湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/15 まもなく浜降祭 訪問看護医療と介護福祉活動の専門職との接点作り

2012-07-16 05:50:58 | 引きこもり
2012/07/16 記
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市民活動センター関連の登録団体リストから、見守り支援に係わっていそうな団体のところに電話を入れている。連休中は実に留守が多い。高齢者介護関連の団体は、災害ボランティア自身に係わっているところが少なく、ソーシャル・ビジネスのように営業活動しているところもある。しかし困った。話し出すと被災地にいくことは不可能というところばかり。結局出かけている方は、NPOでさえ、個人で出かけているように感じる。被災地の訪問看護・介護に係わっている方の支援というだけで、無理と断じられてしまう。常識的にはそうだ。しかし訪問支援は専門職のみの仕事ではない。外からはプライバシーと守秘義務を問題にし、内からは信頼が絆の仕事だから、長期滞在者でないと手伝いにもならない、よそ者ではという話になる。

このようにNPOは参加規制下にあった。しかし、地元関連行政担当者の不足は目に余るものがある。他府県行政からの支援が入っているが、百歩引いて、いわゆる職場や家事経営には一線から引き、ただ足が弱って遠出が出来ない。嫁や娘に家庭を任せたものの、嫁や娘が集まっているサロン・食事会・共同作業の輪には年齢差があって、入っていけないという仮設の在宅介護の当事者であり、孤立傾向にある方と、傷病や障碍を持ち常時保護下に置かねばならぬ方とでは、後者に巡回の重心を置いてもらい、前者は医療ケアの連携下で外出支援するところでNPOと接点を持つという連携支援が出来ないか。いわゆる訪問看護医療の外周にあたる方で、孤立傾向にある方を支える個別支援をつくる。

マイクロバスではなく、小型車で外出を保証する支援と、買物・通院・入湯・他宅訪問などに寄り添う支援は、複数NPOの連携でできるだろう。この「寄り添い」と「車による外出支援」、「家と車まで移動補助する外出支援」「様子のレポートを地元行政訪問看護・介護関係者に出す活動」などの活動を結びつけば、このそれぞれは短期訪問ボランティアでも、連携することができる。専門職の訪問活動の外周に活動が立ち上げうるのだ。男性的な(笑)発想をしてみよう。車椅子を積み込んだ車で、被災地に行って、指示された家庭の高齢の方を車椅子に乗せ、車に乗せて移動し、連れ添うというボランティアや、車椅子を積み込んだマイクロバスで巡回し、定点で高齢者を車椅子に乗せたまま、定点待機の寄り添いボランティアに受け渡して買物・通院・入湯・他宅訪問などに寄り添うというスタイルもありうる。私が考えているのは、杖と補助者を整えれば歩けるという方にウェイトがかかっている。要は、「個別・外出支援」である。

これによって、被災地訪問可能なボランティアの見守り支援のNPOの仕事領域を生み出す事(これは障碍者にも有効なはず)、車椅子補助と繁華街側(盛駅周辺のような)休憩所設置活動は非被災地の募金型活動だが、非被災地の住民参加の形が取れるし、民間交流方の懇談会を繰り返すことで、次の企画も出てこよう。

阪神淡路の震災のとき、孤立死をした方が出てきたのは2年目からだった。この外出支援が、孤立化抑制になると思う。

生活支援に比重を移す災害ボランティアの流れを作って行きたい。湘南で車を陸前高田広田町の若手ボランティアに送り、この広田町周辺をモデル地域にして、外出支援をする立ち上げの活動をしたい。専門職や専門職の卵を含んだ仕掛人の会を作りたい。なんとしてでも、専門学校巡回はやり遂げたい。

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A子に会った。懐かしい。元の居宅があった海老名(座間だが)で話した。アジアン・ハーフの子なのだが、若干太った。食生活の変化のせいだろう。私に彼を紹介してくれた。明日は鶴岡八幡宮に行くという。相手は台湾系中国人の若者だった。パフェを食うのをじっとみながら、アイスレモンティーを無糖で飲んでいた。歳を食ったなあと、爺ぃ面で、若い二人をみながら思った。

母が初めて焼イカをつまんだ。生姜醤油。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)


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7/14 地域保健医療・福祉領域への協力活動をつくるということ

2012-07-15 05:15:16 | 引きこもり
2012/07/14 記
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今、自分が広田半島の地域保健医療福祉を社会活動として応援していく、その非被災地の活動の形を作っていくにあたって、何が障害となっているのか、それを考えていた。

ひとつは、見守り支援活動といわれている活動が、SNSをみていても、間際に迫った企画行事の断片しか伝わってこないこと。昨日は小友町モビリア仮設で、200人規模で大きな樋の流し素麺をやったという。以前、私がモビリア仮設に入ったとき、私の応対に出てくれた方から、最近の情報収集をしようと携帯に電話したところ、彼女はモビリア仮設の入居者ではなく、支援者であったこと、これには必ず確認をする私は、勘違いに驚いた。彼女が当時「ありがとうございます」といっていたことは、彼女の活動を支援してくれてありがとうの意味で、私の伝えて欲しいと望んだ仮設入居者の方々への援助意志表示のメッセージは、仮設入居者にはつたえられていなかった。大きな図書プレゼントの企画の助成を行なった資金提供団体の方と話したことは、モビリア訪問時、図書室ボラの代表の吉田さんに伝えていただけなかっことがわかった。助成団体のボラさんは知らず、吉田さんへの連絡方法を求めて、再度彼に連絡したところ、メールは、なしのつぶてになってしまった。伏線の伏線で、訪問時、図書管理をされていた娘さんに手紙を託して、やっと渡してくれたことがわかったが、この方も入居者ではなく、近隣地域ボランティアさんだった。書籍の提供の申し出ひとつとっても、依頼は伏線の伏線ぐらい張るのは当たり前の感じで、大事なことの空振り自体も、注意していないと遠方からは現場の状況がマスキングされて見えてこない。

結局は訪問滞在型の活動をして、常に現地にいなければ、日々の状況が全く見えない。その情報源も、当人の身元確認をしていたにもかかわらず、当事者代理という感覚なのだろうか、当事者として振舞い、それなのに、その後の問い合わせにも、なかなか応答してくれない、つまり伝言してくれていないのだった。

陸前高田の社協では、行政関係者以外は担当者が窓口になっていて、「今、担当者がいないから、明日来てくれ」となる。アポを他団体の担当者と取る時にも、この軽い日程感覚が邪魔をして、現地2泊バス2泊の旅でも、彼の言う「明日」には、私は東京に戻っているという事態が起きる。つまり長期滞在でないと、あらゆる活動が指の間からすり抜けてしまうのだ。だから伏線の伏線でようやく綱渡りしている。

この「現地の状況」が探っても見えないという壁、これがある。災害ボランティアは活動が組織化しているわけではないので、個人の印象でもいいから、統括して「見る」ということを求めるために、現地レポーターをお願いしている。三井君もそのひとりだが、彼はとにかく忙しい。もうひとりは、訪問したときでないと、なかなか話はルポできない。残り一人は地元の方だが、こちらがまだ支援を提供しないで、情報をよこせとは言い出せない。私が広田町を訪問したときでないと、なかなか町の情報をいただけないという現状がある。数ヶ月に一度の訪問では、とても埋めきれない。

広田町通信は、その内容が生活再建活動のひとコマ画像、特に見守り支援活動のスナップを送っていただき、湘南各地に画像を掲示していくことで、活動の様子を湘南に還元して行く。そういうフォトニュースを作り配布する活動をし、湘南の諸行事で託された活動や応援のメッセージをまとめ、仮設や、みなし仮設に伝えていくという活動や、湘南で懇親会をひらき、民間交流を積み上げていく段取りの活動を生み出したい。

そのためにも、現地の眼と情報収集の協力者ルートをなんとか確立したいのだ。もっともっと必要な情報が欲しい。

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次に巡回文庫を巡る話だ。これも前者の「壁」に関係してくるが、実は広田半島地域にも、いくつもの文庫活動が入っている。これが現場に行ってみないと、どこにどのくらいの、そして対象がどの年齢層の書籍が入っているか、それがわからないのだ。

現状から言えば、子ども向き書籍が圧倒的で、大人向けの本は、「被災からの生活再建」という状況下で、書籍を利用するゆとりがあるのかどうか、実用書なら何が必要かという探索が必要だ。漠然と本を贈りつければ、書籍の死蔵は目に見えている。だから私たちは、子育てと、子育て中のママさんたちへの実用書は、他の団体さんにお任せして、こちらは高齢者向け雑誌・文字の大きめ&ビジュアルな書籍と実用書を選んで贈り、何回か定期的に巡回交換。要望を聞き、新中古本に該当する書籍がなければ、予算の範囲で新刊を買って届けるという形を個性としたい。

