2012/07/14 記
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今、自分が広田半島の地域保健医療福祉を社会活動として応援していく、その非被災地の活動の形を作っていくにあたって、何が障害となっているのか、それを考えていた。
ひとつは、見守り支援活動といわれている活動が、SNSをみていても、間際に迫った企画行事の断片しか伝わってこないこと。昨日は小友町モビリア仮設で、200人規模で大きな樋の流し素麺をやったという。以前、私がモビリア仮設に入ったとき、私の応対に出てくれた方から、最近の情報収集をしようと携帯に電話したところ、彼女はモビリア仮設の入居者ではなく、支援者であったこと、これには必ず確認をする私は、勘違いに驚いた。彼女が当時「ありがとうございます」といっていたことは、彼女の活動を支援してくれてありがとうの意味で、私の伝えて欲しいと望んだ仮設入居者の方々への援助意志表示のメッセージは、仮設入居者にはつたえられていなかった。大きな図書プレゼントの企画の助成を行なった資金提供団体の方と話したことは、モビリア訪問時、図書室ボラの代表の吉田さんに伝えていただけなかっことがわかった。助成団体のボラさんは知らず、吉田さんへの連絡方法を求めて、再度彼に連絡したところ、メールは、なしのつぶてになってしまった。伏線の伏線で、訪問時、図書管理をされていた娘さんに手紙を託して、やっと渡してくれたことがわかったが、この方も入居者ではなく、近隣地域ボランティアさんだった。書籍の提供の申し出ひとつとっても、依頼は伏線の伏線ぐらい張るのは当たり前の感じで、大事なことの空振り自体も、注意していないと遠方からは現場の状況がマスキングされて見えてこない。
結局は訪問滞在型の活動をして、常に現地にいなければ、日々の状況が全く見えない。その情報源も、当人の身元確認をしていたにもかかわらず、当事者代理という感覚なのだろうか、当事者として振舞い、それなのに、その後の問い合わせにも、なかなか応答してくれない、つまり伝言してくれていないのだった。
陸前高田の社協では、行政関係者以外は担当者が窓口になっていて、「今、担当者がいないから、明日来てくれ」となる。アポを他団体の担当者と取る時にも、この軽い日程感覚が邪魔をして、現地2泊バス2泊の旅でも、彼の言う「明日」には、私は東京に戻っているという事態が起きる。つまり長期滞在でないと、あらゆる活動が指の間からすり抜けてしまうのだ。だから伏線の伏線でようやく綱渡りしている。
この「現地の状況」が探っても見えないという壁、これがある。災害ボランティアは活動が組織化しているわけではないので、個人の印象でもいいから、統括して「見る」ということを求めるために、現地レポーターをお願いしている。三井君もそのひとりだが、彼はとにかく忙しい。もうひとりは、訪問したときでないと、なかなか話はルポできない。残り一人は地元の方だが、こちらがまだ支援を提供しないで、情報をよこせとは言い出せない。私が広田町を訪問したときでないと、なかなか町の情報をいただけないという現状がある。数ヶ月に一度の訪問では、とても埋めきれない。
広田町通信は、その内容が生活再建活動のひとコマ画像、特に見守り支援活動のスナップを送っていただき、湘南各地に画像を掲示していくことで、活動の様子を湘南に還元して行く。そういうフォトニュースを作り配布する活動をし、湘南の諸行事で託された活動や応援のメッセージをまとめ、仮設や、みなし仮設に伝えていくという活動や、湘南で懇親会をひらき、民間交流を積み上げていく段取りの活動を生み出したい。
そのためにも、現地の眼と情報収集の協力者ルートをなんとか確立したいのだ。もっともっと必要な情報が欲しい。
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次に巡回文庫を巡る話だ。これも前者の「壁」に関係してくるが、実は広田半島地域にも、いくつもの文庫活動が入っている。これが現場に行ってみないと、どこにどのくらいの、そして対象がどの年齢層の書籍が入っているか、それがわからないのだ。
