2012/07/12 記
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予定が2ヶ月ずれている。活動の立ち上げは必ず予定通りには行かない。だからその遊びというかゆとりを作っておかなくてはならない。しかしこのずれは大きい。来年度の実習・研修や体験学習とからめて、この夏休みに下見をしませんかと、呼びかけの構造を変えた。しかし無理がある。
今日も平塚の追分にある湘南平塚看護専門学校の事務長さんと会った。にこやかに応対してくださったが、この笑みは素人を追い出すときのあしらいの笑みだ。まいったなと思いつつ、目的をふたつ、ともあれ聞いていただいた。これが通っていれば、再会したとき、ああ、あのときの…となってくれる。無意味ではないのだ。この時期は国家試験が近づいて、実習などやることが多いから、参加は無理だとのこと。今回は教員の下見ですと応答したものの、空転はあきらかだった。
この間の看護学校訪問の際も、「国家試験が近いから」という説明が多かった。しかし看護師の国家試験は2/19。社会福祉士などの福祉医療の国家試験の1月末(1/26~27)である。病院と提携して実習をやっていることはわかっていた。しかも看護師の課程は1年制ではない。つまり「国家試験」という話が出た瞬間、そういえば諦めるだろうということが念頭にある。だからまずは概要を聞いてくださいという事を先にお願いし、参加協力の水準に幅を持たせてお願いする。その上で拒否されたら半分「成功」なのだが、その前に話が封じられてしまうのだ。
事務長さんは名刺を下さった。そのことでも怒る気にはならなかったのだった。謝意を述べ学園を去った。
次にお願いに回ったのは、神奈川県立平塚看護専門学校だった。一昨日、依頼状と資料を先に読んでくださいとお願いしてきたところだった。こちらはすっきりとしたものだった。内容はともかく、県立の学校なので、行政や公共団体の依頼以外は一切受け付けないのだという。そこで茅ヶ崎市市民活動サポートセンターや平塚市民活動センターのような市民活動の取りまとめをしている行政や市民活動のネットワークからの依頼だったら、聴いてくださいますかと尋ねた。それならば「検討します」とのこと、しかし加えて「国家試験」が出てきた。でた!と私は思っていた。
私は引きこもり青年の進学就労支援をしているが、私のところには比較的女子が多いほうだが、男性主導なので看護学校訪問経験がない。校内の雰囲気や、学生さんとの先方警戒心たっぷりの出会いから、大概の学校の様子や教員の資質が見えてしまうのだが、今回は調子が違っていた。根本は変わっていないのだろうが、要するに看護師さんの卵たちの入学から卒業までの様子が私の頭の中にはないからなのだ。
看護学校の数が比較的多いので看護学校をまわっているが、活動がまだ立ち上がっていない活動の立ち上げを含む同士を得ることはなおさらにハードルが高い。加えて私は何者かという理解可能なプロフィールを要求に応じてだしきれない悩みがある。不登校・引きこもり青少年の社会参加協力を仕事にしているというだけで、先方の脳裏のDBはエラー・ルーチンに入ってしまう。まさか「物好きです」とは言えまい。
活動が社会的認知を得ていない現状で、活動経験をいくつ積み上げてもそれが意味を持つものとして相手に響かない。変な爺ぃなので、やむをえないところもあるが、2000年を前に自分の塾を閉鎖して以降、交通事故の2年の入院ブランクがあってからも、ずっと社会活動への爺ぃの再就職は閉ざされていたから、企画を立ち上げてはひとに呼びかけたが、結局そこも履歴書の世界、政治力学の端切れが紛れ込んできて企画勝負にならない。しかし15年近くこんなことをやっているのも酔狂だが、自分なりの必然、理由はある。同時代人と組まないとテレパシーは伝わらないのかなとも思いつつ、爺ぃがにらめっこしてもしかたがないだろうとも思う。世代が違えば、企画の面白さというか、価値がひとを動かす。だから役割同士の空転は、もともと固着した関係なのだ。欠かすことはできないが、前座のようなものなのだ。少なくともその学園の状況がわかる。そう思っている。
「国家試験対策」をしておかないといけないのかなと思いつつ、次は平塚と小田原なので、作戦を考えている。考えてみればいい、被災地の地域介護医療と福祉の活動の価値を各地に語り広げてくれる眼を持っているのは、彼(女)たちなのだから。専門学校と大学をしらみつぶしにしていくつもりでいる。ただ呼びかけにもうひと味欲しいのだ。秋に広田町から地元の方との懇親会を開けるような受け皿を作っておきたい。被災地の生活再建の中の高齢者見守り支援は、東北にとって重要な意味を持つし、自分たちが被災したときの勘どころを押さえて行くための連携でもある。
いろいろ屁理屈を考えながらバスに乗り平塚駅に戻った。