その要望を取りまとめる巡回ボランティアを三井君だけではなく、地元の図書管理の方と直接つながり話したい。

実は巡回文庫には、裏の意味もあった。それは巡回活動を通じて、仮設入居者の方とつながる手立てをとりつつ、外出困難な方の買出し・通院・(銭湯)入湯などの個別の方の外出支援を車を使って行なうというものだった。

しかしこれも、同伴支援者との連携が必要だ。また対象が障がいや高齢の方なので、訪問看護師さんや保健師さんなどのプロの行政関係者の方の援助になっている必要がある。連携をとりたい、しかしまだ実体がない。

つまり現地でやることは山積している。三井君は復興支援全般、特に就労・就業支援も支援しているので、彼の文庫アシスタント兼なんでも屋の御用聞きさんを探したい。

添付ファイルを時には送るので、旧態だがメーリングリストを作り、議論を作ると考えたこともあった。しかしそれは被災者を手前味噌の枠に囲い込むという失礼にあたる。だから広田半島通信は画像掲示を基本にしたある意味、他力本願の交流活動をとなった。

ところが日々地元の方と接触している方には、文庫などの仲介しなくとも、要望をきくことができるだろう。ここに空転がある。しかしそれでは被災地の状況は、割り込み活動(文庫)がなければ非被災地には伝わらない。となれば、むしろ巡回文庫に独自の意味合いを持たせるべきだろう。ここで文庫巡回と、なんでも屋・御用聞き人材がいる。この人材不足がもうひとつの「壁」だ。

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目を転じて、湘南を見てみよう。茅ヶ崎は宮城勢が圧倒的だが、岩手では大槌町の見守り支援ボランティアの方がいる。ところが気仙地方とつながっていない。陸前高田・大船渡の気仙地方の見守り支援者がいても、つながっていない。これが問題。鎌倉市には大船渡のサンマやワカメの販売活動をされている。茅ヶ崎に陸前高田に入っている方がひとりいらっしゃる。しかし噂しかきいたことがなく、全くつながれない。

この非被災地の活動人材獲得は、難を極めている。ならば積極的に呼びかけ、作っていこうということで、関係団体企画や、大学祭、関係団体回りをしていく。医療系大学や専門学校をまわるのも、地域保健医療福祉の専門職のネットワーク・セクターに参加してもらうという構造上の役割も有るが、社会活動の人材獲得の意味もある。ドンキホーテ的ではあるが、砂に埋れる前に、とにかく続けよう。

市の防災への私の関わりは、災害ボランティアの提案がすべて無視されたとき、食い下がる背水の領域でもある。それも拒否されたときは、私が個人として黙って現地訪問を続けるまでだ。言葉が通うことを願いともかく続けていく。

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21日は故伯母の百か日になる。帰りに真っ黒けの暑苦しい格好で、神奈川県立保健福祉大学の**氏と会いたい。だから会えないかと先ほどメールした。相談は認知症ケアの地域サポートの関係である。会えるといいのだが。

寒気のする新聞データ。

●「認知症、被災地で深刻化=震災後の環境変化が要因」

すでに専門職だけに任せておけばいい問題ではないのだ。


夜間傾聴:A子(仮名・連休中シアトルから帰ってきた。明日会う。)
     中学生君(仮名・病院の薬、まだ飲むなと指示。今日、会ってきた。)


(校正2回目済み)
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7/13 どろりとした液体を泳ぐように 巡回文庫のプランの具体化を

2012-07-14 05:47:03 | 引きこもり
2012/07/13 記
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専門学校の巡回は、これからは教員狙いで進めていかないと、この時期、全く何も伝わらない事態になるだろうと思う。既に日曜日には私の分の先発夏期講習が始まる。先方は非常識と驚くだろうが、空振り覚悟の巡回を進める。今年も高認(8/1&2)がある。私兼備当日は東京受験組引率のおまけとして明大和泉Cに行く。毎年さぼっているが、若手講師の欠席者が出ると行かなくてはならない。しかし、それよりも、指導の流れがここに向かって山場を作っていくので、巡回指導中心だけですむかどうか怪しい。

進学や就労の進路指導のことは、さすがにブログに書けないが、今までは手のかかる厄介な相談は私と専任の進路担当に振られていた。私は心身にハンデを抱える子の相談。なぜか東京受験組が多い。オープンキャンパスの問い合わせもある。この役割が始まると、予定が予定でなくなる。緊急呼び出しがかかるので、専門学校巡回もアポ取りをしてはいけない。奇襲作戦でいかなくてはならない。

帰国したセカンドブックアーチのYさんは連休明けまでスケジュールが開かない、SETの三井君は18日に広田町に戻ってくる。しかし、広田町訪問組の受け入れが忙しくなる。9月にもつれ込んで時が浪費されていくのがたまらない気分だ。

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今日、母の施設見学に同伴した。要支援の状態でも、デイサービスの筋トレ・リハは、母には負荷が軽すぎる。脳卒中の人の機能回復や老化予防の、高齢者スポーツジムのようなところを求めていた。

午後の送迎を終えたマイクロバスに乗せてもらったから、14時台が迎え。1時間見学にかけて15時半。移動で16時。専門学校巡回はぎりぎりだった。

ここでまた話と違う出来事が起きる。午前中からの利用者が母の下肢トレーニングに必要なマシンを占領していた。私から誘導して、母の必要としているトレーニングのプランニングは可能かどうか、看護師には、胃切除後遺症のダンピングの話や、原因不明のめまい、術後の体調変化のことなど先に話を済ませるように、誘導した。しかし頑迷な見学者解説プログラムは揺るがず、刻々と時間が過ぎ、母のマシン利用体験の前に、参加手続きの話を引っ張るが、体験が先と譲らないのだった。マニュアル人間とぶつぶつ言っている所で、私たちの担当者が帰ってきた。ほっとして事務手続きの話をしだしたら、マシンが空いた。

背筋に寒気が走ったが、母はおもちゃをいじるように、マシンに乗り,体験トレーニングが始まった。と、母が最後のマシンに乗るところで、母はこむら返りを起こして、休むことに。抜けるに抜けられず、話は1からに戻って、結局、終了が16時少し前までかかってしまった。母に、家の門から中に入るのに、私が居ないでも平気かと問い、結局、包括支援センターのケアマネ**さんと、スポーツジムもどきの++さんが連休明けに、午後、我が家に来て契約ということになった。また平日がつぶれそうだ。

どうしようもないことだが、空き時間作りの戦いが本格化する。しかし、やりきらねばこの半年ちょっとが文庫だけになってしまう。北里大サークルの話が水曜日の昼にある。午後はサポチガの総会だっただろうか?湘南側の岩手県ネットワーク、湘南側の広田半島通信活動ブレーン候補に出会いたい。

この連休は巡回文庫の構想と今後についてまとめる。学校回りができないのが無念。

今日は時間切れだったので、今宿のふれあい系看護学校に招待状と資料を残っていた事務職員の##さんに預けて、巡回を終えた。茅ヶ崎駅に戻って相模大野に向かうと、熊本の大雨の警報が報じられ、早く切り上げて帰らないと降られると、いつになく独り言の多い一日だった。

家に戻った母の感想>ゲームセンターっぽくて、楽しかった…と。

<気になった記事>

●「いのちの電話、相談員不足/相談は過去最多」(静岡)
----- そうなのだ。私のは不登校・引きこもり青少年と特に若年層の学習相談に限定されている。会員制なので、この枠を更に広げてしまった場合、私はパンクするだろう。人手不足深刻なのだ。

●「自殺原因?中2生の自室、前日に同級生ら荒らす」
----- 絶句。


夜間傾聴:南橋本君(仮名・こちらから)
     橋本2君(仮名)

(校正1回目済み)
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7/12 平塚の看護学校まわりに思う

2012-07-13 04:09:31 | 引きこもり
2012/07/12 記
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予定が2ヶ月ずれている。活動の立ち上げは必ず予定通りには行かない。だからその遊びというかゆとりを作っておかなくてはならない。しかしこのずれは大きい。来年度の実習・研修や体験学習とからめて、この夏休みに下見をしませんかと、呼びかけの構造を変えた。しかし無理がある。

今日も平塚の追分にある湘南平塚看護専門学校の事務長さんと会った。にこやかに応対してくださったが、この笑みは素人を追い出すときのあしらいの笑みだ。まいったなと思いつつ、目的をふたつ、ともあれ聞いていただいた。これが通っていれば、再会したとき、ああ、あのときの…となってくれる。無意味ではないのだ。この時期は国家試験が近づいて、実習などやることが多いから、参加は無理だとのこと。今回は教員の下見ですと応答したものの、空転はあきらかだった。

この間の看護学校訪問の際も、「国家試験が近いから」という説明が多かった。しかし看護師の国家試験は2/19。社会福祉士などの福祉医療の国家試験の1月末(1/26~27)である。病院と提携して実習をやっていることはわかっていた。しかも看護師の課程は1年制ではない。つまり「国家試験」という話が出た瞬間、そういえば諦めるだろうということが念頭にある。だからまずは概要を聞いてくださいという事を先にお願いし、参加協力の水準に幅を持たせてお願いする。その上で拒否されたら半分「成功」なのだが、その前に話が封じられてしまうのだ。