現状から言えば、子ども向き書籍が圧倒的で、大人向けの本は、「被災からの生活再建」という状況下で、書籍を利用するゆとりがあるのかどうか、実用書なら何が必要かという探索が必要だ。漠然と本を贈りつければ、書籍の死蔵は目に見えている。だから私たちは、子育てと、子育て中のママさんたちへの実用書は、他の団体さんにお任せして、こちらは高齢者向け雑誌・文字の大きめ&ビジュアルな書籍と実用書を選んで贈り、何回か定期的に巡回交換。要望を聞き、新中古本に該当する書籍がなければ、予算の範囲で新刊を買って届けるという形を個性としたい。
その要望を取りまとめる巡回ボランティアを三井君だけではなく、地元の図書管理の方と直接つながり話したい。
実は巡回文庫には、裏の意味もあった。それは巡回活動を通じて、仮設入居者の方とつながる手立てをとりつつ、外出困難な方の買出し・通院・(銭湯)入湯などの個別の方の外出支援を車を使って行なうというものだった。
しかしこれも、同伴支援者との連携が必要だ。また対象が障がいや高齢の方なので、訪問看護師さんや保健師さんなどのプロの行政関係者の方の援助になっている必要がある。連携をとりたい、しかしまだ実体がない。
つまり現地でやることは山積している。三井君は復興支援全般、特に就労・就業支援も支援しているので、彼の文庫アシスタント兼なんでも屋の御用聞きさんを探したい。
添付ファイルを時には送るので、旧態だがメーリングリストを作り、議論を作ると考えたこともあった。しかしそれは被災者を手前味噌の枠に囲い込むという失礼にあたる。だから広田半島通信は画像掲示を基本にしたある意味、他力本願の交流活動をとなった。
ところが日々地元の方と接触している方には、文庫などの仲介しなくとも、要望をきくことができるだろう。ここに空転がある。しかしそれでは被災地の状況は、割り込み活動(文庫)がなければ非被災地には伝わらない。となれば、むしろ巡回文庫に独自の意味合いを持たせるべきだろう。ここで文庫巡回と、なんでも屋・御用聞き人材がいる。この人材不足がもうひとつの「壁」だ。
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目を転じて、湘南を見てみよう。茅ヶ崎は宮城勢が圧倒的だが、岩手では大槌町の見守り支援ボランティアの方がいる。ところが気仙地方とつながっていない。陸前高田・大船渡の気仙地方の見守り支援者がいても、つながっていない。これが問題。鎌倉市には大船渡のサンマやワカメの販売活動をされている。茅ヶ崎に陸前高田に入っている方がひとりいらっしゃる。しかし噂しかきいたことがなく、全くつながれない。
この非被災地の活動人材獲得は、難を極めている。ならば積極的に呼びかけ、作っていこうということで、関係団体企画や、大学祭、関係団体回りをしていく。医療系大学や専門学校をまわるのも、地域保健医療福祉の専門職のネットワーク・セクターに参加してもらうという構造上の役割も有るが、社会活動の人材獲得の意味もある。ドンキホーテ的ではあるが、砂に埋れる前に、とにかく続けよう。
市の防災への私の関わりは、災害ボランティアの提案がすべて無視されたとき、食い下がる背水の領域でもある。それも拒否されたときは、私が個人として黙って現地訪問を続けるまでだ。言葉が通うことを願いともかく続けていく。
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21日は故伯母の百か日になる。帰りに真っ黒けの暑苦しい格好で、神奈川県立保健福祉大学の**氏と会いたい。だから会えないかと先ほどメールした。相談は認知症ケアの地域サポートの関係である。会えるといいのだが。
寒気のする新聞データ。
●「認知症、被災地で深刻化=震災後の環境変化が要因」
すでに専門職だけに任せておけばいい問題ではないのだ。
夜間傾聴:A子(仮名・連休中シアトルから帰ってきた。明日会う。)
中学生君(仮名・病院の薬、まだ飲むなと指示。今日、会ってきた。)
