ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

実は後期高齢者…本沢ダム

2024-07-01 06:58:35 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県上山市狸森(うえのやまし むじなもり)にある最上川水系の本沢(もとさわ)ダムを目指します。ダム名はそこを流れる本沢川を堰き止めて築造されたことに由来するようです。アクセスは国道348号(県道5号)沿いにあるので迷うことはありません。

その目印となるのはこの看板。

これが左岸から見たダム上。行ってみましょう。

ダム上、中央には二つの石碑があります。

左側の石碑は「顕彰碑」と題されたもので、その下には「村造る第一歩はダムの完成 苦難克服の勲尊し/哀草果」と記されています。哀草果とは山形市菅沢出身の詩人、結城哀草果(ゆうき・あいそうか:1893-1974)のことで、本名は黒沼光三郎(くろぬま・みつざぶろう)。斎藤茂吉に師事しつつも、生涯を山形市菅沢で暮らしたことで知られています。

一方、右側の石碑は「本沢貯水池開鑿記念碑」と題されたもので、築造の経緯が記されています。以下、転記すると次の通り。

「昭和十七年九月食糧増産の国家的要請により本沢村民が多年希望していた旱害対策として本沢川上流に貯水池を作ることになったが県の激励と関係土地所有者の協力を得て実際に着工したのは翌年の十一月であったたまたま第二次世界大戦の影響で労力と資材の欠乏は深刻を極めたが村民の熱意はよくこれを克服し遂に昭和二十三年五月貯水量約十六万立方米に及ぶ貯水池の竣工を見るに至ったのである起工以来五ヶ年の歳月と四百余万円の工事費を費し出役人夫も四万人に近かった面積三、八ヘクタール余深さ十七米の水は四方の山容を映して母の愛情の如くゆたかに湛えている県知事はこれに本沢貯水池と命名した。顧みれば村人は長い間水不足に苦しんで来たがこの貯水池によって本沢地区の水田はまこと美田の名に相応しいものとなった本沢土地改良区はその権益継承と泥吐鉄扉の完成を機会にここに開鑿の概要を記してその業績を永く伝えようとするものである。
  昭和三十六年十月 本沢土地改良区撰文」

ダム上、中央から見た上流方向の景色。空気が澄んでいるのが写真からもわかりますね。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。向こうに見えるガードレールのところが国道348号。

右岸側には越流式の洪水吐があります。

その洪水吐付近から左岸側を見るとこんな感じ。

ダム上、中央から見た下流方向の様子。


本沢ダムはダム便覧に載っていて、それによれば高さは17.5mで、長さが81.2mとあります。そして着工は1991年、竣工は2004年と記されています(参考)。この記述からするとこのダムは意外に新しいという印象をもつことでしょう。しかしながら上の石碑にも記されているようにその原型である本沢貯水池は今から76年も前の昭和23年(1948年)5月に竣工しています。ダム便覧にはそのことが全く触れられていません。ダムとしての改良工事が終了したのはおそらく2004年なのでしょうが、母体となっている本沢貯水池のことに言及していないのは片手落ちと言わざるを得ません。だから記載されているデータを鵜呑みにしてはいかんのです。

ちなみに神奈川県相模原市緑区にも同名のダムがあります。当ブログでは「本沢調整池」として2019年に訪れていますが、こちらは「ほんざわ」と読みます。
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