事務長さんは名刺を下さった。そのことでも怒る気にはならなかったのだった。謝意を述べ学園を去った。

次にお願いに回ったのは、神奈川県立平塚看護専門学校だった。一昨日、依頼状と資料を先に読んでくださいとお願いしてきたところだった。こちらはすっきりとしたものだった。内容はともかく、県立の学校なので、行政や公共団体の依頼以外は一切受け付けないのだという。そこで茅ヶ崎市市民活動サポートセンターや平塚市民活動センターのような市民活動の取りまとめをしている行政や市民活動のネットワークからの依頼だったら、聴いてくださいますかと尋ねた。それならば「検討します」とのこと、しかし加えて「国家試験」が出てきた。でた!と私は思っていた。

私は引きこもり青年の進学就労支援をしているが、私のところには比較的女子が多いほうだが、男性主導なので看護学校訪問経験がない。校内の雰囲気や、学生さんとの先方警戒心たっぷりの出会いから、大概の学校の様子や教員の資質が見えてしまうのだが、今回は調子が違っていた。根本は変わっていないのだろうが、要するに看護師さんの卵たちの入学から卒業までの様子が私の頭の中にはないからなのだ。

看護学校の数が比較的多いので看護学校をまわっているが、活動がまだ立ち上がっていない活動の立ち上げを含む同士を得ることはなおさらにハードルが高い。加えて私は何者かという理解可能なプロフィールを要求に応じてだしきれない悩みがある。不登校・引きこもり青少年の社会参加協力を仕事にしているというだけで、先方の脳裏のDBはエラー・ルーチンに入ってしまう。まさか「物好きです」とは言えまい。

活動が社会的認知を得ていない現状で、活動経験をいくつ積み上げてもそれが意味を持つものとして相手に響かない。変な爺ぃなので、やむをえないところもあるが、2000年を前に自分の塾を閉鎖して以降、交通事故の2年の入院ブランクがあってからも、ずっと社会活動への爺ぃの再就職は閉ざされていたから、企画を立ち上げてはひとに呼びかけたが、結局そこも履歴書の世界、政治力学の端切れが紛れ込んできて企画勝負にならない。しかし15年近くこんなことをやっているのも酔狂だが、自分なりの必然、理由はある。同時代人と組まないとテレパシーは伝わらないのかなとも思いつつ、爺ぃがにらめっこしてもしかたがないだろうとも思う。世代が違えば、企画の面白さというか、価値がひとを動かす。だから役割同士の空転は、もともと固着した関係なのだ。欠かすことはできないが、前座のようなものなのだ。少なくともその学園の状況がわかる。そう思っている。

「国家試験対策」をしておかないといけないのかなと思いつつ、次は平塚と小田原なので、作戦を考えている。考えてみればいい、被災地の地域介護医療と福祉の活動の価値を各地に語り広げてくれる眼を持っているのは、彼(女)たちなのだから。専門学校と大学をしらみつぶしにしていくつもりでいる。ただ呼びかけにもうひと味欲しいのだ。秋に広田町から地元の方との懇親会を開けるような受け皿を作っておきたい。被災地の生活再建の中の高齢者見守り支援は、東北にとって重要な意味を持つし、自分たちが被災したときの勘どころを押さえて行くための連携でもある。

いろいろ屁理屈を考えながらバスに乗り平塚駅に戻った。

今日の最後は、平塚市民活動センターに立ち寄った。岩手県の見守り支援に入っている方がいらしたら、教えてくださいというものだから、**さん、困っていた。秋に講演会を開く件も、協力をお願いしてきた。これはあらためて8月の陸前高田・大船渡に行って、講師依頼をしてくる。その概要が出来た段階でまたお願いをしにセンターに来ますとお願いしてきた。

ただいつも思うのだが、ここで「にゃんだーガード」の猫の新しい飼い主さんを求めるポスターを貼らせて下さいというと、苦笑が起こるのだ。福島のような緊急避難や、被災3県のような子どもと愛玩動物との悲惨な別れや、家畜との疫学上の裏方支援の意味など、被災体験の多様な実態を伝えるには不可欠な意味合いを持っているが、ラブリィペットの年甲斐のない態度に対する嘲笑を含んでいるので、この話を切り出すと他の領域の活動までも、支援する気力が萎えてしまうらしい。その方が動物愛護の世界を誤解されてるだけなのにと思う。

今回も脱力が感じられたが、ともあれこれはこれでお願いしてきた。出さない方がいいのかなとも迷ったりもする。

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CSWとCCWの仕事紹介は、時々している。家に戻ってきるとFAXが入っていた。町田市の子なのだが福祉職に就きたいという子がいるという。私の話を聴いての第一号だった。ただ高校を終えていない。その子のメニューを書くことになった。気が回らない子なので、その辺が心配の種なのではある。

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明日は、母のデイの老健の変種施設の見学に母の付き添いで行く。そこは高齢者のスポーツジムのようなところで、母の課題の下肢の筋力増強を目的に週に1回通うための施設見学である。前の見学した施設は、運動をすべて座って行い、認知症対策の塗り絵などをコースとして組んでいる。だから母が行くと優等生になってしまう。主治医からも負荷が不足しているといわれた。いわゆるスポーツジムとも違う介護度に準じた施設である。

だから明日は、時間的に巡回は1箇所だけだろう。授業は夜JR相模原である。

河北新報のDBの件、応答をいただいた。内容はこれから吟味。高田病院の件である。東京高校の知人から私のブログを見たとメールが入った。「発達障がいの方の支援はどうなったのと、おきつい言葉。勿論忘れたことなどない。被災地の障がい者情報が入ってこないのが主因・社会参加し、マッチングを行なうという災害ボランティアに自閉症スペクトルの子を連れていくのだ。


夜間傾聴:なし


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7/11 東京の用事を済ませて、棋譜の読み直しをしている 巡回は明日再開

2012-07-12 06:02:17 | 引きこもり
2012/07/11 記
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家業の交渉が東京の浅草橋近くで13時の予定。バスのつながりが悪く、1時間半では着かないことがわかった。11時過ぎには家をでなければならなかった。大学の公開キャンパスがある。その一覧を受験生にメールするのだが、職員室のロッカーに必要な元の資料を置いてきたので、オンライン検索をかけて、受験生ごとに、差込印刷するのだが、そんなことをやっていたので朝7時半まで作業していたので、東海道線ではうつらうつらと舟を漕いでいた。

交渉はとりあえず無難に済んだのだが、遅い昼食を食べようと相手が言い出した。いい店があると勧められた店はアメリカ料理の店。私は絶対に入らない店だ。糖尿病の私には選びようがないメニュー。相手はサイコロステーキを食べていた。無糖のアイスティーを取ったのが、先方の気にいらなかった。交渉は成立しているので、そちらは問題が起きなかったが、糖尿病であることを告げ謝ったが、糖尿病など誰もがかかっている病気だと、私の言葉は言い分けといいだした。

常備薬を見せて、携帯のオンラインで薬効を伝えると、先方は納得した。しかし本当に仕切る人とは喧嘩沙汰になるのだ。店に入る時点で脂肪分が多く炭水化物が多い料理は食べられないと伝えればよかったのかと思いつつ、ひとが感情的であり、それに対する私の度量の狭さを改めて感じていた。営業職には絶対に成れなかっただろう。

ここから遠野まごころネットの東京事務所は岩本町なので、また行こうと思えば、すぐだ。しかし、こんな気分で行くのは、第二ラウンドになりそうだからやめておいた。相変わらず冴えない巡回のスタートだが、**子の約束の時間まで間があったので、近くの東京医療福祉専門学校に行ってみた。

残念、ここは、はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧科と柔道整復科の専修学校だった。時間切れとなって、東銀座乗換えで馬込に出た。

**子はいなかった。NHKホールの予約券をもらうために、兄の車で出かけ、兄に急用が出来たので、車が戻って来るまで帰れないという。発作のことを考えるとひとりで帰って来いとはいえず、空転。

旗の台の昭和医大附属病院に向かう気になれず、中延で食事。二子玉川経由で宮前平へ。案の定、資料を受け取ってもくれなかった。くすぶった気分で、長津田からJR相模原の塾に向かい、偶然教室に居た橋本3君と就労の件を話し込んだ。

急がばまわれなのだと思うが、手立ての限界をどうするか、必要なのは非被災地の広田半島保健福祉ネットを援護する通信活動を担えるブレーン作りと、短期訪問ながら、専門職の卵の継続反復支援の被災地側のネット参加をどう構想し、実現していくかということだ。

夏休みに入れば接点はますます細る。続きは秋口に入ってしまうのかと気分が荒れる。

心の棋譜の見直しをしつつ、相模線で帰宅した。見守り支援の団体と出会う方が早いのだろうが、そちらも遅々としてすすまない。陸前高田・大船渡組と出会いたいと思うのだが。

