2012/07/16 記
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A子は、今週一杯、日本にいてシアトルに帰る。アジア系在日の関係の支援をしてきた塾長たちのルートの関係者のところをまわっている。私はこの関係の支援活動は、したことがないのだが、A子のように日本語の壁からいじめ・不登校の道に入り込んだ子や、帰国子女の関係で、やはりいじめ・不登校になった子の学習指導は、してきたことがある。最近大津中のいじめ殺人(自殺とあえて言わない)がクローズアップされて、「いじめ」の残酷さが語られているが、ひとの差異を理由に、ひとをさらし者にする苦痛は、不登校・引きこもり当事者にはその痛みが生に感じられることだろうと思う。
いじめは重層的で、正義が悪を裁く視点で切ると、表層的になってしまう。学習指導という「無念を受け止め、そこから再出発する道を探っていく作業」をしながら、臨床心理屋が抱える同じ矛盾を歯噛みしている。いじめといじめを容認している社会へのごまめの歯ぎしりのようなことである。
A子との話でも語ったのだが、災害ボランティアをはじめたのは、圧倒的な津波の破壊力の前に、あらゆる庶民の生活のすべてが無残に無に返されてしまったことへの憤りであり、生きていく事の厳粛な価値のことだった。家や車が流され、流れの木の葉に翻弄される蟻のような人の断末魔の映像だった。
ここに帰ると、それでも生きていかなくてはということに出会う。よりひどいことがあるから我慢せよというのではない。「苦しみの中で、今自分が手放そうとしているもの」の「価値」の話なのだ。放射能汚染及ばず福島原発事故以前と観測値は同等であるのに、がれきは、永久処分場予定地の住民に拒否される。沖縄の基地の撤去の議論のときに、軍備必要という方も含んで、本土分散はどこも受け入れを拒否していた。だからなおさらに、「絆」という情緒的な言葉に踊ることは虚しいと私は感じている。そこによこたわる閉じた心のばらばらの合唱が聞こえてくるように思うから、ひとりひとりが自分の声と言葉で意思表示していくことの大切さを感じているのだとA子に言った。
しかし実は、こういう思いを胸に、言葉を発している方となかなか出会えない。あえば政治団体であったり、社会階層・業界の利益代表であったりして、底に属さない私はなかなかつながれる相手と出会うことが出来ないでいる。そこは政策協定のような発想で、約束で結びつくということが現実的なのだろう。ところがそこには、提携することのメリットがなければ、お互いが結ばれないという壁がそびえている。私は自分の塾という砦を壊した。それ以降は結ばれては消えるような関係のなかにいる。出会った人は貴重だということをA子に伝えようとしていってもA子の心の辞書に無い言葉を発しても無駄という、脳裏の言葉に制止された。
昨日から、医療看護・介護福祉関連の専門職の出版関係から、専門職の方にアプローチ出来、ふたりにメールをだした。おそらくは応答がないだろう。しかし、広田半島を中心にした生活支援について、既に入っている現地訪問支援の大学関係者以外にも、「外出の個別支援」というキーワードと、中長期地域保健医療と福祉の構想を作り上げる意志の存在は伝わると思う。その程度までは言葉の力を信じている。
この複数の専門誌の編集委員への面会依頼を専門学校巡回と平行して行って行こうと思っている。夏期講習の空きを使った活動になるが、そこをはじめていく。また茅ヶ崎市との関係課との懇談の申し込みは、今回参加をしなかった。私の声は、ある活動の代表的な語りではなく、実質個人の語りだからだ。
私の呼びかけの弱点は、非被災地において展開し、被災地と連携できるプログラムの具体性が弱いからだ。また、被災地に展開するモデル地域の構想がラフスケッチでしかないからだ。私には刻々と変化している被災地の支援活動の局面が見えないために、行政や支援団体のレポートと、数ヶ月に一度の現地訪問体験から考えていくために、もう一歩具体性を帯びた提案を書ききれないでいるのだ。
