやん。
よし ! 今日こそは演奏会に行くぞ(笑)
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マスネのピアノ音楽

2004-08-04 18:40:53 | 音楽あれこれ
マスネ(1844-1912)といえば《タイスの瞑想曲》が最もよく知られている。
いや、正確にいえば、歌劇《タイス》の中で演奏される「瞑想曲」のこと。
1894年に初演されたこの作品は、アナトール・フランス(1844-1924)の同名の小説に基づく。
確かにロマンチックないい曲だよな。
でもね、ピアノ曲にもいい曲があるんだよー。
さすが歌劇を多く書いた作曲家だけあって、曲によってはドラマチックだったりもする。
ま、我が国では「えー、マスネなんて…」ぐらいの評価だが、こういう曲を聴いたりすると考えも変わるハズ。
ちなみに、ここにアップしたのはEMIの盤だが、フランスEMIが制作した輸入盤です。(7243 5 85517 2 3)
言うまでもないが、フランスEMIは、アナトール・フランスとは何の関係もない(笑)
いわばフランスにあるEMIレーベルのこと。
日本だと東芝EMIがそれに相当する。

そういえば、最近の東芝EMIは元気がないねえ。(クラシックに関して)
日本独自のオリジナル録音なんて、まずやってないもんな。
国内盤のリリースといっても、所詮本家EMIのマスターテープを取り寄せてCD化し、日本語の解説をつけただけのものだし。
もちろん、それは東芝EMIに限ったことじゃない。
ほぼすべてのレコード会社が横並びで同じことをしている。
これじゃ、まるで輸入代理店とかわらんだろ。(蔑)
あのさー、仮にも夢を売る商売なんだからさ、もっとクリエイティブなことしようぜ。
たとえば、隠れた人材を発掘するとかさ。
前向きなことを何一つしないくせに「CDが売れないんですよねー」って言うなっ。
そんなことじゃ、いつまでたってもクラシック音楽は「日陰者扱い」されるばかりだぞ。
なんなら、ワシに何かやらせてみたら?(笑)
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厳しいだろうね

2004-08-03 23:21:07 | 脳みその日常
今朝方は、ぶらりとドライブ。
ほんの120kmの距離なのに、かなり走った気分だった。
夏バテか?
いやー、そうでもないと思うけど。(自問自答すなっ)

ああ、コースね。
そうだった、そうだった。
えーっと、まずは数日前に走って気分がよかったR298を大泉から出発。
ワシの持っている古ぼけた地図だと、終点は三郷になっている。
実際はどうなんだろう。
確認はしていない。
じゃあ、行ってみよう ! というのが今回の動機。

で、R298をどんどん行くと、あらまあ、金町のチョイ先の水戸街道まで続いてるぢゃないか。
へぇー、知らんかったわ。
金町といえば、昔このあたりのファミレスに配送に来ていたっけ。
そうだ ! 柴又街道があったな。
懐かしいので、走ってみる(笑)
途中にある柴又帝釈天は、もちろん映画「寅さん」で有名な場所。
まあ、深夜なので関係ないが…

そして、蔵前橋通りとの交差点を右折して道なりに行く。
しばらく行くと環七が出てきたので、左折。
どんどん、どんどん行く。一之江、葛西を横目に見ながら…
どん突きは、当然湾岸道路。
もちろん高速なんて乗らない。
並走するR357を辰巳方面へ。

羽田から環八に合流して、しばし行くと産業道路が登場するので、こいつを左折。
そのまま鶴見のほうへ行ってもいいのだが、時間がもう午前4時近いのでやめる。
そこで側道に入る。
この道は、いわば多摩川沿いに走る道で、ある種の抜け道だ。ホント、狭いけど。
ガス橋を渡って、R409を府中方面に向かう。
さすがにこの時間だと道は空いているので、ルンルン気分になる。
あちゃー、そろそろ空が明るくなってきたな。
しゃーないので、世田谷通り経由で帰宅。


ところで、長嶋茂雄氏がアテネに行かないことを発表した。
うんうん、賢明な判断だわ。
というより、なんとか行ったとしても、アカンと思う。
脳梗塞という病気は、ホンマしつこいのだ。
残念ながら完治する病気じゃないので、その後何度も発症する。
その繰り返しで、結局はアノ世に旅立つことになるのだ。
ワシのおふくろも、そうだったし。
長嶋ファンには悪いが、彼はもう以前のような「ミスター」には戻れないだろう。
悲しいが、それが現実だ。
彼の勇姿は、我々の記憶の中にしまっておこうな。
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文豪はタダモノではない

2004-08-02 23:56:23 | 脳みその日常
一芸に秀でることは、容易いことではない。
ましてや、自分の専門以外の領域で玄人はだしの作品を残せるとしたら…
そりゃもう、天賦の才能があったとしか言いようがないな。