●「季刊 福祉労働No.135東日本大震災と障害者」
●「発達 No.128震災の中で生きる子ども」
を購入。

明日は平塚・小田原方向を巡回予定。
東海新報の読み直しに入る。手がかりチェック。


夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)
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7/10 将棋倒しの一日/湘南平塚看護学校と県立平塚看護専門学校をまわる

2012-07-11 05:44:57 | 引きこもり
2012/07/10 記
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父の老健から、朝、電話が入った。6日の七夕行のときのスナップ写真の件で相談がとのこと。この電話を母が取り、困っているようで、事件のようなので、すぐに息子が行くと応答したという。冗談ではない、相模大野校の方の戸別訪問の件があるので無理だと、老健に断りの電話をいれる。何のことはない、私と親父の写っているスナップが全滅だったという謝りの電話だった。いつもくれるわけではなし、むしろ救われたような気分になっていた。

ところがこれがいけなかった。母の面子がつぶれたか、だんまり作戦が始まってしまった。家業の書類やら、領収書やら、管理を任せっぱなしにしていたので、さあ場所がわからない。結局出発が1時間半ちょっと遅くなってしまった。

「市民活動なんて、私は賛同していないんだからね」と母のとどめ。残念、私のしているのは「社会活動」で「市民」なんてしらないと、子どものような悪態をついて家をでることになってしまった。市民は近代社会の産物で、私は都市と農漁村の社会構造すら満足に説明できないのっぺりとした自由高邁な立場など、私は知らないといい続けてきた。そんなことを母にぶつけても仕方ない。蛇足ではある。

頭にきたまま、小田急線に乗ってしまった。行きがけに、鶴が台団地のセカンドブックアーチの山本君に電話して、大丈夫ならサポセンで会うつもりだったのだ。陸前高田モビリア仮設図書室向けの、要望に応える新刊書を買ってあったのだった。それを彼に託すつもりだった。

やむをえず相模大野校に直行、約束の進路面談を済ませたところで、今度は事務長が自分も行くと言い出した。紹介した手前、投げ出しはできないというのだろう。しかし事務長の紹介は看護学部から医療衛生学部に話が移っていた。加えて、実習とか研修というレベルではなく、学生ボランティアサークルとの話であり、そこは災害ボランティアをしていないようだったのだ。だから事務長の大げさな話は、できたら避けたかった。

結局事務長の予定と折り合いが付かず、私は次の宮前平行きを変更して、時間ぎりぎりだが平塚をまわることにした。宮前平の方はいい返事がなかったので門前払いの可能性が高かったのだ。とにかくまずは「時期が最悪」なのだ。

滑り込み丁度17時に湘南平塚看護学校の講師の**さんに会うことができた。しかし、渉外窓口は事務長なのでと、もう一度の訪問をせねばならなかった。こちらは看護師のコースだけでなく、保健師・助産師のコースもあるので、地域保健医療については馴染みがよかった。あさってと電話を入れた上、再度お邪魔させてもらいますと告げ、「ハゲあはは」と笑う失礼な医療の卵さんたちに手をふって玄関を出た。追分周辺はよく知っているのだが、道を横断して学校の渡り廊下が出来ているのは知らなかった。

人身事故の影響で小田急線が遅れ、平塚から秦野駅行きのバスが大幅に遅れた。この40分が痛かった。逆効果かなと思いつつ、近くの県立平塚看護専門学校のほうにも資料を置いてこようと思い、誰か教員が残っていたら、託してこようと学校に向かった。確かに事務職員と教員が残っており、資料を受け取ってくれたが、勿論、再度訪問しなければならなかった。さすがに茅ヶ崎・今宿のふれあい系の看護学校は時間切れ。将棋倒しをたどれば、父の老健のスナップ写真からだったが、一日終えて正直、虚しさを飲み込んでいた。この間際に何を言っているのかというような持ち込む時期の悪さがある。そうではない来年度の計画の下見と説明しなければならない。通じないことがあっても、それは覚悟の上でまわらねばならなかった。

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**子から、小田急線車内で電話を受けた。兄弟に子どもができ、両親がそちらの応援にいくので、在宅介護をしている祖母の昼間の面倒をすべて託されて、おかしくなり、息が詰まってしまったので、主治医のところに行ったという。確かに無理だとおもう。**子の手には負えない。

明日は東京に出るので、丁度いいので**子に会う約束をした。ただ大森から相模原は遠いのだ。久々にテキスト入力機のポメラを叩いた。これにメーラーが付いたらいう事がないのだが。>高田病院に添える自己紹介文を書いていたのだ。

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自閉症カンファレンス2012が8/26・27にあるという。いつも何か探っていて偶然日程を知るというのは、もう少しなんとかならないものかと思う。しかし下見が重なり、他の学会なみに参加費が1万数千円とは高い。下見と両立は無理だ。がっかりした、不参加である。

平塚駅前の「なか卯」の親子丼を食べる。上(うわ)ものだけで飯を大半残す。糖尿病の対策である。500円のジェフカードがあるのでそれを出して、両替機をパスしようとすると、券を買ってくれないと丼を出せないといいだした。その言い分はおかしいと応戦したら店長がでてきた。このカードは使えないというのだ。口論のいきさつから、「調べてくれ」と頼んだ。結果は私の負け。「なか卯」は「ジェフカード」と契約していなかった。

母がむくれているだろうからと、シュークリームを1つ買った。糖尿病の大敵である。帰っておどろいた。全く同じシュークリーム2つ。結局、今日はカロリーオーバーなのだった。母はダンピングを起こしたので、食べられないという。やむなく1つ食べ、残りは冷蔵庫に死蔵される。間の悪い一日だったのだ。

頼んでおいた東京のシェアホームの資料が届いていた。面白い内容があったら紹介する。ヨーロッパの高齢者住宅の紹介が入っていた。住環境は「舫(もやい)」さんたちの得意とするところだ。

明日は家業、東京に行く。帰りに**子と会うが、帰り、間に合えば戸塚に寄る。

「南三陸日記」、図書館の予約の順が来た。受け取り、帰りに間に合うか。


夜間傾聴:中学生君(仮名)
     A子(仮名・8月初旬に日本に帰って来る。)


(校正2回目済み)
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7/9 慶応大看護医療学部と川崎の某専門学校に立ち寄りつつ

2012-07-10 05:21:02 | 引きこもり
2012/07/09 記
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慶応大看護医療学部に行った。バスも既にがらんとしている。教官へのアクセスは難しいと思っていたが、4年前、障碍者ケアの話で訪問していたり、2年前も在る教官と「ケア・パートナー」という産業心理学では「メンター」に近い制度に乗った場合の軽度発達障がい者の就労と、中度発達障がい者の就労を考え、この就労の基本形態の有効性を問う件で、2年間3回を通じた話の件でお邪魔していた。そのとき3.11の災害ボランティアについて協力要請を持ち出した話では、いい感触が得られなかったこともあって、それでも地域看護関連の方の紹介をお願いして以降、応答が途切れたままになっていた。

今回もその方を仲介して地域看護・訪問看護の方をつないでくださらないかと、打診するつもりで、学部事務局にお邪魔したのだった。しかし4月下旬の時点でメールに応答がなかったこともあって迷いがあり、その方の名前を出さずに事務長さんに、地域看護系の教官の方々に資料を回してくださらないかとお願いすることにした。

概略と来年度取り組みのための下見をしませんかという形で、主旨と概要を聞いていただいたが、国家試験が近く無理だろうという話、国際協力のPJが動いており、係わるのは無理だろ思うとの意見をいただきつつ、とりあえず資料と訪問目的を関係者に伝えてくださることになった。宝くじ的確率でも0ではない。応答の時期指定など入り込む余地なく、関心があるときは連絡するということで、対話は終わった。慈恵医大附属看護専門学校にお邪魔したときの冷ややかさと比べれば、親切であったが、それは可能性の大小とは関係がないのだ。

湘南台駅に出て、溝の口駅にまわった。夕刻の時間ぎりぎり。こちらの専門学校は、紹介者のない仲介は出来ないということで、空振り。資料だけは受け取らせたが捨てられる感じ。無駄足に終わった。

明日は北里大サークルと、六会方向か。六会は一度回っている。応答がないが様子を再度聞きに行くと言ってあったので、結論が出てしまう。正直言って冷や汗をかいている。東海大は病院の医師から入る形なので、お盆休み以外は、夏休みは関係ないが、医学部になってしまうので見込み薄ではある。

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母のデイサービスの見学日程がきまった。下肢の軽い筋トレをしてくれるところである。前のところは、もっと歩行困難が進んでしまった方のトレーニングで、座って行なうものばかりなので、母には軽すぎた。機材は入っているので、独自プログラムを組んでくれればいいが、PT・OTさんがいない場所なので、個別指導は無理そうなのだ。そんな関係で、別の施設をまわることにした。週末に母に付き添っていくが、包括支援センターの**さんと相談する。父の老健入所が長くなってきており、認知症の進行はそれほど進んでいないが、次の受け取り先から話がないので、どうしたものかと相談をする。**さん、呆れるだろうが、地域保健医療と看護について、被災地の支援に高齢者介護の関係者で、関心を持っている方はいないか、話を持ち出してみるつもりだ。母が在宅介護まで進んでしまわないように、先手を打っていく。まだ身動きがとれない状態に入るには、早すぎるのだ。