私の次の訪問は8月下旬になるだろう。3月に被災地の方と約束してきた巡回文庫などの約束も、車の譲渡で6月に延び、文庫はもつれ込んで8月に入り込もうとしている。様々な協力者の事情のずれから起きた結果だが、約束から半年近くの時が流れてしまう。下手をすれば契約が無効になってしまうかもしれない、綱渡りに入ってきている。
また文庫が実現しなければ、私は何者であるかを明かす際、現地活動に何も言えないのだ。次の活動へのステップが踏み出せないでいる。それに半年が浪費されているのだ。こういう状態で、活動が実を結び始めるころには数年が軽く過ぎてしまうだろう。
私の提案している社会的弱者の孤立化の防止と、生活支援の諸活動は、自殺を含む孤独死や、高齢者の生活と医療の状態の悪化が、被災後2年目あたりから極端に目立つようになっていくという意味で、対策はまだ遅くはないのだが、フットワークの軽い現地滞在連携者と、非被災地の、活動の価値を共有できる同士を早急に得なければならない。それには労を惜しんではならないのだ。
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故伯母の葬儀の後、伯父が独居になっている関係で、子どもつまり私の従妹から相談を受けていたのだが、今入っている電話に非常連絡装置を付けている形から、胸にぶら下げている非常ボタンのサービスを紹介していた。
ところが伯父はペースメーカーを付けているので、その装置は危険だという話となり、私がペースメーカーとの距離をとれる足首のバンド装着や、腰のベルトアタッチメントがあると説明してきた。しかし一度嫌と言ったら、後は何も聴かないという昔からの態度がまたあらわれたことに、少々うんざりしている。私がパソコンを扱う時間が長いというと、年甲斐ない、やめなさいといわれて面食らったことがある。伯父・伯母にはパソコンはゲームなのだと後で知った。こういうずれが起こした拒絶と思ったが、最近、別の利用者の話を聴いた。(消しゴム2つくらいの大きさなのだが)こんな小さな機械では電波の通りが悪いからやめておけという隣人の忠言があったとの話を聞き、笑うに笑えなかった。伯父もまたそんな調子なのだろうと思い、従妹にその迷言のおかしさを告げ、私は手を引くことにした。申込用紙を従妹宛に送った。
高齢者の支援をするとき、この手の話が頻繁に出るので、今まで家族の介護以外の高齢者支援は、特養の手伝い程度だったが、この手の話には、慣れがいる。
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連休最後の日、平塚図書館に書籍更新手続きに行って、茅ヶ崎駅のホームで平塚図書館の開館カレンダーを見て愕然とした。休館なのだった。他館では連休の際、休みの月曜日は開館し、翌日の火曜日が休みになっている。そのつもりでPCと借りていた書籍をかついで出かけたのだが、平塚市立図書館が断固月曜日が休みなのだ。駅から遠い図書館なので、ホームでHPを覘いてよかったのだ。
本を抱えたまま、辻堂駅に移動し、テラスで買物をしてきた。本来なら北里大サークルのメンバーと会うための第二候補日だったのだ。浜降祭の雰囲気は、辻堂駅南口のお囃子だけで、何をやっているのかわからない内輪の祭だなと感じていたが、北口に出てみるとえらい人だかり。駅前広場でライブがあるらしい。携帯を出しているわけでもなく関係ないのに、会場整理係から撮影禁止を言い渡されたり、ロープで大回りさせられたり、不愉快な目に遭って買物を済ませた。
母に連絡を取ると、「てんや」で天ぷらを食べて夕食を済ませようと提案があり、その店内では2人席がいいので待つと言ったら、たちどころに忘れ去られてしまった。30分も過ぎた頃、老夫婦が2人席に案内されて限界に来て、私たちが忘れられていると告げた。既に座った老夫婦を立たせようとするので、非常識なことをするなと怒って、老夫婦に先を譲った。それから15分、私たちは待たされて食事を下が、気分が悪かった。担当のアルバイトの子が、知らん振りをして店長が謝っているからだった。案の定、食事後のお茶のおかわりは至難の業、誰も私たちの方を見ないし、近づかないのだった。声をあげ店長が飛び出してお茶を持ってきた。レジはその女の子だった。さすがに、失礼しましたと謝ったが、母からお前が嫌なのだよといわれて、そういえば何回もこの手の無視で、注文をせずに店をでてきたことがあったなと思い当たり、なんとも胃の腑の悪い気分で帰宅したのだった。1時間が最長記録だ。笑えない、しょうもない話だ。