今日の最後は、平塚市民活動センターに立ち寄った。岩手県の見守り支援に入っている方がいらしたら、教えてくださいというものだから、**さん、困っていた。秋に講演会を開く件も、協力をお願いしてきた。これはあらためて8月の陸前高田・大船渡に行って、講師依頼をしてくる。その概要が出来た段階でまたお願いをしにセンターに来ますとお願いしてきた。
ただいつも思うのだが、ここで「にゃんだーガード」の猫の新しい飼い主さんを求めるポスターを貼らせて下さいというと、苦笑が起こるのだ。福島のような緊急避難や、被災3県のような子どもと愛玩動物との悲惨な別れや、家畜との疫学上の裏方支援の意味など、被災体験の多様な実態を伝えるには不可欠な意味合いを持っているが、ラブリィペットの年甲斐のない態度に対する嘲笑を含んでいるので、この話を切り出すと他の領域の活動までも、支援する気力が萎えてしまうらしい。その方が動物愛護の世界を誤解されてるだけなのにと思う。
今回も脱力が感じられたが、ともあれこれはこれでお願いしてきた。出さない方がいいのかなとも迷ったりもする。
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CSWとCCWの仕事紹介は、時々している。家に戻ってきるとFAXが入っていた。町田市の子なのだが福祉職に就きたいという子がいるという。私の話を聴いての第一号だった。ただ高校を終えていない。その子のメニューを書くことになった。気が回らない子なので、その辺が心配の種なのではある。
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明日は、母のデイの老健の変種施設の見学に母の付き添いで行く。そこは高齢者のスポーツジムのようなところで、母の課題の下肢の筋力増強を目的に週に1回通うための施設見学である。前の見学した施設は、運動をすべて座って行い、認知症対策の塗り絵などをコースとして組んでいる。だから母が行くと優等生になってしまう。主治医からも負荷が不足しているといわれた。いわゆるスポーツジムとも違う介護度に準じた施設である。
だから明日は、時間的に巡回は1箇所だけだろう。授業は夜JR相模原である。
河北新報のDBの件、応答をいただいた。内容はこれから吟味。高田病院の件である。東京高校の知人から私のブログを見たとメールが入った。「発達障がいの方の支援はどうなったのと、おきつい言葉。勿論忘れたことなどない。被災地の障がい者情報が入ってこないのが主因・社会参加し、マッチングを行なうという災害ボランティアに自閉症スペクトルの子を連れていくのだ。
。
夜間傾聴:なし
(校正1回目済み)
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予定が2ヶ月ずれている。活動の立ち上げは必ず予定通りには行かない。だからその遊びというかゆとりを作っておかなくてはならない。しかしこのずれは大きい。来年度の実習・研修や体験学習とからめて、この夏休みに下見をしませんかと、呼びかけの構造を変えた。しかし無理がある。
今日も平塚の追分にある湘南平塚看護専門学校の事務長さんと会った。にこやかに応対してくださったが、この笑みは素人を追い出すときのあしらいの笑みだ。まいったなと思いつつ、目的をふたつ、ともあれ聞いていただいた。これが通っていれば、再会したとき、ああ、あのときの…となってくれる。無意味ではないのだ。この時期は国家試験が近づいて、実習などやることが多いから、参加は無理だとのこと。今回は教員の下見ですと応答したものの、空転はあきらかだった。
この間の看護学校訪問の際も、「国家試験が近いから」という説明が多かった。しかし看護師の国家試験は2/19。社会福祉士などの福祉医療の国家試験の1月末(1/26~27)である。病院と提携して実習をやっていることはわかっていた。しかも看護師の課程は1年制ではない。つまり「国家試験」という話が出た瞬間、そういえば諦めるだろうということが念頭にある。だからまずは概要を聞いてくださいという事を先にお願いし、参加協力の水準に幅を持たせてお願いする。その上で拒否されたら半分「成功」なのだが、その前に話が封じられてしまうのだ。
事務長さんは名刺を下さった。そのことでも怒る気にはならなかったのだった。謝意を述べ学園を去った。
次にお願いに回ったのは、神奈川県立平塚看護専門学校だった。一昨日、依頼状と資料を先に読んでくださいとお願いしてきたところだった。こちらはすっきりとしたものだった。内容はともかく、県立の学校なので、行政や公共団体の依頼以外は一切受け付けないのだという。そこで茅ヶ崎市市民活動サポートセンターや平塚市民活動センターのような市民活動の取りまとめをしている行政や市民活動のネットワークからの依頼だったら、聴いてくださいますかと尋ねた。それならば「検討します」とのこと、しかし加えて「国家試験」が出てきた。でた!と私は思っていた。
