湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/21 故・伯母の百ヶ日に参列しつつ/高齢者の坂道と孤独死は特別なことか?

2012-07-22 06:43:18 | 引きこもり
2012/07/21 記
--------------
7月と言うのに,4月下旬の陽気。伯母の百ヶ日だった。母のお供で出かける。伯父・伯母は娘達が交代で実家を支えていた。その伯母が亡くなり、要介護2の伯父ひとり、娘の家庭に同居することを拒否して生活している。心臓にペースメーカーが入っている。夜は緊急電話を枕元に、ひとりで寝ている。娘(私の従姉妹)たちはそれぞれの家の事情を抱えているので、実家に宿泊は出来ない。

四十九日のとき、私には空元気を装っている伯父が痛ましかった。法事の後の食事の輪の端で、話し相手を失ったときにふと見せる眼差しが、実は昨年七月、大船渡市を訪問したとき、男ひとり残された悲しみを隠しきれない方に会った。それは隠し切れない痛々しさを感じさせたのだった。その方は葬儀屋さんだった。ひとの死を目の当たりにする仕事だが、自分の家族となると話は別。この4ヶ月、仕事は全く手がつけられなかったと、私に話してくれた。抜け殻のような身のふるまいが、私の心に焼き付いていた。伯父の表情もそれに似ていた。

虚しさも癒えたか、言葉はしっかりしていたが、墓のある坂の上までは、一緒に上っていけなかった。寺の控え室に、母とふたり、残った。連れ合いをなくしたとき、目に見えるほどに老いることがある。中には後を追うかのような方もいる。予約していた中華料理屋にタクシーで分乗する配車係を手伝って、先に墓から降りてきたのだが、雑然とした控え室に力なく座っている伯父と母を見たとき,この光景は避難所のようだと感じていた。伯父は娘達の家に住む事を頑として拒否し続けた。それは家族と引き換えに、近所の知り合いを失うことだった。家族を失い、見ず知らずの隣人の谷間の仮設に生きていかねばならない。男は不器用だから、家事のみならず、パチンコか酒に身を委ねてしまう。田舎はそれでも年配者でも現役で働いている方が多いが、足腰が弱まると一気に孤立化する。

まだ元気だった頃の父は、留守番を頼まれたとき、昼食用と出された弁当に添えるインスタント味噌汁の具と味噌の始末がわからなかった。具の袋だけ開けて、湯を注ぎ、首を傾げていたが、味噌汁を捨ててしまった。隣人がくれた桃を冷凍室にいれてしまうなど朝飯前だった。伯父もまた伯母に頼っていた人なので、ひとりにしておくのが怖いという。洋式O型便座を降ろしたまま小便をして、便座を濡らして、慌てて周囲に撒き散らしてしまったという。

一見なんでもないことのような物事の累積が、じわりと独居の高齢者を追い詰めていく。広田町仮設は地元人で占められていると聞くが、あちこちの方が集められた仮設とか、みなし仮設の独居の男性は、この孤独に耐えなければならない。伯父とて心筋梗塞があれば、孤独死という事になってしまう。人をつなぎ、人を人の輪の中に置くという事の大切さを感じてしまう。

これは私が以前係わった自閉症スペクトラムの少年を抱える老夫婦の事例だが、TVの中継が近所でやっているというので少年が飛び出して行った夜、心配して探しに出た祖母が帰ってこない、祖父が不安をぶつけるように私に電話してきた。お宅に駆けつけると,ヤカンが焼けている、醤油の瓶が倒れているという状態だった。すぐに交番に連絡を取り、捜査をしてもらったが、自閉症の青年は知り合いのご近所の御宅でTVを見ていたという。ただ祖母が見つからないので、市の緊急連絡放送騒ぎになったのだが、病院に保護されていた。青年を見つけた祖母が青年を連れ戻そうとしたとき、TV収録の場面で青年は出演者ではなく、TVのブーム付きのマイクや、TVカメラに夢中になって、祖母を払いのけたらしい。その力で飛ばされて、倒れたところを見物人に保護された経過だった。

しかし、私は全員が無事でよかったと思う反面、危うく火事になる寸前の御宅、雑巾の場所がわからず、醤油瓶を倒れたままにしていた。幸い怪我は軽くて済んだが、青年も彼の祖父も、全く家事ができなかったから、無理して彼の祖母は打ち身をこじらせて寝たきり状態となり、翌年、骨粗しょう症で入院となってしまった。

高齢者の場合、ちょっとした契機で、転がるように体調が悪化してしまうことがある。被災して、大きな田舎屋に住んでいた方が、狭い仮設に移り、目の前に心配が耐えない。事情があって失踪した青年の父親と、病死の母親から青年の養育を引きついだ老夫婦の奮戦と老衰の駆け抜けるようなケアの結末が、家族の分解と早い老衰という状況を生んでいた。

被災地で子を失い、孫を失う悲惨は、その方の胸の内にしまいこまれたままだが、それを抱えて、人生の最後を駆け抜けている方は、被災地で珍しくないのだから、この老夫婦のように、孤独死といわれることが、特別なことというよりすぐそばにあることのように思えてならない。だから巡回やひととひと・生活をつなぐ外出支援をやるべきだと思う。極端な話を私はしているとは思えない。足腰の弱った高齢者の生活は丸太橋を渡っているようだ。

前を向き前進を旨とする支援もあるが、ゆっくりと連れ添って伴走しつづける支援もある。子育ての時間、高齢者、心身にハンデの有る方のそれぞれの時間に寄り添う支援もまた描かねばならない支援なのだと思う。

今日も、医療関係専門学校をまわれなかったが、被災地に出向かなければ、見守り支援は成り立たないのだろうかと思う。関係者に会いたい。そう思うのだ。


夜間傾聴:なし

(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする