どーも、ワシです。えー、今回は宮城県気仙沼市本吉町菖蒲沢(けせんぬまし もとよしちょう しょうぶざわ)にある沖の田川水系の菖蒲沢ダムを目指します。アクセスは「気仙沼カントリークラブ」を目指し、目的地はその西側になります。
南側の堤を登っていくと、こんな感じ。
坂を登り切ると、そこはダム横。左岸側から見た様子がこちら。
ここには「記念碑」と題された石碑があります。ただ、苔むしていて読めない部分が多いので全文転記はできません。そこで要約すると次のような内容が記されています。
「この地域は毎年深刻な水不足に悩まされていた。そこで昭和35年2月8日に溜池を新設するための土地改良区が設立される。そして昭和36年3月、工事に着工し、昭和41年に完成。すべての付帯工事が終了したのち、昭和58年4月27日、土地改良区は解散となり、以後ため池の管理は菖蒲沢ダム水利組合に委託する。このダムに関しては初代理事長の鈴木軍太郎氏の功績は賞賛されるべきものであり、彼のサポートをした畠山仁氏の功績も忘れてはならない。しかし畠山氏はダムがもう少しで完成という直前に病に倒れ帰らぬ人となったのは非常に残念であった。」
…と、こんな内容が昭和58年6月23日に建立された石碑に記されています。
左岸、上流側から見たダムの様子。
では、ダム上を歩いてみましょう。中央付近から見た上流方向の景色。
一方、下流方向を眺めるとこんな感じ。
どこまでがダム上なのかわかりにくい構造ですが、なんとなく右岸側から眺めます。写真を撮り忘れましたが、洪水吐はこの背後の右岸側にあります。
それにしても「記念碑」以外の案内板が見当たらないので別の道から上流側に来てみました。そこから見たダムの様子。
その近くに「菖蒲沢ダム工事概要」と書かれた表示板があります。この表示では昭和34年に着工されたと書かれています。その後貯水機能を高めるため平成6年から翌年にかけて長年堆積した土砂を除去し用水の安定供給を実現。この用水は近隣の農地整備に有効活用されているそうな。なお、諸元を見ると名称は確かに「菖蒲沢ダム」ですが、堤の高さが11.895mとあるので定義上は堰堤となります。
ただ、地元では「菖蒲沢ため池」と呼ばれているようです。また、実はこの地には1547年にはすでにため池が築造されていたようで、それを利用・改良して築造されたのが現在の菖蒲沢ダム(堰堤)のようです。(参考)(参考)
南側の堤を登っていくと、こんな感じ。
坂を登り切ると、そこはダム横。左岸側から見た様子がこちら。
ここには「記念碑」と題された石碑があります。ただ、苔むしていて読めない部分が多いので全文転記はできません。そこで要約すると次のような内容が記されています。
「この地域は毎年深刻な水不足に悩まされていた。そこで昭和35年2月8日に溜池を新設するための土地改良区が設立される。そして昭和36年3月、工事に着工し、昭和41年に完成。すべての付帯工事が終了したのち、昭和58年4月27日、土地改良区は解散となり、以後ため池の管理は菖蒲沢ダム水利組合に委託する。このダムに関しては初代理事長の鈴木軍太郎氏の功績は賞賛されるべきものであり、彼のサポートをした畠山仁氏の功績も忘れてはならない。しかし畠山氏はダムがもう少しで完成という直前に病に倒れ帰らぬ人となったのは非常に残念であった。」
…と、こんな内容が昭和58年6月23日に建立された石碑に記されています。
左岸、上流側から見たダムの様子。
では、ダム上を歩いてみましょう。中央付近から見た上流方向の景色。
一方、下流方向を眺めるとこんな感じ。
どこまでがダム上なのかわかりにくい構造ですが、なんとなく右岸側から眺めます。写真を撮り忘れましたが、洪水吐はこの背後の右岸側にあります。
それにしても「記念碑」以外の案内板が見当たらないので別の道から上流側に来てみました。そこから見たダムの様子。
その近くに「菖蒲沢ダム工事概要」と書かれた表示板があります。この表示では昭和34年に着工されたと書かれています。その後貯水機能を高めるため平成6年から翌年にかけて長年堆積した土砂を除去し用水の安定供給を実現。この用水は近隣の農地整備に有効活用されているそうな。なお、諸元を見ると名称は確かに「菖蒲沢ダム」ですが、堤の高さが11.895mとあるので定義上は堰堤となります。
ただ、地元では「菖蒲沢ため池」と呼ばれているようです。また、実はこの地には1547年にはすでにため池が築造されていたようで、それを利用・改良して築造されたのが現在の菖蒲沢ダム(堰堤)のようです。(参考)(参考)