偶然だがYMCAの++さんに藤沢駅でであった。引きこもり青年の進学復帰の際、昔、お世話になっていた。藤沢から移ったとのことだが、メールアドレスは変わっていないとのことなので、メールさせてもらうことになった。収穫。

明日は北里大に向かう前に、セカンドブックアーチの方に配本調整で連絡を取る。見守り支援関係者と話し合うのが実際は近道なのだろうが、私の知り合いは大槌町や、石巻、南三陸、と仙台周辺と地域が違うのだ。陸前高田・大船渡関係者と出会いたい。

夜間傾聴:橋本2君(仮名・母親)
     南橋本君(仮名)

(校正1回目済み)

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7/8 学校巡回の招待状他

2012-07-09 06:34:28 | 引きこもり
2012/07/08 記
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障害者リハビリテーション協会の 国際セミナー「防災のユニバーサルデザインとDAISYの役割」この間の訪問指導日程の日送りが祟り、参加できなかった。この会場で岩手県の某医療関係者と会って、秋の講演会の講師依頼の仲介を頼むつもりだった。気仙地方の病院関係者から、はじめは緊急医療の話をつなげようと、4月ごろから道を探っていたが、5月過ぎからは、まずは気仙地方の地域保健医療の課題と対策を近未来像の形で語ってもらおうと思い始めていた。それは、被災地の状況は現在も生活再建支援が急務であり、そこから滞在支援者以外は、関心を閉じようとしているからだった。湘南における地域保健医療と福祉の方策の吟味は、その意味で順位が下がったのだった。同時にそれは、漫然と支援を分散させるのではなくモデル地域を設定して、支援者も何らかの継続支援の一翼足りうるような企画を立てたいと願った。

そこで問題となるのが、素人の短期滞在者の地域保健医療と福祉における見守り支援の形をコーディネートしていかないと、片方ではプライバシーとバランスを崩した状態の方への支援の微妙さゆえの失敗と拒絶という問題があり、もう一方では専門職と被災者の閉じた治療の世界が出来てしまうからだった。このふたつの壁を超えていく道を提案していく必要があった。また、さらにその外枠に被被災地からのリアルな生活支援をどう構想していくかということが控えていた。

これらの条件を整えた支援を少なくとも7・8月には、賛同者のオンライン意見交換の場と、広田半島周辺の下見の実現を行ないたかった。少なくともこれらの支援はここ数年内に定着させる必要があるからだ。ところが協力者を追っているうちに7月の声を聞き、大学・医療系専門学校は休みに入ってしまう。後手に回っていることはわかる。しかしこれ以上、時間を浪費しては、数年という時間の中の一年が無為に過ぎてしまう。

そういう意味で、学生との接触は諦めて、教職員と医療や関連機関の専門職を盆の休暇の前にとにかく諦めずに追うことにした。空転持久戦になることはわかっているので、訪問の中に隙間を探るような訪問を行なうことになる。

同じ関東からの、気仙地方の見守り支援の滞在支援者たちとの連携は、私が気仙地方に出かけ、支援者のネットに参加しなければ、実際上全く接点は生まれない。ましてや、「個別外出支援」を掲げた場合、実現しているのは先方の団体の関わりであり、私と連携するメリットがなければ、事実上連携は出来ないということになってしまう。つまり湘南における支援団体を作らなければ、何事も動かないという壁がある。逆に言えば、今回の教職員訪問は、待っていても実現できない壁をこじ開け、協力者と出会う作業でもある。様子見に振り回されている状況ではないからだ。数年はすぐに経ってしまう。

当座は糸口が出来た北里大サークルとの対話、引きこもり関連にも熱心な専門学校の過去のつてをたどって、専門学校教職員にとにかく話を聞いてもらうことだ。また私の勤務先に打診を強化していくことだ。後者は被災地訪問は無理という飛田退散の結界を張るお札がちらついている状況だが、非被災地からの支援ならば、まだ対応する可能性を残しているからだ。

以下は、訪問時に使う招待状だ。弱点は8月末の広田町下見訪問の日程がかいていないことだ。しかし、現地数泊、新幹線では私自身の支払い能力がない。といって夜行バス2泊の旅をさせるわけには行かない。情けない調整が実際のところあるのだ。ボラバスというわけにはいかないのだ。

月曜日は近隣の学校まわりをする。実は土曜日の国際セミナー欠席は痛かったのだ。

以下は招待状の文面 -----------------


関係団体 各位        2012/07/01

見守り支援と民間交流をめざす「広田半島通信」
引きこもり青年の社会就労支援する「わーく」編集部


前略 東日本大震災から1年余、仮設生活が始まって、日常生活の様々な問題が浮き上がってきています。環境整備や元気付け支援から、地域保健福祉に関連付た生活支援を育てていく時期に入ってきています。

 就労の基礎となる生活に目を転じた場合にも支援者側から見ると、食事会や喫茶・共同作業のサポートの支援をしつつも、介護を支える熟年層主婦のがんばり慰安の背後で、仮設の周辺で、術無くまわりを眺めている遠出困難な高齢者の方や、夕方そっと部屋を出てくる心の傷が癒えない方・孤立した年配男性・障がい者の方がいらして、これらの方々への関わりが手薄に見えて、仮設を訪問するたびに、この方たちへの支援を育てなくてはという思いが強くなりました。

 岩手県の陸前高田市・大船渡市は、甚大な津波災害を受けたところです。その中でも、広田半島周辺は、路線バスが一日一本という極端な地域です。ここで6月、滞在ボランティアに1台の車を提供することにより、外出困難者に対する通院や買い物補助など、介護される側の方々の個別外出支援を徐々に始めています。広田町隣接地域の小友町・米崎町・末崎町には独居の方もおり、外出支援と併行して、様々な生活支援を立ち上げていく必要があります。地元の保健師さん、地域相談員さんたちと連絡を取りつつ、この地に「短期訪問者にも可能な支援の形」を意識した「外部支援セクターを組み込んだセイフティネット活動」を探りたいと考えています。

最近、大手介護サービスのワタミが動き出しています。ビジネスとして介護度認定者を対象にしたサービス業です。ボランティアは、その活動経験を各地に持ち帰ることが目的のひとつとなっていることが、一般営業と違っているところです。しかし、地域保健福祉の専門職の眼と、介護福祉の共感する心を持つ方と連携しなければ、実効性のある活動は育ちません。

まもなく夏季休暇が始まります。来年度の貴団体の研修または有志参加を企画化するために、広田半島の地域サポートの下見を検討してみませんか。この活動には、専門職の卵の方々の支援が必要です。是非、ご検討下さいますよう、お願いいたします。

連絡先(略)

以上

------ ここまで ------

<気になる記事>

●「横手市が介護相談員増、2人から5人に」
●「被災者お父さんたちの製材所 陸前高田市」

●「東電が「やらせ」、大熊・双葉町民への説明会で」
●「がれきの山 手作業で分別・・・石巻ルポ」
●「避難中学生 新潟で来月「再会の合宿」」

●「ホームレス就労支援で耕作放棄地再生」
●「障害者施設、花ビジネス 八王子」


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

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7/7 東北発☆未来塾の描く「高齢者」像への違和感について

2012-07-08 05:44:21 | 引きこもり
2012/07/07 記
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加藤徹生氏講演の東北発☆未来塾「アイデアひとつで社会は変わる」を途中からみた。マイクロファイナンスを利用した光電池ランプの普及企画が発達途上国の貧困層の生活を変えていくダイナミズムを解説していた。まさにマイクロファイナンスの力である。その発想を東北の生活再建に利用するという話と、高齢者の買い物支援の提案が面白かった。

ただ番組は見えていない落とし穴に、もろに引っかかっている。そこが問題なのだ。彼らは若すぎる。

番組は、「バス会社」「スーパーマーケット」「利用する『高齢者』」の3極をつないでいく石巻の買い物支援の事例を紹介していた。バス会社が空き時間のマイクロバスを安く提供する。スーパーマーケットはそのバスの代金を会社に支払い、利用する「高齢者」は、スーパーで買い物をし、スーパーは売り上げからバス代を支払うという循環をつくるというのだ。社会的起業家としてのボランティアは、その企画化と異種仲介を行なうということで、その発想のコツのような部分を浮かび上がらせていた。

それはいいのだが、録画した方はマイクロバスの乗客をよく見て欲しい。私から見ると「中高年」・「熟年者」でしかない。もし車があったら、積極的に自分から出かけていく人たちだろう。要は被災者の何が喫緊の問題なのかが発想の出発点になっていないのだ。マイクロバス利用の外出支援は、この間指摘してきたように、いわゆる「高齢者」支援が的をはずしているということなのだ。