明日は、母の担当のケアマネさんと施設担当者同席で、スポーツジム的な施設と利用契約を結ぶ。その後、専門学校周りを再開する。だから近場をまわるつもりだ。
**子から電話が来なくなった。親御さんにレポートをだしたからだが、彼女の嘘がばれたことも大きいのだと思う。しかたがないなあと思いつつ、少し黙っていることにした。この手のことは、**子、細かいのだが。
約束違いで、家事援助の++さんが突然やってきた。私の苦手な裁縫など、母のことを介護度とは関係なくお願いしている。母は以前自転車事故を起こしており、手首を骨折してから細かいことが出来なくなった。書道の師範も小遣い稼ぎもできなくなった。お弟子さんのネットワークは健在だが、プライドが許さないのか、疎遠にしている。そんな関係で必要が生じたときに、家事援助を頼んでいる。しかしこの蒸し暑さ、私の部屋の襖もあけたので、++さん絶句してしまった。本のケルンと、チラシや新聞の山が見えてしまったからだった。鶴女房男版ではないが「見たな」である。今回の車の譲渡で山はだいぶ減ったのだが、遭難しそうなのは変わらない。
++さん、以前私と同業者の身辺介護をしたことがあって、そこでもこうだったという。無駄な紙ごみはない。私にとっては、分類にもかけているのだが、書籍やらファイルやらの書斎は、ゴミ屋敷に見えるらしい。雑誌が一冊もないことに気がつかないだろうなと思いつつ、とんでもない連休は過ぎていった。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
中学生君(仮名・質問のみ)
(校正2回目済み)
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A子は、今週一杯、日本にいてシアトルに帰る。アジア系在日の関係の支援をしてきた塾長たちのルートの関係者のところをまわっている。私はこの関係の支援活動は、したことがないのだが、A子のように日本語の壁からいじめ・不登校の道に入り込んだ子や、帰国子女の関係で、やはりいじめ・不登校になった子の学習指導は、してきたことがある。最近大津中のいじめ殺人(自殺とあえて言わない)がクローズアップされて、「いじめ」の残酷さが語られているが、ひとの差異を理由に、ひとをさらし者にする苦痛は、不登校・引きこもり当事者にはその痛みが生に感じられることだろうと思う。
いじめは重層的で、正義が悪を裁く視点で切ると、表層的になってしまう。学習指導という「無念を受け止め、そこから再出発する道を探っていく作業」をしながら、臨床心理屋が抱える同じ矛盾を歯噛みしている。いじめといじめを容認している社会へのごまめの歯ぎしりのようなことである。
A子との話でも語ったのだが、災害ボランティアをはじめたのは、圧倒的な津波の破壊力の前に、あらゆる庶民の生活のすべてが無残に無に返されてしまったことへの憤りであり、生きていく事の厳粛な価値のことだった。家や車が流され、流れの木の葉に翻弄される蟻のような人の断末魔の映像だった。
ここに帰ると、それでも生きていかなくてはということに出会う。よりひどいことがあるから我慢せよというのではない。「苦しみの中で、今自分が手放そうとしているもの」の「価値」の話なのだ。放射能汚染及ばず福島原発事故以前と観測値は同等であるのに、がれきは、永久処分場予定地の住民に拒否される。沖縄の基地の撤去の議論のときに、軍備必要という方も含んで、本土分散はどこも受け入れを拒否していた。だからなおさらに、「絆」という情緒的な言葉に踊ることは虚しいと私は感じている。そこによこたわる閉じた心のばらばらの合唱が聞こえてくるように思うから、ひとりひとりが自分の声と言葉で意思表示していくことの大切さを感じているのだとA子に言った。
しかし実は、こういう思いを胸に、言葉を発している方となかなか出会えない。あえば政治団体であったり、社会階層・業界の利益代表であったりして、底に属さない私はなかなかつながれる相手と出会うことが出来ないでいる。そこは政策協定のような発想で、約束で結びつくということが現実的なのだろう。ところがそこには、提携することのメリットがなければ、お互いが結ばれないという壁がそびえている。私は自分の塾という砦を壊した。それ以降は結ばれては消えるような関係のなかにいる。出会った人は貴重だということをA子に伝えようとしていってもA子の心の辞書に無い言葉を発しても無駄という、脳裏の言葉に制止された。
昨日から、医療看護・介護福祉関連の専門職の出版関係から、専門職の方にアプローチ出来、ふたりにメールをだした。おそらくは応答がないだろう。しかし、広田半島を中心にした生活支援について、既に入っている現地訪問支援の大学関係者以外にも、「外出の個別支援」というキーワードと、中長期地域保健医療と福祉の構想を作り上げる意志の存在は伝わると思う。その程度までは言葉の力を信じている。
この複数の専門誌の編集委員への面会依頼を専門学校巡回と平行して行って行こうと思っている。夏期講習の空きを使った活動になるが、そこをはじめていく。また茅ヶ崎市との関係課との懇談の申し込みは、今回参加をしなかった。私の声は、ある活動の代表的な語りではなく、実質個人の語りだからだ。
私の呼びかけの弱点は、非被災地において展開し、被災地と連携できるプログラムの具体性が弱いからだ。また、被災地に展開するモデル地域の構想がラフスケッチでしかないからだ。私には刻々と変化している被災地の支援活動の局面が見えないために、行政や支援団体のレポートと、数ヶ月に一度の現地訪問体験から考えていくために、もう一歩具体性を帯びた提案を書ききれないでいるのだ。
私の次の訪問は8月下旬になるだろう。3月に被災地の方と約束してきた巡回文庫などの約束も、車の譲渡で6月に延び、文庫はもつれ込んで8月に入り込もうとしている。様々な協力者の事情のずれから起きた結果だが、約束から半年近くの時が流れてしまう。下手をすれば契約が無効になってしまうかもしれない、綱渡りに入ってきている。
また文庫が実現しなければ、私は何者であるかを明かす際、現地活動に何も言えないのだ。次の活動へのステップが踏み出せないでいる。それに半年が浪費されているのだ。こういう状態で、活動が実を結び始めるころには数年が軽く過ぎてしまうだろう。
私の提案している社会的弱者の孤立化の防止と、生活支援の諸活動は、自殺を含む孤独死や、高齢者の生活と医療の状態の悪化が、被災後2年目あたりから極端に目立つようになっていくという意味で、対策はまだ遅くはないのだが、フットワークの軽い現地滞在連携者と、非被災地の、活動の価値を共有できる同士を早急に得なければならない。それには労を惜しんではならないのだ。
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故伯母の葬儀の後、伯父が独居になっている関係で、子どもつまり私の従妹から相談を受けていたのだが、今入っている電話に非常連絡装置を付けている形から、胸にぶら下げている非常ボタンのサービスを紹介していた。
ところが伯父はペースメーカーを付けているので、その装置は危険だという話となり、私がペースメーカーとの距離をとれる足首のバンド装着や、腰のベルトアタッチメントがあると説明してきた。しかし一度嫌と言ったら、後は何も聴かないという昔からの態度がまたあらわれたことに、少々うんざりしている。私がパソコンを扱う時間が長いというと、年甲斐ない、やめなさいといわれて面食らったことがある。伯父・伯母にはパソコンはゲームなのだと後で知った。こういうずれが起こした拒絶と思ったが、最近、別の利用者の話を聴いた。(消しゴム2つくらいの大きさなのだが)こんな小さな機械では電波の通りが悪いからやめておけという隣人の忠言があったとの話を聞き、笑うに笑えなかった。伯父もまたそんな調子なのだろうと思い、従妹にその迷言のおかしさを告げ、私は手を引くことにした。申込用紙を従妹宛に送った。
高齢者の支援をするとき、この手の話が頻繁に出るので、今まで家族の介護以外の高齢者支援は、特養の手伝い程度だったが、この手の話には、慣れがいる。
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連休最後の日、平塚図書館に書籍更新手続きに行って、茅ヶ崎駅のホームで平塚図書館の開館カレンダーを見て愕然とした。休館なのだった。他館では連休の際、休みの月曜日は開館し、翌日の火曜日が休みになっている。そのつもりでPCと借りていた書籍をかついで出かけたのだが、平塚市立図書館が断固月曜日が休みなのだ。駅から遠い図書館なので、ホームでHPを覘いてよかったのだ。
本を抱えたまま、辻堂駅に移動し、テラスで買物をしてきた。本来なら北里大サークルのメンバーと会うための第二候補日だったのだ。浜降祭の雰囲気は、辻堂駅南口のお囃子だけで、何をやっているのかわからない内輪の祭だなと感じていたが、北口に出てみるとえらい人だかり。駅前広場でライブがあるらしい。携帯を出しているわけでもなく関係ないのに、会場整理係から撮影禁止を言い渡されたり、ロープで大回りさせられたり、不愉快な目に遭って買物を済ませた。
母に連絡を取ると、「てんや」で天ぷらを食べて夕食を済ませようと提案があり、その店内では2人席がいいので待つと言ったら、たちどころに忘れ去られてしまった。30分も過ぎた頃、老夫婦が2人席に案内されて限界に来て、私たちが忘れられていると告げた。既に座った老夫婦を立たせようとするので、非常識なことをするなと怒って、老夫婦に先を譲った。それから15分、私たちは待たされて食事を下が、気分が悪かった。担当のアルバイトの子が、知らん振りをして店長が謝っているからだった。案の定、食事後のお茶のおかわりは至難の業、誰も私たちの方を見ないし、近づかないのだった。声をあげ店長が飛び出してお茶を持ってきた。レジはその女の子だった。さすがに、失礼しましたと謝ったが、母からお前が嫌なのだよといわれて、そういえば何回もこの手の無視で、注文をせずに店をでてきたことがあったなと思い当たり、なんとも胃の腑の悪い気分で帰宅したのだった。1時間が最長記録だ。笑えない、しょうもない話だ。
明日は、母の担当のケアマネさんと施設担当者同席で、スポーツジム的な施設と利用契約を結ぶ。その後、専門学校周りを再開する。だから近場をまわるつもりだ。
**子から電話が来なくなった。親御さんにレポートをだしたからだが、彼女の嘘がばれたことも大きいのだと思う。しかたがないなあと思いつつ、少し黙っていることにした。この手のことは、**子、細かいのだが。
約束違いで、家事援助の++さんが突然やってきた。私の苦手な裁縫など、母のことを介護度とは関係なくお願いしている。母は以前自転車事故を起こしており、手首を骨折してから細かいことが出来なくなった。書道の師範も小遣い稼ぎもできなくなった。お弟子さんのネットワークは健在だが、プライドが許さないのか、疎遠にしている。そんな関係で必要が生じたときに、家事援助を頼んでいる。しかしこの蒸し暑さ、私の部屋の襖もあけたので、++さん絶句してしまった。本のケルンと、チラシや新聞の山が見えてしまったからだった。鶴女房男版ではないが「見たな」である。今回の車の譲渡で山はだいぶ減ったのだが、遭難しそうなのは変わらない。
++さん、以前私と同業者の身辺介護をしたことがあって、そこでもこうだったという。無駄な紙ごみはない。私にとっては、分類にもかけているのだが、書籍やらファイルやらの書斎は、ゴミ屋敷に見えるらしい。雑誌が一冊もないことに気がつかないだろうなと思いつつ、とんでもない連休は過ぎていった。
夜間傾聴:橋本2君(仮名)
中学生君(仮名・質問のみ)
(校正2回目済み)