(校正2回目済み)
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今、自分が広田半島の地域保健医療福祉を社会活動として応援していく、その非被災地の活動の形を作っていくにあたって、何が障害となっているのか、それを考えていた。
ひとつは、見守り支援活動といわれている活動が、SNSをみていても、間際に迫った企画行事の断片しか伝わってこないこと。昨日は小友町モビリア仮設で、200人規模で大きな樋の流し素麺をやったという。以前、私がモビリア仮設に入ったとき、私の応対に出てくれた方から、最近の情報収集をしようと携帯に電話したところ、彼女はモビリア仮設の入居者ではなく、支援者であったこと、これには必ず確認をする私は、勘違いに驚いた。彼女が当時「ありがとうございます」といっていたことは、彼女の活動を支援してくれてありがとうの意味で、私の伝えて欲しいと望んだ仮設入居者の方々への援助意志表示のメッセージは、仮設入居者にはつたえられていなかった。大きな図書プレゼントの企画の助成を行なった資金提供団体の方と話したことは、モビリア訪問時、図書室ボラの代表の吉田さんに伝えていただけなかっことがわかった。助成団体のボラさんは知らず、吉田さんへの連絡方法を求めて、再度彼に連絡したところ、メールは、なしのつぶてになってしまった。伏線の伏線で、訪問時、図書管理をされていた娘さんに手紙を託して、やっと渡してくれたことがわかったが、この方も入居者ではなく、近隣地域ボランティアさんだった。書籍の提供の申し出ひとつとっても、依頼は伏線の伏線ぐらい張るのは当たり前の感じで、大事なことの空振り自体も、注意していないと遠方からは現場の状況がマスキングされて見えてこない。
結局は訪問滞在型の活動をして、常に現地にいなければ、日々の状況が全く見えない。その情報源も、当人の身元確認をしていたにもかかわらず、当事者代理という感覚なのだろうか、当事者として振舞い、それなのに、その後の問い合わせにも、なかなか応答してくれない、つまり伝言してくれていないのだった。
陸前高田の社協では、行政関係者以外は担当者が窓口になっていて、「今、担当者がいないから、明日来てくれ」となる。アポを他団体の担当者と取る時にも、この軽い日程感覚が邪魔をして、現地2泊バス2泊の旅でも、彼の言う「明日」には、私は東京に戻っているという事態が起きる。つまり長期滞在でないと、あらゆる活動が指の間からすり抜けてしまうのだ。だから伏線の伏線でようやく綱渡りしている。
この「現地の状況」が探っても見えないという壁、これがある。災害ボランティアは活動が組織化しているわけではないので、個人の印象でもいいから、統括して「見る」ということを求めるために、現地レポーターをお願いしている。三井君もそのひとりだが、彼はとにかく忙しい。もうひとりは、訪問したときでないと、なかなか話はルポできない。残り一人は地元の方だが、こちらがまだ支援を提供しないで、情報をよこせとは言い出せない。私が広田町を訪問したときでないと、なかなか町の情報をいただけないという現状がある。数ヶ月に一度の訪問では、とても埋めきれない。
広田町通信は、その内容が生活再建活動のひとコマ画像、特に見守り支援活動のスナップを送っていただき、湘南各地に画像を掲示していくことで、活動の様子を湘南に還元して行く。そういうフォトニュースを作り配布する活動をし、湘南の諸行事で託された活動や応援のメッセージをまとめ、仮設や、みなし仮設に伝えていくという活動や、湘南で懇親会をひらき、民間交流を積み上げていく段取りの活動を生み出したい。
そのためにも、現地の眼と情報収集の協力者ルートをなんとか確立したいのだ。もっともっと必要な情報が欲しい。
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次に巡回文庫を巡る話だ。これも前者の「壁」に関係してくるが、実は広田半島地域にも、いくつもの文庫活動が入っている。これが現場に行ってみないと、どこにどのくらいの、そして対象がどの年齢層の書籍が入っているか、それがわからないのだ。
