2012/07/05 記
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医療系専門学校の教員宛の呼びかけは、予想通り反応がよくない。数通出したメールの1通には、通いやすい岩手県の専門学校を選んだ方がいいというアドバイスが書かれていた。これだけが親切な応答で、後は返事がなかった。門前払いでも巡回しないとと感じている。内容は「来年度の実習・体験学習の場に、広田半島を」ということで「8月下旬に下見をしませんか」という呼びかけにした。今年の夏休みは間に合わないからだ。もうひとつは職業団体としてのCCWなどの協会を当たっていく作業だ。
日送りになっていた慈恵医大附属看護専門学校に、やっと今回資料を持って訪ねることが出来た。ところが雰囲気が異様なのだ。校舎にひと気がなく、玄関を入ろうとすると、ブザーで係を呼び出すように指示されていた。嫌な予感がした。前の日記に書いたように、看護資格の准看護師がなくなるのだ。係のO氏は私をいかがわしい目つきで眺めたあと、資料を求めた。玄関前の立ち話で、目的概要を告げ、説明させてもらえまいかと名刺を出すと、受け取ってくれなかった。
資料を受け取ると、担当者に渡しますからお引取りくださいと、話は断ち切られてしまった。こういうことは何回も経験済み。こういうときは周辺をうろついて、学生さんに話をきくのだが、今回はその学生さんがいない。
ここは愛宕山が近く、帰りにNHKのライブラリーに寄って映像資料のパンフレットをもらってこようかと思ったが、ふと慈恵医大医学部看護学科へのダメ押しを思いついたので、大学事務部に立ち寄った。看護学部には地域看護と訪問看護がある。事前に調べてあったのが幸いし、**氏宛に資料を取り次いでもらうことができた。勿論、会うことも応答をもらうことも、賭けでしかない。
仮設の孤独死対策を含むセイフティネット作りは、被災地では外部支援者の応援が不可欠。ここの部分に連携し、非被災地から支援した経験をどう非被災地の地元に返していくか。
専門職にリードを頼むにしても、滞在型生活支援と非被災地の一般市民の係わり方の探索を多層的につないでいくことができるか、それを考えていく。そのときの制度や実践経験を媒介してくれるプロが欲しい。場は地域限定的に関わり、そこから経験的に引き出される実績(?)をいただくこと、そこに価値を見出し研修的な関わりを組んでくれれば、被災地にとってもやや長期的な協力関係が構想できる。
ただこれは、セイフティネット作り協力のプレゼントの形となるが、どこか突破口がひらけば、介護の枝は拡がっていく。ナース・OT・CSW・CCW・(PSW)の経験の実を専門職に閉じた形ではなく、市民活動に媒介して行く活動を作る。被災地から積極的に、被災者の家族を支えた主婦を招待し、例えば避難所の高齢者介護・障害児者保護経験を聴き、湘南の防災や、先方への協力できることの対話を作っていく作業を始めたい。これら総体から民間交流と呼ぶ活動を作る。
それには、支援推進者の仲間作りを行なわねばならず、まずは必要性が通じる専門職の養成機関との連携をなんとか探りたい。
今度は北里大のOTさんたちのサークルへの呼びかけをする。関連行政の関係者の招待という案も考えたが、これは茅ヶ崎では講演を受け止める、「その後」が続かないと、失礼千万でもある。いい案が思い浮かぶまでペンディングしている。岩手の活動は、南三陸支援の流れの中にないから、被災地とつないでも、すぐに関係は切れてしまうからだ。
もしこの専門校アクセスが成功し、8月下見が成り立ったときも、地元関係者との対話や、更には私のような夜行バス即日往復など、参加者にはつき合わせられないので、新幹線一関ルートで、地元最低一泊という入り込む道を考えないといけない。そうすると私の懐が怪しくなってしまうという悲しい話がある。それを準備しても、行くのが私だけになる確率が高いだけに、悩ましい。
慈恵医大の大学と専門学校、応答を待っている。明日は、父の老健の七夕。帰りに東海大学か某専門学校を回る。
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今回、高校卒業資格認定試験付き添いは、爺ぃパスが効いた。私の担当している若者は東京対象者は1名。がんばってねと、極めて無責任に言ってある。学力のある子だからでもある。
夜間傾聴:A子(仮名・シアトルから、今年一時日本に戻る。)
大森海岸君(仮名・こちらから。プシケ大田の噂を聞く。)
橋本2君(仮名)
