湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/7 東北発☆未来塾の描く「高齢者」像への違和感について

2012-07-08 05:44:21 | 引きこもり
2012/07/07 記
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加藤徹生氏講演の東北発☆未来塾「アイデアひとつで社会は変わる」を途中からみた。マイクロファイナンスを利用した光電池ランプの普及企画が発達途上国の貧困層の生活を変えていくダイナミズムを解説していた。まさにマイクロファイナンスの力である。その発想を東北の生活再建に利用するという話と、高齢者の買い物支援の提案が面白かった。

ただ番組は見えていない落とし穴に、もろに引っかかっている。そこが問題なのだ。彼らは若すぎる。

番組は、「バス会社」「スーパーマーケット」「利用する『高齢者』」の3極をつないでいく石巻の買い物支援の事例を紹介していた。バス会社が空き時間のマイクロバスを安く提供する。スーパーマーケットはそのバスの代金を会社に支払い、利用する「高齢者」は、スーパーで買い物をし、スーパーは売り上げからバス代を支払うという循環をつくるというのだ。社会的起業家としてのボランティアは、その企画化と異種仲介を行なうということで、その発想のコツのような部分を浮かび上がらせていた。

それはいいのだが、録画した方はマイクロバスの乗客をよく見て欲しい。私から見ると「中高年」・「熟年者」でしかない。もし車があったら、積極的に自分から出かけていく人たちだろう。要は被災者の何が喫緊の問題なのかが発想の出発点になっていないのだ。マイクロバス利用の外出支援は、この間指摘してきたように、いわゆる「高齢者」支援が的をはずしているということなのだ。

「高齢者」支援は、特に田舎の場合は、高齢まで孫の子育てや仕事をしている方が多い関係で、心身の衰えが都市部の方より遅い関係で、老々介護の場合が多くなる。だからこのような買い物支援を行なうと、マイクロバスを利用する年齢層は、都市部の場合と違って年齢が高めに出てくるだろうが、ここで問題なのは「自力で買い物にでかけることが出来る」方ではなく、付き添いなど、補助が必要な方たちが、支援と結びつく必要があるということだ。仮設生活の中で孤立しがちになる層、室内はなんとか移動できるが外出には不安があるという層、寝たきりになってしまった層という社会的原因からではない、身体活動を制限されている方たちに目が届いていない。

だから「高齢者」支援と言ったとき、ざっくりした概念だが「外出困難者」というカテゴリーを使ったほうがいいと思うのだ。このカテゴリーだと、障がい者・引きこもり者の外出支援も範囲に入ってくる。

話を戻すと、「高齢者」支援はプライバシーがからむ微妙な場面を含むので、家族・親戚まかせにされてきた。その結果、同居している主婦がその重みをすべて抱え込んでおり、当事者はその負い目を抱えていくということが、さまざまな問題を生み出していく。(独居の方の場合は後述。)

「高齢者」支援はだから、介護者支援と外出困難者を分けて企画した方がいい。サロンや食事会、共同作業は「介護者支援」と言った方がいい。マイクロバスに乗っていたのは熟年層が主であり、外出に困難を抱えるために、室内にこもりがちになって、人間関係が切れていくことを防いでいくというところに、被介護者の大きな課題がある。この部分に「高齢者」支援といいつつ、全然「高齢者」ではないという不可思議な事態が生まれている。

また「独居」の方の場合は、「介護者」というカテゴリーはないが、外出可能で意欲がある方と、引きこもりがちの方の支援が分かれるという事を意味している。支援の手を伸ばさなければ、人間関係から孤立したり、心身の衰退から悲観したり、精神症を発症したりという問題へとつながってしまう方が出てくる。だから予防的な関わりとして「外出支援」を軸に、コミュニティから切り離されないような活動を作っていく。

つまり今必要な「高齢者」支援は、介護者の煮詰まり防止と隣人との協力関係育成に向けられる方向と、「見えなくさせられている」被介護者の保護的外出支援や、傾聴支援を進めるべきなのだと思う。(だからこそ専門職との連携と、短期訪問者の仕事作り・この領域につながる非被災地の支援作りが必要なのだ。)

この外出困難者の地域サポートは、様々なニーズ、そして心の静穏を保証するために、基本は「個別支援」となる。一例として歩行の補助が必要な高齢の方の買物随伴支援を考えてみよう。