現状から言えば、子ども向き書籍が圧倒的で、大人向けの本は、「被災からの生活再建」という状況下で、書籍を利用するゆとりがあるのかどうか、実用書なら何が必要かという探索が必要だ。漠然と本を贈りつければ、書籍の死蔵は目に見えている。だから私たちは、子育てと、子育て中のママさんたちへの実用書は、他の団体さんにお任せして、こちらは高齢者向け雑誌・文字の大きめ&ビジュアルな書籍と実用書を選んで贈り、何回か定期的に巡回交換。要望を聞き、新中古本に該当する書籍がなければ、予算の範囲で新刊を買って届けるという形を個性としたい。
その要望を取りまとめる巡回ボランティアを三井君だけではなく、地元の図書管理の方と直接つながり話したい。
実は巡回文庫には、裏の意味もあった。それは巡回活動を通じて、仮設入居者の方とつながる手立てをとりつつ、外出困難な方の買出し・通院・(銭湯)入湯などの個別の方の外出支援を車を使って行なうというものだった。
しかしこれも、同伴支援者との連携が必要だ。また対象が障がいや高齢の方なので、訪問看護師さんや保健師さんなどのプロの行政関係者の方の援助になっている必要がある。連携をとりたい、しかしまだ実体がない。
つまり現地でやることは山積している。三井君は復興支援全般、特に就労・就業支援も支援しているので、彼の文庫アシスタント兼なんでも屋の御用聞きさんを探したい。
添付ファイルを時には送るので、旧態だがメーリングリストを作り、議論を作ると考えたこともあった。しかしそれは被災者を手前味噌の枠に囲い込むという失礼にあたる。だから広田半島通信は画像掲示を基本にしたある意味、他力本願の交流活動をとなった。
ところが日々地元の方と接触している方には、文庫などの仲介しなくとも、要望をきくことができるだろう。ここに空転がある。しかしそれでは被災地の状況は、割り込み活動(文庫)がなければ非被災地には伝わらない。となれば、むしろ巡回文庫に独自の意味合いを持たせるべきだろう。ここで文庫巡回と、なんでも屋・御用聞き人材がいる。この人材不足がもうひとつの「壁」だ。
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目を転じて、湘南を見てみよう。茅ヶ崎は宮城勢が圧倒的だが、岩手では大槌町の見守り支援ボランティアの方がいる。ところが気仙地方とつながっていない。陸前高田・大船渡の気仙地方の見守り支援者がいても、つながっていない。これが問題。鎌倉市には大船渡のサンマやワカメの販売活動をされている。茅ヶ崎に陸前高田に入っている方がひとりいらっしゃる。しかし噂しかきいたことがなく、全くつながれない。
この非被災地の活動人材獲得は、難を極めている。ならば積極的に呼びかけ、作っていこうということで、関係団体企画や、大学祭、関係団体回りをしていく。医療系大学や専門学校をまわるのも、地域保健医療福祉の専門職のネットワーク・セクターに参加してもらうという構造上の役割も有るが、社会活動の人材獲得の意味もある。ドンキホーテ的ではあるが、砂に埋れる前に、とにかく続けよう。
市の防災への私の関わりは、災害ボランティアの提案がすべて無視されたとき、食い下がる背水の領域でもある。それも拒否されたときは、私が個人として黙って現地訪問を続けるまでだ。言葉が通うことを願いともかく続けていく。
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21日は故伯母の百か日になる。帰りに真っ黒けの暑苦しい格好で、神奈川県立保健福祉大学の**氏と会いたい。だから会えないかと先ほどメールした。相談は認知症ケアの地域サポートの関係である。会えるといいのだが。
寒気のする新聞データ。
●「認知症、被災地で深刻化=震災後の環境変化が要因」
すでに専門職だけに任せておけばいい問題ではないのだ。
夜間傾聴:A子(仮名・連休中シアトルから帰ってきた。明日会う。)
中学生君(仮名・病院の薬、まだ飲むなと指示。今日、会ってきた。)
(校正2回目済み)