アップした画像は、オモシロ企画のCDであーる。(KKCC 3007)
これはロシアの文豪と呼ばれる人々が、実は作曲もしていたから聴いてね、というもの。
収録されているのは、トルストイ、グリボエードフ、パステルナークなどなど。
いずれもロシア文学の世界では重要な役割を担った人物たちである。

もちろん彼らは「趣味」として作曲したに違いない。
同時代の作曲家の作品などと比較すれば、確かにパッとしない小品ばかりである。
だからといって、「なんだー、ダメじゃん」と切り捨てるのは簡単だ。
繰り返すが、これらはあくまで趣味で書かれた作品なのである。
その視点でとらえるならば、「いやー、すごいねえ」といわざるを得ない。

たとえば、オドエフスキー(1803-1869)の《ワルツ》なんてロマンチックだぞー。
この人は本業のほうでは『ロシアの夜々』などで知られる作家であるが、
実は音楽評論家としても活躍したことで知られている。
おそらく音楽の素養もあったのだろうな。
でも、注目はパステルナーク(1890-1960)の変ホ短調の《前奏曲》かもしれんな。
まるで、作曲家スクリャービン(1872-1915)のパクリだもん(笑)

このCDには、文豪のほかにも画家や舞台芸術家などが作曲した音楽も収録されている。
トレチャコフ美術館に収蔵されている『長官からの結婚の申し出』(1848)で知られる画家フェドートフ(1815-1852)の歌曲などは実に可憐だ。
また、ロシア・バレエ団を主宰したディアギレフ(1872-1929)の歌曲も、なかなか聴き応えがある。

一聴をオススメしたいCDだ。
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反動?

2004-08-01 23:51:59 | 脳みその日常
正直なところ、先月はイマイチ気分が乗らなかったな。
もちろん暑さが原因だったことは否めない。
しかし、そうもいってられない。
何しろワシはどこにも所属していないので、自分が動かなければ何も始まらないからだ。
そんなことは当たり前のことなのだが、とにかく先月は動く気にならなかった。

嗚呼、堕落して行く自分…
イカン、イカン。こんなことでどーする。
ふと、昨日あたりからファイトがわいてきた。
持ち前の負けん気と根性に火がついたのかもしれん。
よーし、今月は充実した時間を過ごすぞ !

それにしても「適応障害」って何だよ?
新しい環境になって、もう10数年経ってるのに今更って感じがするのはワシだけか?
一般的な感覚でいえば、新環境になって適応できないと感じるのは数ヶ月もあれば十分。
ワシなんか、アカンと思うたら、とっとと辞めますぜ。
そりゃまあ、アノ方々の世界はワシらの世界とは違うんだろうが、でもねえ…

ワシはサヨクでも何でもないのだが、どーにもわからんことがある。
それは、民主主義の時代にあって、なぜアノ方たちが特別扱いされるのかということ。
昭和の時代には、そのトップの人が「人間宣言」したわけでしょ?
確かに憲法には「象徴」扱いされている。
でも、よくよく考えてみても、その象徴の意味がわからんのです。
何のために象徴でいる必要があるんだろうか。
エライ歴史学者なんかは、アノ方々の過去の歴史について言及される。
でも、それは歴史上のことでしょ?
今の時代にあって、アノ方々はワシらにどのような影響力をもたらしてるんだい?

心のよりどころ?
熱心なウヨクの人たちは、そう言うかもしれない。
別に「心のよりどころ」にすることが間違いといってるんじゃない。
アノ方々を称えることに生き甲斐を感じているのなら、それはそれでよい。
でもさ、信教の自由が認められているこの国においては、そう思わない人だっているわけじゃん。
なのに、公的な場にアノ方々が現われたら、なんでみんな「へえこら」するんだ?
まるで手のひらを返したように…

演奏会に行くと、アノ方々が時折来ることがある。
すると、聴衆はみなそちらのほうを向いて拍手喝采する。
なぜそんなことをしなきゃならんのだ?
仮にも、その演奏会の主役はアーティストだろ?
アノ方々は、ワシらと同じように演奏を聴きに来ただけじゃん。
つまりは、彼らも単なる聴衆に過ぎないということさ。
だから、ワシは作り笑顔をして拍手喝采なんぞ絶対にしない。
する意味がないからね。
でも、何も考えてない聴衆どもは、満面の笑みを浮かべる。
何がそんなに嬉しいんだ?
そこまでして、アノ方々に気に入られたいのか?
コイツら、魂を売ってるんじゃなかろうか。

いや、結局は、みんな権威主義に毒されているんだな。
エライ人、有名な人にニコニコしておけば、波風は立たない。
そりゃ、そーかもしれん。
でもな、そんなことを続けているから特権階級はつけあがるんだよ。
そして調子こいた特権階級が世の中を動かす。
社会をミスリードするのも当然だろ。
なのに、みんなニコニコ…

かなしいね、肝っ玉のちいせえ小市民は。
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