「高齢者」支援は、特に田舎の場合は、高齢まで孫の子育てや仕事をしている方が多い関係で、心身の衰えが都市部の方より遅い関係で、老々介護の場合が多くなる。だからこのような買い物支援を行なうと、マイクロバスを利用する年齢層は、都市部の場合と違って年齢が高めに出てくるだろうが、ここで問題なのは「自力で買い物にでかけることが出来る」方ではなく、付き添いなど、補助が必要な方たちが、支援と結びつく必要があるということだ。仮設生活の中で孤立しがちになる層、室内はなんとか移動できるが外出には不安があるという層、寝たきりになってしまった層という社会的原因からではない、身体活動を制限されている方たちに目が届いていない。

だから「高齢者」支援と言ったとき、ざっくりした概念だが「外出困難者」というカテゴリーを使ったほうがいいと思うのだ。このカテゴリーだと、障がい者・引きこもり者の外出支援も範囲に入ってくる。

話を戻すと、「高齢者」支援はプライバシーがからむ微妙な場面を含むので、家族・親戚まかせにされてきた。その結果、同居している主婦がその重みをすべて抱え込んでおり、当事者はその負い目を抱えていくということが、さまざまな問題を生み出していく。(独居の方の場合は後述。)

「高齢者」支援はだから、介護者支援と外出困難者を分けて企画した方がいい。サロンや食事会、共同作業は「介護者支援」と言った方がいい。マイクロバスに乗っていたのは熟年層が主であり、外出に困難を抱えるために、室内にこもりがちになって、人間関係が切れていくことを防いでいくというところに、被介護者の大きな課題がある。この部分に「高齢者」支援といいつつ、全然「高齢者」ではないという不可思議な事態が生まれている。

また「独居」の方の場合は、「介護者」というカテゴリーはないが、外出可能で意欲がある方と、引きこもりがちの方の支援が分かれるという事を意味している。支援の手を伸ばさなければ、人間関係から孤立したり、心身の衰退から悲観したり、精神症を発症したりという問題へとつながってしまう方が出てくる。だから予防的な関わりとして「外出支援」を軸に、コミュニティから切り離されないような活動を作っていく。

つまり今必要な「高齢者」支援は、介護者の煮詰まり防止と隣人との協力関係育成に向けられる方向と、「見えなくさせられている」被介護者の保護的外出支援や、傾聴支援を進めるべきなのだと思う。(だからこそ専門職との連携と、短期訪問者の仕事作り・この領域につながる非被災地の支援作りが必要なのだ。)

この外出困難者の地域サポートは、様々なニーズ、そして心の静穏を保証するために、基本は「個別支援」となる。一例として歩行の補助が必要な高齢の方の買物随伴支援を考えてみよう。

部屋から車までの移動は、杖を使って自律歩行が可能が可能な方はケース・バイ・ケースの面があるが、車まで連れ添う形で車に乗ってもらう。ここまでの間にすでに従来の介護サービスなら、室内>屋外>車(移動)という介護サービス3種が係わっている。介護度認定制度を使うなら有資格者による介護サポートの領域だ。しかし車の運転による移動は、実費以上の料金を請求しなければ、見守りボランティアの活動領域だろう。

またスーパーの駐車場に車をつけたら、車を降りてから、買物の代行ではなく連れ添いを行なう介護サポートの領域だ。しかし時間外連れ添いなどは、ボランティアの領域に入ってくる。買物は自己有能観を保つことや、昔住んでいた地域の知り合いと電話連絡し、買物先で合流してもいいし、知人との偶然の出会いとしておしゃべりを折りこんでもいい。介護サービスと異なるのは、分刻みで契約どおり実行し、約束外の急な活動については、サポートしきれないという枠がはまっている。しかし、おしゃべりの喫茶に約束の時間に迎えに行ったり、車に乗せたあと、その方の自宅前で車から降ろし、さらに居室まで運ぶという仕事がある。

常時、車椅子移動以上の歩行困難な方は、家族またはヘルパー2級以上の有資格者の支援が望ましいが、これらの「買物支援」「通院支援」「美容院通院」「銭湯入湯」「知人宅訪問」などの活動は、当事者のQOLを向上させる活動だが、介護サービスの専門職だけの仕事ではない。

従来の介護サービスまかせの部分の一部や、介護サービスでは成しえなかった「旅行補助」などにもサポートの領域は拡がる。つまり「個別支援」は病的な対策を打つ看護との境以外の方なら、領域を考えうる。

要は「孤立化阻止」ということ、仮設住宅という狭い空間に生活が変わったがゆえに、家族の中に居場所を喪失しやすい社会的弱者、仕事という人間関係のパスポートを失った方が「絆を取り結ぶ外出」という場面を提供し、できることを考えて行きたい。同居家族がいらっしゃる方には、高齢の方の一時預かりの形で、家族をその間、わずかな休息を済ませていただいたり、別のやり残し仕事をしていただくという援助を提供できる。

マイクロファイナンスのような金銭的な循環補助はないものの、今まで中高年(熟年)を「高齢者」と呼んでいた、その影に潜む沈黙する人々への支援を描くことが急務なのだ。

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父方の亡き伯母の百箇日の案内を添えた香典返しが贈られてきた。我が家は父が新興宗教の信者だったこともあって、墓はあるものの無宗教である。親戚や友の法事などは出席するが、母と私は大仰な法事は行なわないことにしている。そのことを小包から連想したか、私と父母は段取りを決めておかないとねと母がいった。幸いというか法事があるたびに、けが人がでるほどに父は仏教の法事を否定した。その父も認知症が進み、熱狂的なこだわりが無くなった分、選択肢は私と母の方に、判断の重さもろとも返されてきていた。その何回も蒸し返される話を母は語り始めた。外出前の忙しい食器洗いをしながら、私は背中で母の話を聞いていた。私には残された時間として、母には突然引き受ける人生の終焉に対して覚悟をしておかなくてはと思ったのだが、出勤の時間が迫っていた。母にうなづきながら、訪問指導のタイムリミットを気にして、母に謝りながら玄関を飛び出した。

東京はどしゃぶりの雨というのに、茅ヶ崎では空が明るくなってきていた。果たして相模原はと心配していたが、私の着いた時間には雨が上っていた。ただこのとき、異様に母の言動が気になっていた。

東北の被災地を包んでいる空気のことを連想していた。理不尽に家族を奪われ生活が遮断されたひとたちのことだ。相模線で帰宅する車内で、浴衣を着た若い一家を見た。平塚の七夕だろう。この人たちが抱いている幸せを津波が奪い去ったこと。そして今、この一家に私が通じる言葉を発することが出来ないと、発想の距離への悲しみが湧き上がっていた。気がついているものが、手を差し伸べることも、空転の壁を超えることも出来ないでいる。自分への怒りのようなものを黙ってかみ締めていた。

時は否応なしに経っていく。有効な手立て、無効でも打破すべき壁、その細くともつながる道を探ること。話の通じる爺婆や専門職から外野チームを作っていかなくては、しかし、どこから、どのように…歩く以外ないかと思い、海老名で途中下車して母に電話を入れた。

セカンドブックアーチの山本君は帰国している。連絡を取らねばと思っている。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親&当人 職場体験の話)


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7/6 父の老健の七夕見学行事に思う、雑踏の中の地震被災

2012-07-07 05:12:22 | 引きこもり
2012/07/06 記
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父の入所している老健が七夕外出をやった。平塚の市民センターから紅屋町商店街を抜けて、往復40分の車椅子散歩をする。進和学園さんのマイクロバスに出会う。様々な団体が混雑のピークの日を避け、結局共通の場所に集合することになる。小雨模様だが決行ということになって、早めに引き上げることに。

しかし見ものだ。平塚市と隣接市町の保健福祉施設の車椅子集団が集まるのだから。社協の車椅子は統一されているらしくて、車椅子の背中のポケットが大きい。そのポケットに自分の手荷物パックを入れて歩くのだが、今回は老健の車椅子でポケットが小さかった。そのため手提げ袋に入れて腕にかけて車椅子を押すのだが、経験者はご存知だろうが、この袋の底がどうやろうとも車椅子のタイヤに接して、袋が擦り切れてしまうのだ。車椅子の背中にフックがあれば、このようなことはおきないが、これが車椅子散策の最中、ずっとタイヤと戦うことになってしまった。

今回は一列行進の一番先頭。脱線して屋台を覗き込むことが出来なかった。騒々しい雑踏の中、父は耳が遠い。立ち止まることもできないので、ただ黙々と行進する以外なかった。雨のせいだった。

決まった場所で決まった人数、記念写真を撮らされて、残念だがさっさと終わり。しかし何十名もいる車椅子軍団の中で、車椅子に乗っている男性は2人だけ。圧倒的に女性だ。しかも家族が来ているのが私を入れて4家族。これも男性は私ひとり。信号待ちのところで、すぐ後の方のサポートをしているボランティアさんから、「弟さんですか、ご苦労さまです」と声をかけられてしまい、「息子です」と応答すると、慌てる慌てる、平謝り。私はいつも白髪頭のせいで、父と並ぶと弟に。母と並ぶと「ご主人」と呼ばれて,ひそかに傷ついている。今回もやられてしまった。

