2012/07/23 記
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夏期講習相模大野校は、高認・東京会場受験者と学習相談希望者を担当することに。今年は新規採用の時間講師の指導を分担している。定年間際爺ぃの役だ。それでも訪問指導が積まれない分、例年と様相が違う。蒸し暑さがぶり返したから、外勤のない分、楽。
東海新報に広田町の記事が載った。いい話なのに、私の情報ルートから誰もその経過情報を提供してくれなかったことにショックを喰らっている。結局は支援は現地に出向き、状況を共有してこなければ、肝心な情報ひとつも入手出来ないという虚しさである。(東海新報は直接リンクできないので、見出しで検索をして欲しい。)
●「広田町に仮設野菜直売所オープン 日本一の安さ目指す」7/22
JAの盆市のことは、月一回の企画として話はつかんでいた。それが週2回の朝市になるという。外出支援のひとつ、買物支援の必要性がひとつ霞んでくる。私が衝撃を喰らったのは、広田町の方や、支援者の情報から、回復状況が入ってこなかったこと。その内容の質問をしていたのだが、応答がなかったことだ。数ヶ月に一回足を運ぶような状態では、「回復状況が入ってこない。ここをどうするか」これが大きな問題なのだ。
巡回文庫は、その回復状況をつかみ、仮設や被災した家庭の外出困難者のニーズをつかむ契機にしてもらうということで、巡回を定期的に提供することを要としてきた。しかし、SETの三井君のように定住すると腹を決めたものには、そこを通さなくても、話は入ってくる。私の活動計画自身が、被災者の孤立と心身を蝕む状況に対し、緩やかな見守りの眼を日常活動の形で支援し、地域保健福祉のネットワークにつないでいくことにある。このスタンスの接点をどう形作っていくか。「被災者の孤立と心身を蝕む状況」は世間向けの顔でつながる活動からでは、隠されて見えてこないだろう。
ここは医療と行政の専門職の独自活動を根幹とし、支援者たちはサロンと手作業の場作りを通じてつながっていく道をセオリーとしてきた。ところが家族の介護がとくに田舎の場合、老老介護を地縁・血縁で補っていくという形になっており、それが災害という事態の中で、無理と歪みが介護者としての高齢主婦と外出困難なその親の世代に、介護・被介護それぞれの形でのしかかっていること。「よそ者には」という壁のある課題だ。しかし、介護度基準でいえば、「要支援」の方が避難所生活の結果として増えていながら、「外出サポート」が「訪問介護事業者」のサポートやデイサービスの形で接点を再建しようという動きがある段階でも、生活復旧の今は、とても日常生活の不自由さをカバーできるような状態ではないことなのである。
私の母は要支援2だが、週に1回の通所トレーニングに行くだけで点数に、なってしまう。ところがこの歩行の不自由さが、仮設サロンの主役にはなっていない状況がある。家事・家計と農漁業の働き手と介護と孫の世話の中心に、一手に引き受けている中高年・熟年主婦の慰労のためのサロンになっている。それはそれとして意味を持つが、親の世代が在宅孤立していたり、介護度の高い方優先の相談員巡回では目の届きにくい層が私の提唱する外出支援の対象者だ。また、特記の形で保障している認知症発症や徘徊がある方も介護度は低く目に出る。
●「認知症、被災地で深刻化=震災後の環境変化が要因」7/14
ここに入っていく前に、外出支援(通院・入湯・友人訪問・買物etc.)の補助によって、孤立化しがちな方のQOLを上げていく支援を、ローテーションを組みながら支援していくことはできないのかという問題意識があった。ところが被災地を歩いて感じたことは、この「要支援」の方を引きこんだ様々な慰安行事、とくに芸能関連の企画には連れて行かれているから「飽きないから平気」とか、「皆苦しい思いをしているのだから、不自由は我慢してもらわねば」という話を聞くことが多かった。自己選択の乏しい芸能行事への観客参加や、TV視聴で時を過ごすことは、認知症の防止にはならない。
孤立死(高齢者は、自殺よりも病死・入浴溺死のような屋内事故死・アルコール中毒死が多い)は都市型災害ではないかという奈良**MLからの指摘もあったが、地域を解体した知らぬ隣人集団の仮設では起こりうる。また、怖い穴だが仮設コミュニティ活動の活発なそのただなかが、案外死亡者が出る。これはお互いがお互いを見守っていると思い込んでる穴だ。地縁の残っている仮設では、これが起こりうる。
ところが、ここは専門職との協働による活動が必要であったり、短期来訪者の参加をするシステムが立ち上がってこないと、その価値が伝わっていかない。だから地元のケアの専門職の方と連絡を取る必要があるし、ローテーションを組むために、支援者ネットワークを地元・非被災地をつないだ活動を作る意味で、医療ケアの専門職との支援モデル作り常に更新される活動が必要だ。
そのために問題が山積している広田町という定点を作ったのだが、地元手配師というか、コーディネーターと組まないと、話は進まない。訪問時の移動効率化のための私自身の足が欲しい。陸前高田市役所あたりに中古自転車を置かせてもらえまいか。いわばボトルキープならぬ自転車キープである。加えて地元の復旧状況のレポーターが欲しい。そう思うのだ。三井君の場合は、生活支援の上になりたつ就労や援農・援漁・環境整備支援にウェイトがあるので、大きなところで関心がずれている。三井さんは地元訪問者の仲介屋をお願いして、見守り支援を地元熟年主婦の方たちと私が組めないかと思うのだ。一般学生さんの場合は、外出支援の形をもっと定型化してからでないとまだ無理がある。
ともあれ8月広田訪問は急がねばと思う。8月初めは、橋本3君の体験就労へのジョブコーチもどきをやることになっている。お盆前に、湘南から打てる手は打っておきたいのだが。8月下旬でなければ無理か。
夜間傾聴:中学生君(仮名)
南橋本君(仮名)
(校正2回目済み)
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夏期講習相模大野校は、高認・東京会場受験者と学習相談希望者を担当することに。今年は新規採用の時間講師の指導を分担している。定年間際爺ぃの役だ。それでも訪問指導が積まれない分、例年と様相が違う。蒸し暑さがぶり返したから、外勤のない分、楽。
東海新報に広田町の記事が載った。いい話なのに、私の情報ルートから誰もその経過情報を提供してくれなかったことにショックを喰らっている。結局は支援は現地に出向き、状況を共有してこなければ、肝心な情報ひとつも入手出来ないという虚しさである。(東海新報は直接リンクできないので、見出しで検索をして欲しい。)
●「広田町に仮設野菜直売所オープン 日本一の安さ目指す」7/22
JAの盆市のことは、月一回の企画として話はつかんでいた。それが週2回の朝市になるという。外出支援のひとつ、買物支援の必要性がひとつ霞んでくる。私が衝撃を喰らったのは、広田町の方や、支援者の情報から、回復状況が入ってこなかったこと。その内容の質問をしていたのだが、応答がなかったことだ。数ヶ月に一回足を運ぶような状態では、「回復状況が入ってこない。ここをどうするか」これが大きな問題なのだ。
巡回文庫は、その回復状況をつかみ、仮設や被災した家庭の外出困難者のニーズをつかむ契機にしてもらうということで、巡回を定期的に提供することを要としてきた。しかし、SETの三井君のように定住すると腹を決めたものには、そこを通さなくても、話は入ってくる。私の活動計画自身が、被災者の孤立と心身を蝕む状況に対し、緩やかな見守りの眼を日常活動の形で支援し、地域保健福祉のネットワークにつないでいくことにある。このスタンスの接点をどう形作っていくか。「被災者の孤立と心身を蝕む状況」は世間向けの顔でつながる活動からでは、隠されて見えてこないだろう。
