湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/29 ちがさき災害ボランティア交流会に参加して

2012-07-30 06:23:43 | 引きこもり
2012/07/29 記
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本箱が着いたと陸前高田の仮設から電話が入ってきた。「これほど待たせてしまったのに、申し訳ない」と伝えたが、笑って受け止めてくれた。陸前高田・小友町仮設は、あちこちの文庫から書籍が送られてくる。だから初回は、遅れた分、私が現地に行って謝罪した上で、受け渡した方がいいと判断した。

皆が被災地訪問を活発化させる夏休み期間、私は夏期講習だ、高認だと普段よりも忙しくなってしまう。契約講師だから無給だが、お盆期間は休める。専任は交代で休んでいる。自習の学習相談屋がいる。

私が休める間、皆さんもお休み。休んでも効率が上らず空転する。お盆明けは後期の夏期講習が始まってしまう。しかし後期講習の8月末に休みを取ることにした。広田町は不便だ。「広田半島通信」を実現するには、どうしても現地滞在ボランティアにスナップ写真と記事提供をお願いしなくてはならない。

今日は、災害ボラの交流会開始時刻が13時だった。午前中の授業や巡回を入れても間に合う時間ではないので、橋本2君には海老名まで出てきて欲しいと頼んだ。彼は入試。高認とは関係ないので、時間を早く切り上げさせてもらった。チラシはB4に2枚つながっていたので、サポセンのカッターで切ってから会場に持ち込む必要があった。時刻はぎりぎり。決意して茅ヶ崎駅からタクシーに乗って、サポセンに向かった。急ぎカッターで切断し、チラシを抱えて早足で市役所分庁舎のコミュニティホールに飛び込んだ。

間に合ったことは間に合ったのだが、チラシの配布の許可をとらねばならなかった。受付の女性(市の職員だったか?)がチラシを受け付けてくれた。女性は、さっさとチラシ100枚を持っていった。その場で私は別のことに気を取られていた。私の胸に、市販の粘着ラベルに名を書き込んで、そのラベルを胸にはりつけるのだが、困った。机の盤面が白、ラベル紙が白で、マジックインキペンで名前を書くのだが、机と紙、ラベルとラベルの境界線が見えないのだ。名前を書く枠が全く見えないのだった。

事情説明が困った。通じない。椅子がオレンジ色の座面なので、ラベル紙を椅子の座面に置いたが、ラベルとラベルの境界が見えない。名前を書いてくれと大きな声をあげ、書いてもらった。とにかく話が通じない。境目が見えないということが、受付の方の理解のキャパを越えているのだった。

飛行機の「飛」、田んぼの「田」というが、さあ「飛」の漢字が係の方にはすぐに書けない。大混乱を起こしているうち、チラシを持っていった女性が帰ってきた。チラシがないので私が安心したのが間違いだった。

チラシは会場左奥の机に、他のチラシといっしょに並べてあった。チラシの存在自身が、参加者にはわからない位置だった。「いかん、わからんちんだ」とつぶやいていた。こういう行政交じりの会には、天敵のようなセンスの悪い事務的な子がいるのだ。言われたとおりのことをして、完璧に機転がきかない。

会場の出入りの動線から完全にはずれた位置のコーナーに、チラシが置かれてしまった。ずっと気になって会が終るまでコーナーに視線を向けていたが、チラシは会場関係者が3枚持ち去っただけで97枚は残ってしまった。会の終了のとき、彼女は「チラシが余りました」と97枚を持ってきたのだった。急いで、「会場内で撒くよ」と通告し、片っ端にチラシを手渡した。17枚。合計20枚。頭痛がした。参加者は60名ほどだったから、3分の1撒いたには違いないのだが。

一斉のQ&Aを行なう形ではなく、8つのテーブルに分けて、そこで議論するWS・バズセッション型。これは異業種接触による創造性を触発するシステムとされている形だが、付箋紙と模造紙が回ってきた時点で、帰りたくなった。

京大カードから発祥し、マインドマップへと連なる「新たな文脈の発見」のルーツから分岐した、異質な意見のずれから新規の発見をチャート式に組み込むことで、奥に隠れた新規の論の誕生を可視化する方法なのだが、これは、操作に経験が要る。加えてたっぷりと時間が与えられなくてはならない。テーブルごとに自己紹介をして一巡したあと、付箋紙にアイデアや主張を書いて模造紙に貼り付けていく。

付箋紙に書くのはテーマを明確にしたことについて書くという縛りをかけないと、何を書いていいかわからない。だから、これが出てきたときは、話が浅くなり、方法ばかりが浮き上げる結果に終る。これが成功した事例を私は見たことがない。時間不足が致命的、方法から新たな発見が出ることはまずない。だから帰りたくなった。

いっそ輪座して口頭の討議をした方がましなのだ。(勿論これも、論の達者の者が内容の価値とは別に場を仕切るというバイアスがかかることが欠点であるのだが。)

