ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

反動?

2004-08-01 23:51:59 | 脳みその日常
正直なところ、先月はイマイチ気分が乗らなかったな。
もちろん暑さが原因だったことは否めない。
しかし、そうもいってられない。
何しろワシはどこにも所属していないので、自分が動かなければ何も始まらないからだ。
そんなことは当たり前のことなのだが、とにかく先月は動く気にならなかった。

嗚呼、堕落して行く自分…
イカン、イカン。こんなことでどーする。
ふと、昨日あたりからファイトがわいてきた。
持ち前の負けん気と根性に火がついたのかもしれん。
よーし、今月は充実した時間を過ごすぞ !

それにしても「適応障害」って何だよ?
新しい環境になって、もう10数年経ってるのに今更って感じがするのはワシだけか?
一般的な感覚でいえば、新環境になって適応できないと感じるのは数ヶ月もあれば十分。
ワシなんか、アカンと思うたら、とっとと辞めますぜ。
そりゃまあ、アノ方々の世界はワシらの世界とは違うんだろうが、でもねえ…

ワシはサヨクでも何でもないのだが、どーにもわからんことがある。
それは、民主主義の時代にあって、なぜアノ方たちが特別扱いされるのかということ。
昭和の時代には、そのトップの人が「人間宣言」したわけでしょ?
確かに憲法には「象徴」扱いされている。
でも、よくよく考えてみても、その象徴の意味がわからんのです。
何のために象徴でいる必要があるんだろうか。
エライ歴史学者なんかは、アノ方々の過去の歴史について言及される。
でも、それは歴史上のことでしょ?
今の時代にあって、アノ方々はワシらにどのような影響力をもたらしてるんだい?

心のよりどころ?
熱心なウヨクの人たちは、そう言うかもしれない。
別に「心のよりどころ」にすることが間違いといってるんじゃない。
アノ方々を称えることに生き甲斐を感じているのなら、それはそれでよい。
でもさ、信教の自由が認められているこの国においては、そう思わない人だっているわけじゃん。
なのに、公的な場にアノ方々が現われたら、なんでみんな「へえこら」するんだ?
まるで手のひらを返したように…

演奏会に行くと、アノ方々が時折来ることがある。
すると、聴衆はみなそちらのほうを向いて拍手喝采する。
なぜそんなことをしなきゃならんのだ?
仮にも、その演奏会の主役はアーティストだろ?
アノ方々は、ワシらと同じように演奏を聴きに来ただけじゃん。
つまりは、彼らも単なる聴衆に過ぎないということさ。
だから、ワシは作り笑顔をして拍手喝采なんぞ絶対にしない。
する意味がないからね。
でも、何も考えてない聴衆どもは、満面の笑みを浮かべる。
何がそんなに嬉しいんだ?
そこまでして、アノ方々に気に入られたいのか?
コイツら、魂を売ってるんじゃなかろうか。

いや、結局は、みんな権威主義に毒されているんだな。
エライ人、有名な人にニコニコしておけば、波風は立たない。
そりゃ、そーかもしれん。
でもな、そんなことを続けているから特権階級はつけあがるんだよ。
そして調子こいた特権階級が世の中を動かす。
社会をミスリードするのも当然だろ。
なのに、みんなニコニコ…

かなしいね、肝っ玉のちいせえ小市民は。
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