ただ問題はこの最後の段階で、体調悪化を訴える女性がふたり。優先的にマイクロバスに乗せて帰って行ったのだが、マイクロバスの分乗は座席表が出来ていて、それが急遽変更になったものだから、座席配分が混乱し、結局手伝う形で老健まで付き添っていくことになってしまった。父のおやつに付き添い、結局東海大学も某医療系専門学校も時間切れとなってしまった。この予定のたたなさは、ひとを相手にしているから避け難いことだが、福祉労働はケアの底無し沼に足を奪われつつ日々を過ごしていかなくてはならないから、労働時間でばっさり割り切らないと超過勤務だらけになってしまう。

今回車椅子を押していた主婦風軍団は、有給ボランティアの方々だった。しかし、車椅子を押しているとき、父に言葉が聞こえないのだとわかると、糸が切れたような気分になって、時々全然異なることを考えていた。ここで直下型地震が起きたことを想像していた。

高くつるされた七夕飾りが横転し道を塞ぎ落下。脇の歩道の半分は屋台が占領しており、屋台の火気から失火。車椅子をどうするか、歩けない父を降ろすか。結局は道の上空を確かめて、車椅子をロック。前から父にもたれかかり、背中のたてとなって、父を落下物から守る。初期避難指示者が一般観客を誘導。でも「車椅子」利用者はどうしたらいいのだろう。

それを今も考え続けている。


<気になった記事>
●「南海トラフ地震「死者40万人の可能性」 河田教授試算」
●「震災後の子供の心ケア、仮設診療所あす開設」
●「カトリーナ被災 米高校生が訪問」
●「高齢者の孤独死防止期待」
●「大津市教委に3日間で批判・意見1900件 中2自殺で」

夜間傾聴:なし

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7/5 慈恵医大附属看護専門学校と大学事務部に行く>ため息

2012-07-06 06:05:28 | 引きこもり
2012/07/05 記
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医療系専門学校の教員宛の呼びかけは、予想通り反応がよくない。数通出したメールの1通には、通いやすい岩手県の専門学校を選んだ方がいいというアドバイスが書かれていた。これだけが親切な応答で、後は返事がなかった。門前払いでも巡回しないとと感じている。内容は「来年度の実習・体験学習の場に、広田半島を」ということで「8月下旬に下見をしませんか」という呼びかけにした。今年の夏休みは間に合わないからだ。もうひとつは職業団体としてのCCWなどの協会を当たっていく作業だ。

日送りになっていた慈恵医大附属看護専門学校に、やっと今回資料を持って訪ねることが出来た。ところが雰囲気が異様なのだ。校舎にひと気がなく、玄関を入ろうとすると、ブザーで係を呼び出すように指示されていた。嫌な予感がした。前の日記に書いたように、看護資格の准看護師がなくなるのだ。係のO氏は私をいかがわしい目つきで眺めたあと、資料を求めた。玄関前の立ち話で、目的概要を告げ、説明させてもらえまいかと名刺を出すと、受け取ってくれなかった。

資料を受け取ると、担当者に渡しますからお引取りくださいと、話は断ち切られてしまった。こういうことは何回も経験済み。こういうときは周辺をうろついて、学生さんに話をきくのだが、今回はその学生さんがいない。

ここは愛宕山が近く、帰りにNHKのライブラリーに寄って映像資料のパンフレットをもらってこようかと思ったが、ふと慈恵医大医学部看護学科へのダメ押しを思いついたので、大学事務部に立ち寄った。看護学部には地域看護と訪問看護がある。事前に調べてあったのが幸いし、**氏宛に資料を取り次いでもらうことができた。勿論、会うことも応答をもらうことも、賭けでしかない。

仮設の孤独死対策を含むセイフティネット作りは、被災地では外部支援者の応援が不可欠。ここの部分に連携し、非被災地から支援した経験をどう非被災地の地元に返していくか。

専門職にリードを頼むにしても、滞在型生活支援と非被災地の一般市民の係わり方の探索を多層的につないでいくことができるか、それを考えていく。そのときの制度や実践経験を媒介してくれるプロが欲しい。場は地域限定的に関わり、そこから経験的に引き出される実績(?)をいただくこと、そこに価値を見出し研修的な関わりを組んでくれれば、被災地にとってもやや長期的な協力関係が構想できる。

ただこれは、セイフティネット作り協力のプレゼントの形となるが、どこか突破口がひらけば、介護の枝は拡がっていく。ナース・OT・CSW・CCW・(PSW)の経験の実を専門職に閉じた形ではなく、市民活動に媒介して行く活動を作る。被災地から積極的に、被災者の家族を支えた主婦を招待し、例えば避難所の高齢者介護・障害児者保護経験を聴き、湘南の防災や、先方への協力できることの対話を作っていく作業を始めたい。これら総体から民間交流と呼ぶ活動を作る。

それには、支援推進者の仲間作りを行なわねばならず、まずは必要性が通じる専門職の養成機関との連携をなんとか探りたい。

今度は北里大のOTさんたちのサークルへの呼びかけをする。関連行政の関係者の招待という案も考えたが、これは茅ヶ崎では講演を受け止める、「その後」が続かないと、失礼千万でもある。いい案が思い浮かぶまでペンディングしている。岩手の活動は、南三陸支援の流れの中にないから、被災地とつないでも、すぐに関係は切れてしまうからだ。

もしこの専門校アクセスが成功し、8月下見が成り立ったときも、地元関係者との対話や、更には私のような夜行バス即日往復など、参加者にはつき合わせられないので、新幹線一関ルートで、地元最低一泊という入り込む道を考えないといけない。そうすると私の懐が怪しくなってしまうという悲しい話がある。それを準備しても、行くのが私だけになる確率が高いだけに、悩ましい。

慈恵医大の大学と専門学校、応答を待っている。明日は、父の老健の七夕。帰りに東海大学か某専門学校を回る。

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今回、高校卒業資格認定試験付き添いは、爺ぃパスが効いた。私の担当している若者は東京対象者は1名。がんばってねと、極めて無責任に言ってある。学力のある子だからでもある。

夜間傾聴:A子(仮名・シアトルから、今年一時日本に戻る。)
     大森海岸君(仮名・こちらから。プシケ大田の噂を聞く。)
     橋本2君(仮名)


(校正2回目済み)
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7/4 新橋に出て

2012-07-05 05:37:32 | 引きこもり
2012/07/04 記
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某薬局から電話が入る。「にゃんだーガード」の保護猫の新しい飼い主さん探しのポスターを剥がせと恐ろしい剣幕。私の発行している募集通信No.09ではない。これは、実は各地の保護犬猫のシェルターで、昨年来子どもが生まれ育っている関係で、子どもが先に引き取られていくために、親犬猫が滞留してしまうという傾向がでている。そんな関係もあって、一時預かりをしてくれる方を熱を入れて探している事情がある。ただ茅ヶ崎の獣医さんには、私の通信はOKでも、他団体のポスターは、市の獣医師会の審査を受けてくれという方があって、手間がかかるので、面倒を避け、職場近くの薬局に掲示依頼をしていたのだった。

薬局はチェーン店で、「ひとつの掲示を認めると、次々に様々な団体がポスターを持ってくるので認められない」というのだった。店長の了解を得ていたのにと思いつつ、チェーンの指導が入ったなと推測された。

薬局のある相模原市は遠いので、「それでは廃棄してください」と応答したところ、怒り出した。「誠意がない」というのだ。「取りに来い」というので、「自宅が茅ヶ崎なので時間がかかる。しかし、悪いことをしたつもりはない」と応答し、相模線に乗った。結局店長が雲隠れし、得たいのしれない若いネクタイ姿の男性が、「規則破りをしたのを謝れ」といいだした。事情を説明し、そのような内規を客に押し付けるのはどんなものかと応答。相手は私の白髪頭を見て、会ったときから、抗議をしながらも、相手が違ったという顔をしていたので、「客に運賃を払わせて回収させる程度のものかよく考えてみろ」と応戦。最後は、男が「お持ち帰り下さい」と丁寧語に変わったところで、「私は店長に名刺を渡している、それをみればわかるが、直接このポスターの団体会員ではない、そちらに迷惑を及ぼさないと誓ってくれ」とダメ押し。この男の名前を確認して話は終わった。ばかばかしい。

新横浜・品川経由で新橋に出たところで16時を回っていた。ため息がでた。河北新報社に行くことにし、某記者(?)に電話をしたところ、新橋ならこちらから行くので外で会おうということになり、1時間ほど話して再び、新宿・調布経由で橋本まで逆戻りした。訪問指導の時間だった。

