湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/18 地元消防署に罹災申告書等の手続きに行きつつ/在宅看護学会の方との接点が開くか

2012-07-19 05:05:29 | 引きこもり
2012/07/18 記
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地元の消防署に行ってきた。とんでもないところで「罹災証明書」の実物と対面することになった。修繕・改築・増築の記録を問われることになって、困った。歴史が古ければ古いほど、戦前からのことを問われても戦災を挟むと記録が残っていない。戦後とて戦災の余波を受け続けていく。

実際、事故が起きた箇所は天井取り付け型の蛍光灯の安定器の過熱だった。私は真空管時代からの電子工作経験があったので、古いトランスの過熱と白煙は馴染みのものだった。絶縁と熱の分散を兼ねた鉱物油が焦げるときの煙だ。発煙量が多いと肝を冷やす。蛍光灯は消防署が回収。事情聴取のような話だが、応対はソフトだ。

説明書の中でショッキングなのは「仮住まいの手配」という項目だ。市町村の行政、地域振興課・市(区)民課・福祉事務所に相談すると宿泊施設を斡旋してくれる場合があると紹介されていた。大規模災害のとき、この項目は結局避難所ということになる。しかし、あえて問われると、記憶に頼ってきた分、明確な回答が出せないことに焦った。

天井の屋内配線に異常はなく、蛍光灯のみの事故だったので、修繕金額が小さく、保険申請の面倒の方が大きいと判断された。消防署の担当者に災害がおきたとき、被災者にも、これ(罹災申告書)を書かせるのかと質問をした。そのときは、申請があった方に渡すとのこと。保険の天災条項と調査項目から、ハードルが高いと感じた。

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消防車が道を塞いだための営業妨害になったと判断。ご近所さんを回って店長さんや所長さんに謝った。お互いだからと問題化はしなかったが、失火が隣人に被害を与えたら大事になっていた。

今回は罹災証明を使わないが、これが保険を使うことになると申請後、審査が入り、保険が適用されるまで、時間がかかる。天災のとき、被害を受ける人数が違う。その厳しさを改めて感じた。被災地の場合二重ローンがのしかかる方もいらっしゃるわけだが、そういう事情を家庭に抱えている方に、頑張れとはとてもいえない。自営だった中高年の方が再出発出来ない状態になり、職を探した。その結果、未体験の職種に就いたとしても、それを「幸運」と呼んだり、みなし仮設に入居した後、失業保険が切れた段階で、身辺整理がついて職探しを始めたところ、つなぎに生活保護を受けたことが隣人に発覚した時点で、心ない噂を立てられたりするというような、0.4%の不正受給者のために、被災者という重い立場であるにも係わらず、「税金泥棒」というような心ない陰口が拡がってしまったという話も聞いた。


今回思わぬ綱渡りを経験したが、ここに親御さんや、就労不能な家族を扶養しているとしたらと考えると背筋が寒くなった。シビアな問題だから、当事者が巡回相談員の訪問相談を拒否されるのもわかるが、支援者として、もう一歩、被災者に寄り添った支援が出来ないのだろうか。生活支援は就労の土台に係わる支援。だから短期訪問者にも成しうることが、直接支援と間接支援の中間の活動を形にし、新たにモデルを生み出す時期だろう。

私が考えたひとつが「個別支援ベースの外出支援」もうひとつが健常者と連れ添って働く「ソーシャル・ファームとしての地域起業」の具体化だ。

「ソーシャル・ビジネス」との違いは、「ソーシャル・ファーム」は、もともと障がい者の就労支援から生まれた構想だが、ここには明快な社会的ミッションがあり、解決のために実行される社会的意味を持たせた活動が既存企業への就労を超える。

これに対し「ソーシャル・ビジネス(カンパニー)」の場合は、思いつきを含んで、その活動が結果的に、社会的に有益である仕事となる場合も含んで「ソーシャル・ビジネス(カンパニー)」という。そこに目の前の解決すべき課題を抱える必然性はない。しかも本来から、企業活動は社会的な貢献の意味合いを持つ側面があるため、営業として社会的課題を利用する場合とも「ソーシャル・ビジネス」と呼んでしまう。だから私は「ソーシャル・ファーム」とあえて言う。

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挨拶を終えて、私は戸山町に急いだ。岩手県のJDF(障碍フォーラム)との接点作りのための参考資料が欲しかったからだ。結局こちらは連絡先と、陸前高田を訪問する際に、(推薦は出来ないが)紹介してくださるということになった。

もうひとつ、別ルートから、日本在宅看護学会の評議員の方のひとりの連絡先がわかった。こちらは、秋の講演会のために、早急にアポをとることにした。陸前高田市の広田半島復興に関連した構想をつかんでおく必要がある。

**子の通院する++病院は脳外科・神経科の有名な病院で、病棟は、すでに夕食の時間だったが、内科病棟に知り合いの看護師を訪ねた。日勤が終っていたが、JDF関係の医療関係者がこの病院にいらっしゃるので情報を得つつ、仲介をお願いできないか頼んだ。仲介は無理だが、接点の持ち方は知ることができた。医療講演会だった。担当関連障碍としては身体障碍なので、私の係わってきた障碍区分とは別の方だが、講演会に参加するために、日程調整をすることにした、しかし、9月なのだ。時間が浪費されていくことに、知人の後姿を背に両手を合わせて、祈るでもない掌に力をこめていた。これは伏線の一本なのだと、自分に言い聞かせていた。

手がかりが少し開けたのに、ちっとも気が晴れなかった。

相模大野校の「有料の」コピーを使いながら「私たちの活動履歴」という「広田半島周辺地域の医療看護と介護福祉への参加」招待文に添える文書を作った。「こいつは何者だ」という疑問についての自己表明になると思っている。

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ビッグイシュー誌、届く。

明日、昼間、セカンドブックアーチのY君と会う。その後、看護学校1ヶ所巡回予定。

橋本3君の訪問学習あり。


夜間傾聴:**子君(仮名・傾聴1時間、少々疲れた)
     A子君(仮名・土曜日に帰国とのこと)


(校正2回目済み)

コメント
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