ここは医療と行政の専門職の独自活動を根幹とし、支援者たちはサロンと手作業の場作りを通じてつながっていく道をセオリーとしてきた。ところが家族の介護がとくに田舎の場合、老老介護を地縁・血縁で補っていくという形になっており、それが災害という事態の中で、無理と歪みが介護者としての高齢主婦と外出困難なその親の世代に、介護・被介護それぞれの形でのしかかっていること。「よそ者には」という壁のある課題だ。しかし、介護度基準でいえば、「要支援」の方が避難所生活の結果として増えていながら、「外出サポート」が「訪問介護事業者」のサポートやデイサービスの形で接点を再建しようという動きがある段階でも、生活復旧の今は、とても日常生活の不自由さをカバーできるような状態ではないことなのである。
私の母は要支援2だが、週に1回の通所トレーニングに行くだけで点数に、なってしまう。ところがこの歩行の不自由さが、仮設サロンの主役にはなっていない状況がある。家事・家計と農漁業の働き手と介護と孫の世話の中心に、一手に引き受けている中高年・熟年主婦の慰労のためのサロンになっている。それはそれとして意味を持つが、親の世代が在宅孤立していたり、介護度の高い方優先の相談員巡回では目の届きにくい層が私の提唱する外出支援の対象者だ。また、特記の形で保障している認知症発症や徘徊がある方も介護度は低く目に出る。
●「認知症、被災地で深刻化=震災後の環境変化が要因」7/14
ここに入っていく前に、外出支援(通院・入湯・友人訪問・買物etc.)の補助によって、孤立化しがちな方のQOLを上げていく支援を、ローテーションを組みながら支援していくことはできないのかという問題意識があった。ところが被災地を歩いて感じたことは、この「要支援」の方を引きこんだ様々な慰安行事、とくに芸能関連の企画には連れて行かれているから「飽きないから平気」とか、「皆苦しい思いをしているのだから、不自由は我慢してもらわねば」という話を聞くことが多かった。自己選択の乏しい芸能行事への観客参加や、TV視聴で時を過ごすことは、認知症の防止にはならない。
孤立死(高齢者は、自殺よりも病死・入浴溺死のような屋内事故死・アルコール中毒死が多い)は都市型災害ではないかという奈良**MLからの指摘もあったが、地域を解体した知らぬ隣人集団の仮設では起こりうる。また、怖い穴だが仮設コミュニティ活動の活発なそのただなかが、案外死亡者が出る。これはお互いがお互いを見守っていると思い込んでる穴だ。地縁の残っている仮設では、これが起こりうる。
ところが、ここは専門職との協働による活動が必要であったり、短期来訪者の参加をするシステムが立ち上がってこないと、その価値が伝わっていかない。だから地元のケアの専門職の方と連絡を取る必要があるし、ローテーションを組むために、支援者ネットワークを地元・非被災地をつないだ活動を作る意味で、医療ケアの専門職との支援モデル作り常に更新される活動が必要だ。
そのために問題が山積している広田町という定点を作ったのだが、地元手配師というか、コーディネーターと組まないと、話は進まない。訪問時の移動効率化のための私自身の足が欲しい。陸前高田市役所あたりに中古自転車を置かせてもらえまいか。いわばボトルキープならぬ自転車キープである。加えて地元の復旧状況のレポーターが欲しい。そう思うのだ。三井君の場合は、生活支援の上になりたつ就労や援農・援漁・環境整備支援にウェイトがあるので、大きなところで関心がずれている。三井さんは地元訪問者の仲介屋をお願いして、見守り支援を地元熟年主婦の方たちと私が組めないかと思うのだ。一般学生さんの場合は、外出支援の形をもっと定型化してからでないとまだ無理がある。
ともあれ8月広田訪問は急がねばと思う。8月初めは、橋本3君の体験就労へのジョブコーチもどきをやることになっている。お盆前に、湘南から打てる手は打っておきたいのだが。8月下旬でなければ無理か。
夜間傾聴:中学生君(仮名)
南橋本君(仮名)
(校正2回目済み)