部屋から車までの移動は、杖を使って自律歩行が可能が可能な方はケース・バイ・ケースの面があるが、車まで連れ添う形で車に乗ってもらう。ここまでの間にすでに従来の介護サービスなら、室内>屋外>車(移動)という介護サービス3種が係わっている。介護度認定制度を使うなら有資格者による介護サポートの領域だ。しかし車の運転による移動は、実費以上の料金を請求しなければ、見守りボランティアの活動領域だろう。

またスーパーの駐車場に車をつけたら、車を降りてから、買物の代行ではなく連れ添いを行なう介護サポートの領域だ。しかし時間外連れ添いなどは、ボランティアの領域に入ってくる。買物は自己有能観を保つことや、昔住んでいた地域の知り合いと電話連絡し、買物先で合流してもいいし、知人との偶然の出会いとしておしゃべりを折りこんでもいい。介護サービスと異なるのは、分刻みで契約どおり実行し、約束外の急な活動については、サポートしきれないという枠がはまっている。しかし、おしゃべりの喫茶に約束の時間に迎えに行ったり、車に乗せたあと、その方の自宅前で車から降ろし、さらに居室まで運ぶという仕事がある。

常時、車椅子移動以上の歩行困難な方は、家族またはヘルパー2級以上の有資格者の支援が望ましいが、これらの「買物支援」「通院支援」「美容院通院」「銭湯入湯」「知人宅訪問」などの活動は、当事者のQOLを向上させる活動だが、介護サービスの専門職だけの仕事ではない。

従来の介護サービスまかせの部分の一部や、介護サービスでは成しえなかった「旅行補助」などにもサポートの領域は拡がる。つまり「個別支援」は病的な対策を打つ看護との境以外の方なら、領域を考えうる。

要は「孤立化阻止」ということ、仮設住宅という狭い空間に生活が変わったがゆえに、家族の中に居場所を喪失しやすい社会的弱者、仕事という人間関係のパスポートを失った方が「絆を取り結ぶ外出」という場面を提供し、できることを考えて行きたい。同居家族がいらっしゃる方には、高齢の方の一時預かりの形で、家族をその間、わずかな休息を済ませていただいたり、別のやり残し仕事をしていただくという援助を提供できる。

マイクロファイナンスのような金銭的な循環補助はないものの、今まで中高年(熟年)を「高齢者」と呼んでいた、その影に潜む沈黙する人々への支援を描くことが急務なのだ。

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父方の亡き伯母の百箇日の案内を添えた香典返しが贈られてきた。我が家は父が新興宗教の信者だったこともあって、墓はあるものの無宗教である。親戚や友の法事などは出席するが、母と私は大仰な法事は行なわないことにしている。そのことを小包から連想したか、私と父母は段取りを決めておかないとねと母がいった。幸いというか法事があるたびに、けが人がでるほどに父は仏教の法事を否定した。その父も認知症が進み、熱狂的なこだわりが無くなった分、選択肢は私と母の方に、判断の重さもろとも返されてきていた。その何回も蒸し返される話を母は語り始めた。外出前の忙しい食器洗いをしながら、私は背中で母の話を聞いていた。私には残された時間として、母には突然引き受ける人生の終焉に対して覚悟をしておかなくてはと思ったのだが、出勤の時間が迫っていた。母にうなづきながら、訪問指導のタイムリミットを気にして、母に謝りながら玄関を飛び出した。

東京はどしゃぶりの雨というのに、茅ヶ崎では空が明るくなってきていた。果たして相模原はと心配していたが、私の着いた時間には雨が上っていた。ただこのとき、異様に母の言動が気になっていた。

東北の被災地を包んでいる空気のことを連想していた。理不尽に家族を奪われ生活が遮断されたひとたちのことだ。相模線で帰宅する車内で、浴衣を着た若い一家を見た。平塚の七夕だろう。この人たちが抱いている幸せを津波が奪い去ったこと。そして今、この一家に私が通じる言葉を発することが出来ないと、発想の距離への悲しみが湧き上がっていた。気がついているものが、手を差し伸べることも、空転の壁を超えることも出来ないでいる。自分への怒りのようなものを黙ってかみ締めていた。

時は否応なしに経っていく。有効な手立て、無効でも打破すべき壁、その細くともつながる道を探ること。話の通じる爺婆や専門職から外野チームを作っていかなくては、しかし、どこから、どのように…歩く以外ないかと思い、海老名で途中下車して母に電話を入れた。

セカンドブックアーチの山本君は帰国している。連絡を取らねばと思っている。


夜間傾聴:橋本3君(仮名・母親&当人 職場体験の話)


(校正2回目済み)

コメント
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