河北新報の記者さんとの話は、広田半島の地域保健福祉に関東から、専門職の卵を研修兼ねて送り出すことは、地元にとって、行政とバッティングしたりしないだろうかという私の不安の話。少し調べて情報をいただけることに。また気仙地方の孤独死情報は、全体は思い当たることはないが、孤独死は出ているとのこと。これも話せそうな情報は、まとめて送るということになった。私の企画の活動の概略を取材してくださった。まだ実体がないから記事になることはないだろうが、話が動き出した時点で、今回の話を利用してくれるだろう。

慈恵医大は、また行きそびれてしまった。交通費がかさむが、明日もう一度挑戦する。準備した依頼状には「来年度研修に広田半島の保健医療活動を取り込んでもらえまいか、その下見を8月お盆明けに組まないか」というお誘いの書面だった。企画提案からすでに半年、夏休み、とことん日程が邪魔をする。

CCW関係の専門学校も回っていく。じもとのふれあい系の専門学校は、数年前の引きこもり青年による喫茶つきハローワークの誘致活動の際、関係団体間の混乱があって、企画自体が流産した。そのとき、ふれあい系の関係者の方々には迷惑をかけたことがあって、今回のように活動の立ち上げ時の協力は難しい。だから最後にお願いすることに。

もうひとつ、近隣の専門学校では、活動が立ち上がったら資料をくれれば読みますとの消極論。巡回後、また立ち寄ることにしている。

私の企画呼びかけに、自分たち自身の活動の契機を見た方でないと、関心が「持ち込むお前は何者か」になってしまう。それには地元行政や関係者の情報や意見がないとなかなか腰があがらない。地元にしてみれば、長期的に来てくれれば、計画に検討し加えますよということになり、堂々巡りになっていく。2~3ヶ月に一度の訪問では間に合わない。関東の協力者探しは、ここに風穴を開けようということだから、大木を押しているようなものだ。そのようなことは、もともとわかっている。

薬局の男のように、つまらない邪魔は必ず入る。だからともかく、協力者ではなくて相棒が出来るまでは、とにかくこまめに提案をぶつけていく。

セカンドブックアーチの山本君は帰国しただろうか。そろそろメールするつもり。


夜間傾聴:中学生君(仮名)
     橋本3君(仮名・母親)


(校正2回目済み)

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7/3 開けゴマを百万遍唱えよう

2012-07-04 06:00:48 | 引きこもり
2012/07/03 記
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糖尿病の検査、今回昼食を挟んで血糖値の変化を見る検査が入ってしまった。13時をまわってしまい、そこに母からの電話。午前中眼科に行き、瞳孔を開いて検査をした。駅ビルにいるから迎えをとの話。母をタクシーに詰め込んで、時計をみると2時過ぎていた。これでは職員会議の時間にかかってしまう。明日の巡回先の時間変更の電話を入れて、結局慈恵医大附属専門学校にいく予定は一日ずれてしまった。

今日、セカンドブックアーチの山本君が帰国する。ところが広田町の三井君は、東京で連続して講演会に出ている。彼が広田町に戻るのは7月18日。巡回文庫始動はその後になってしまう。看護師やCCW(介護福祉士)・OT(作業療法士)やPSW(精神保健福祉士)の養成校を回るにしても、広田半島の糸口がなければ、説得力を持たない。私が地元で何をなしているか、それを明かさなければ話の接ぎ穂もなくなってしまう。夏休みに入る前に会っておきたい、そのタイムリミットが迫っている。

雨が降り出していた。この時間を有効に使うには、広田半島通信の0号モデルを作って増刷すること、教官のアドレスが公開されているところは、見込みのあるところから、順にメールをだしておくことだった。

市社協に寄って、ビッグイシューを置き、陸前高田の見守り支援関係者を問い合わせるが、わからない。岩手は大槌町にいたはずとのこと。この方は私は直接知っていた。ただ広田半島に係わるゆとりがない。鎌倉勢は復興支援のようだ。

結局、茅ヶ崎サポセンに、ビッグイシューを置き、半島通信のモデル版を作って、1通教官宛のメールをだしたところで、**子の親御さんから連絡。応答に少し時間が欲しいとのこと。応答しだいで、プシケ大田との仲介が入る。思い出して、橋本3君の企業体験の社長のところに電話し、日程確認。全身が脈を打っているのを感じて、クールダウン。

辻堂図書館に自立生活サポートセンター「もやい」編「貧困待ったなし!――とっちらかりの10年間」を受け取り、買い物して家に戻った。

7月6日、父の老健が七夕。出席再確認の電話が入っていた。母が出席と応答したが、日がますます無くなって行く。こういうときは、離れてみる。隙間が開いていることが往々としてあるからだ。以前、河北新報の東京支社(銀座)にお邪魔したことを思い出した。明日、慈恵医大の専門学校に寄ったあと、ぶつけてみようかと思った。名刺交換した方と会えるといいのだが。

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糖尿病検査のとき、医師に風邪を引いて治ったばかりと告げた。すると春先に出したステロイド吸入薬を出すという。「あれは糖尿病治療も兼ねているのですか」と訪ねた。NK細胞の知見である。ところがきょとんとして、あれは咳止めだよと返されてがっかりした。専門医を謳っているから行っているのに、正体みたりの感じ。医者を信じてはいけない。

夜間傾聴:中学生君(仮名)
     橋本2君(仮名・母親)

p.s.掲示した画像はA4の左側である。残りのA4右側には、言葉の記事がはいる。2枚で1組。

(校正1回目済み)
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7/2 今回はメモで、すみません

2012-07-03 05:20:03 | 引きこもり
2012/07/02 記
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ペットレスキュー紙10部配布済み。あとひと息。

広田半島通信テスト紙2種類完成。午後、慈恵医大へ。

午前中、糖尿病検査。成人検診もしなくては…。

**子、やはり、先方に行きたくなかったため嘘をついていた。時間が必要。言葉を封じていなかったか、自己点検。父親に経過メール。父親宛の電話を**子が遮断。警戒されてしまったか。

三井君、7/13までスケジュールが詰まっている。セカンドブックアーチの山本君まもなく帰国。時がどんどん過ぎていく。やむないことなのだが。

橋本3君の職場体験。塾講師養成研修と日が一部重なりそう。調整開始。お盆休みを家族が理解してくれればいいのだが。

今回は、朝検査なので、これで。

夜間傾聴:中学生++君(仮名)


(校正1回目済み)
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7/1 夏期講習の分担決まる/ペットレスキュー紙市内配布半分済み

2012-07-02 06:09:36 | 引きこもり
2012/07/01 記
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夏期講習の分担が終わった。今年、教材屋の仕事が少なかったので、本来なら授業を増やす必要があったが、現地1泊の陸前高田までの旅費を稼いでおくつもりで、久々に友人の教室を訪ねた。塾の教員育成の講師のアルバイトだ。私は個別指導至上主義は間違いだと思っているが、ここは一斉授業をしない。ある私大生が多いのだが、子ども観が年々痩せて、学びと知識の価値が見えていない講師が増えている。私が爺ぃだからかもしれない。その学生に一斉授業は出来ない。個別指導はもっと難しいのだが、採点して時間を過ごすのなら、なんとか過ぎていく。いつも数人の講師の卵を相手にしてくる。

よりによってお盆の時期に講師養成講座を担当することになった。いつもは日曜日だったり、5月だったりしていた。友人にいつも無理を言って入れてもらったのだ。この方が学生相手の一斉授業より時給がいい。給料先払いというずうずうしい話だから、友人のところじゃないと、こんな話は成り立たない。ただ、場所が遠い。

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火曜日に慈恵医大附属専門学校に行く。広田半島通信呼びかけ版を作っているが、これを持って説明に行こうと思う。前回の問い合わせの応答がないので、アポなしになってしまうが、やむをえない。

小友町のモビリア図書室宛の手紙を書いている。主催者も国際支援活動と移動文庫をやっているところだから、リクエストに応えることを個性にしていこうと思っている。セカンドブックアーチの協力も得るが、予算の枠内で購入本も添えて贈ろうと思っている。

ペットレスキューの月刊紙「被災したペットの新しい飼い主さんを探していますNo.09」を配布。ついていない、なぜかここのところ配布は雨の中。今回は猫号で「ねこひと会」の仲介。全40部なのだが、22部配布完了。今度、被災と家畜の関係の話を聞けそうだ。福島を見つめるもうひとつの視点。

タージが、南三陸の高校生交流会のチラシを配っていた。岩手気仙地方の支援をしていると、なかなか連携できない。私が鶴嶺高校で、芽を作った子たちだから、気になるが南三陸では接点の持ちようがない。ため息をつく。

**子の両親宛のFAXメールを書く。結局、新しい人間関係を敬遠しているのだろうか。ともあれ昼過ぎに。


<気になる新刊書籍 6月>
●「精神障がい者のための就労支援」
●「リカバリー―希望をもたらすエンパワーメントモデル」

ともかく被災地現地の活動をしている相手に、何とかたどりつきたい。広田半島通信に実を持たせたい。


夜間傾聴:なし

(校正2回目済み)

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