とにかくひどかった。カテゴリー分けのための操作、その分類の結果をテーブルごとに報告するのだ。報告は追われるようにして、対立と展開・相乗と添加というような論のすり合わせの核心が全く抜かして羅列するだけ。ワークショップ(WS)の試みは流行を追っているだけなのだ。

これは南三陸町から招待したゲストへの依頼の件も的をはずしていた。私たちが今、交流を通して「今後の支援を見通していくため」に、被災後の被災者からみた復興再建活動を検討していく場と、テーマの「1年4ヶ月を振り返り茅ヶ崎へ伝えたいこと」という設定から解釈していたが、招待された被災者の方は、災害のひどさを伝えるために、被災当日の体験をできるだけ詳しく語ろうとしはじめたのだった。これは強烈な体験をした方に語りをさせると、「だからどのように立ち直りの道を歩いているのか」というその後のことに心がうごいていかない。どれほどに凄まじい体験であったかを伝えたいという方向に語りの目的が戻ってしまうのだ。だから話すことに慣れている方以外は、対談形式にして、論点を引き出していった方が実があるのだ。

またタージ(主催者)のまとめ役の方が同じテーブルだったので、予備に取っておいたチラシを配った。その上で、話題となった現在自分が持っている考えの書き込みのなかの「被災地訪問(滞在)ボランティアだけにしか、関心が無いことへの危機感」、被災地に行けない方の活動参加の道が霞んできているという、現地ボラのすそ野への働きかけを問いかけたが、「自分は別に仕事を持っているから、それ以上はできない」と遮断されてしまった。「今回の会のように(地元でも)やっているではないか」という話だった。ところがなんとも市行政と市社協関係者、議員関係者の数の多いこと。顔を知っている方が3分の1近くいるということは、一般参加まで会の開催が伝わっていないように思うのだ。

ならば、今後の活動について、支援者が自分の見通しを互いに語りあったほうがいいと思うのだが、支援者向けとも言い切れない半端さが残った。ワークショップのテーマは、なぜか「茅ヶ崎の防災」に絞られていた。「長期化する東北の被災者の支援」ということは、ワークショップからはずれていたことになる。WSのテーマ「ここ茅ヶ崎での災害へのそなえとは」というテーマだてが、準備段階で出てきた問題意識の事前紹介もなく、そのテーマの説明もなく「何でもいいから自分の関心を書いて」という形になっていたのだ。なんとも勿体無い。

というわけで、結局は8月下旬の市防災対策課・保健福祉課との意見交換会のために、休憩中、課長に挨拶したことのみで終ってしまった。状況を拓く提案ということへのこだわりが、同じテーブルの一部の方の反感をかい、まとめも従来はなされていることをなぞって終わって行った。

そういえば、岩手勢の顔見知りの方は参加されていなかった。私たちのテーブルも開成町をはじめとした市外の方の見学参加者が2名おり、特に分布が偏重しているわけでもないようなので、それだけでも一般参加者の数の少なさを表しているようだった。

秋の講演会との関係では、10月25日に避難訓練をするとのこと。南三陸の本間さんの資料を主催者に手渡したことも、意味をなさなかったようだ。重なりを避け、別途生活支援の講演・交流会を、こちらで企画する以外ないだろう。質のいい状況打開の提案を打ち出す努力は勿論、市内の被災地に行けない方々の参加の道を見出していかねばと思う。社会運動は、その人が何をするかということではなく、一緒に問題を打開する道筋を確実に敷くという仕掛人の営みがある。しかし、それは人とともに動くことを志しているというところに根幹がある。同好会的な志向は避けるべきなのだ。

しかし、秋の講演・交流会はますます難しくなった。私は組織を背景に持たないし依存しないから、とにかく、招待講演者と私だけという会にだけはしたくない。東北の被災者を決して忘れない、防災は経験交流を通してということは押さえて行きたい。

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これから三井君にメールを出す。まずは1箇所の巡回文庫配本からお願いしようと思う。とにかくスケジュールだらけだが、巡回文庫が価値のない余芸ではないので、早期の配達を頼むことにした。


母は東京の主治医のところへ出かけていった。日曜日に医療講演会があるというのだ。おそらく知っていることばかりで、がっかりして帰って来るぞと忠告しておいた。浜見平の友人が付き合ってくれることになっているので、めまい・熱中症対策は大丈夫と思うのだが。

帰りに清算。コピーが1520円、タクシーが880円(ぼられている)これがチラシ20枚分の値段なり。

夜間傾聴:**子から何度も電話が入っていた。話が「短くて1時間なので、堪忍とメールを書いたら、即刻深夜電話が鳴った。堪忍だってば。


p.s. 「シニアによる協同住宅とコミュニティづくり―日本とデンマークにおけるコ・ハウジングの実践」を注文。


(校正3回目済み)

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