私は引きこもり青年の進学就労支援をしているが、私のところには比較的女子が多いほうだが、男性主導なので看護学校訪問経験がない。校内の雰囲気や、学生さんとの先方警戒心たっぷりの出会いから、大概の学校の様子や教員の資質が見えてしまうのだが、今回は調子が違っていた。根本は変わっていないのだろうが、要するに看護師さんの卵たちの入学から卒業までの様子が私の頭の中にはないからなのだ。
看護学校の数が比較的多いので看護学校をまわっているが、活動がまだ立ち上がっていない活動の立ち上げを含む同士を得ることはなおさらにハードルが高い。加えて私は何者かという理解可能なプロフィールを要求に応じてだしきれない悩みがある。不登校・引きこもり青少年の社会参加協力を仕事にしているというだけで、先方の脳裏のDBはエラー・ルーチンに入ってしまう。まさか「物好きです」とは言えまい。
活動が社会的認知を得ていない現状で、活動経験をいくつ積み上げてもそれが意味を持つものとして相手に響かない。変な爺ぃなので、やむをえないところもあるが、2000年を前に自分の塾を閉鎖して以降、交通事故の2年の入院ブランクがあってからも、ずっと社会活動への爺ぃの再就職は閉ざされていたから、企画を立ち上げてはひとに呼びかけたが、結局そこも履歴書の世界、政治力学の端切れが紛れ込んできて企画勝負にならない。しかし15年近くこんなことをやっているのも酔狂だが、自分なりの必然、理由はある。同時代人と組まないとテレパシーは伝わらないのかなとも思いつつ、爺ぃがにらめっこしてもしかたがないだろうとも思う。世代が違えば、企画の面白さというか、価値がひとを動かす。だから役割同士の空転は、もともと固着した関係なのだ。欠かすことはできないが、前座のようなものなのだ。少なくともその学園の状況がわかる。そう思っている。
「国家試験対策」をしておかないといけないのかなと思いつつ、次は平塚と小田原なので、作戦を考えている。考えてみればいい、被災地の地域介護医療と福祉の活動の価値を各地に語り広げてくれる眼を持っているのは、彼(女)たちなのだから。専門学校と大学をしらみつぶしにしていくつもりでいる。ただ呼びかけにもうひと味欲しいのだ。秋に広田町から地元の方との懇親会を開けるような受け皿を作っておきたい。被災地の生活再建の中の高齢者見守り支援は、東北にとって重要な意味を持つし、自分たちが被災したときの勘どころを押さえて行くための連携でもある。
いろいろ屁理屈を考えながらバスに乗り平塚駅に戻った。
今日の最後は、平塚市民活動センターに立ち寄った。岩手県の見守り支援に入っている方がいらしたら、教えてくださいというものだから、**さん、困っていた。秋に講演会を開く件も、協力をお願いしてきた。これはあらためて8月の陸前高田・大船渡に行って、講師依頼をしてくる。その概要が出来た段階でまたお願いをしにセンターに来ますとお願いしてきた。
ただいつも思うのだが、ここで「にゃんだーガード」の猫の新しい飼い主さんを求めるポスターを貼らせて下さいというと、苦笑が起こるのだ。福島のような緊急避難や、被災3県のような子どもと愛玩動物との悲惨な別れや、家畜との疫学上の裏方支援の意味など、被災体験の多様な実態を伝えるには不可欠な意味合いを持っているが、ラブリィペットの年甲斐のない態度に対する嘲笑を含んでいるので、この話を切り出すと他の領域の活動までも、支援する気力が萎えてしまうらしい。その方が動物愛護の世界を誤解されてるだけなのにと思う。
今回も脱力が感じられたが、ともあれこれはこれでお願いしてきた。出さない方がいいのかなとも迷ったりもする。
-------
CSWとCCWの仕事紹介は、時々している。家に戻ってきるとFAXが入っていた。町田市の子なのだが福祉職に就きたいという子がいるという。私の話を聴いての第一号だった。ただ高校を終えていない。その子のメニューを書くことになった。気が回らない子なので、その辺が心配の種なのではある。
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明日は、母のデイの老健の変種施設の見学に母の付き添いで行く。そこは高齢者のスポーツジムのようなところで、母の課題の下肢の筋力増強を目的に週に1回通うための施設見学である。前の見学した施設は、運動をすべて座って行い、認知症対策の塗り絵などをコースとして組んでいる。だから母が行くと優等生になってしまう。主治医からも負荷が不足しているといわれた。いわゆるスポーツジムとも違う介護度に準じた施設である。
だから明日は、時間的に巡回は1箇所だけだろう。授業は夜JR相模原である。
河北新報のDBの件、応答をいただいた。内容はこれから吟味。高田病院の件である。東京高校の知人から私のブログを見たとメールが入った。「発達障がいの方の支援はどうなったのと、おきつい言葉。勿論忘れたことなどない。被災地の障がい者情報が入ってこないのが主因・社会参加し、マッチングを行なうという災害ボランティアに自閉症スペクトルの子を連れていくのだ。
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夜間傾聴:なし
(校正1回目済み)