(校正2回目済み)
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医療系専門学校の教員宛の呼びかけは、予想通り反応がよくない。数通出したメールの1通には、通いやすい岩手県の専門学校を選んだ方がいいというアドバイスが書かれていた。これだけが親切な応答で、後は返事がなかった。門前払いでも巡回しないとと感じている。内容は「来年度の実習・体験学習の場に、広田半島を」ということで「8月下旬に下見をしませんか」という呼びかけにした。今年の夏休みは間に合わないからだ。もうひとつは職業団体としてのCCWなどの協会を当たっていく作業だ。
日送りになっていた慈恵医大附属看護専門学校に、やっと今回資料を持って訪ねることが出来た。ところが雰囲気が異様なのだ。校舎にひと気がなく、玄関を入ろうとすると、ブザーで係を呼び出すように指示されていた。嫌な予感がした。前の日記に書いたように、看護資格の准看護師がなくなるのだ。係のO氏は私をいかがわしい目つきで眺めたあと、資料を求めた。玄関前の立ち話で、目的概要を告げ、説明させてもらえまいかと名刺を出すと、受け取ってくれなかった。
資料を受け取ると、担当者に渡しますからお引取りくださいと、話は断ち切られてしまった。こういうことは何回も経験済み。こういうときは周辺をうろついて、学生さんに話をきくのだが、今回はその学生さんがいない。
ここは愛宕山が近く、帰りにNHKのライブラリーに寄って映像資料のパンフレットをもらってこようかと思ったが、ふと慈恵医大医学部看護学科へのダメ押しを思いついたので、大学事務部に立ち寄った。看護学部には地域看護と訪問看護がある。事前に調べてあったのが幸いし、**氏宛に資料を取り次いでもらうことができた。勿論、会うことも応答をもらうことも、賭けでしかない。
仮設の孤独死対策を含むセイフティネット作りは、被災地では外部支援者の応援が不可欠。ここの部分に連携し、非被災地から支援した経験をどう非被災地の地元に返していくか。
専門職にリードを頼むにしても、滞在型生活支援と非被災地の一般市民の係わり方の探索を多層的につないでいくことができるか、それを考えていく。そのときの制度や実践経験を媒介してくれるプロが欲しい。場は地域限定的に関わり、そこから経験的に引き出される実績(?)をいただくこと、そこに価値を見出し研修的な関わりを組んでくれれば、被災地にとってもやや長期的な協力関係が構想できる。
ただこれは、セイフティネット作り協力のプレゼントの形となるが、どこか突破口がひらけば、介護の枝は拡がっていく。ナース・OT・CSW・CCW・(PSW)の経験の実を専門職に閉じた形ではなく、市民活動に媒介して行く活動を作る。被災地から積極的に、被災者の家族を支えた主婦を招待し、例えば避難所の高齢者介護・障害児者保護経験を聴き、湘南の防災や、先方への協力できることの対話を作っていく作業を始めたい。これら総体から民間交流と呼ぶ活動を作る。
それには、支援推進者の仲間作りを行なわねばならず、まずは必要性が通じる専門職の養成機関との連携をなんとか探りたい。
今度は北里大のOTさんたちのサークルへの呼びかけをする。関連行政の関係者の招待という案も考えたが、これは茅ヶ崎では講演を受け止める、「その後」が続かないと、失礼千万でもある。いい案が思い浮かぶまでペンディングしている。岩手の活動は、南三陸支援の流れの中にないから、被災地とつないでも、すぐに関係は切れてしまうからだ。
もしこの専門校アクセスが成功し、8月下見が成り立ったときも、地元関係者との対話や、更には私のような夜行バス即日往復など、参加者にはつき合わせられないので、新幹線一関ルートで、地元最低一泊という入り込む道を考えないといけない。そうすると私の懐が怪しくなってしまうという悲しい話がある。それを準備しても、行くのが私だけになる確率が高いだけに、悩ましい。
慈恵医大の大学と専門学校、応答を待っている。明日は、父の老健の七夕。帰りに東海大学か某専門学校を回る。
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今回、高校卒業資格認定試験付き添いは、爺ぃパスが効いた。私の担当している若者は東京対象者は1名。がんばってねと、極めて無責任に言ってある。学力のある子だからでもある。
夜間傾聴:A子(仮名・シアトルから、今年一時日本に戻る。)
大森海岸君(仮名・こちらから。プシケ大田の噂を聞く。)
橋本2君(仮名)
(校正2回目済み)