2024/04/05 記
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ハッカーさん、おはようございます。
季節が戻ったような時雨た一日。母の体調が芳しくなく、ふしぶしの痛みを訴えるので、趣味の会参加中止。用だけ済ませ、帰宅。寿町行は中止。
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昨夜、トイレ通勤時、母、へたりこむ。感心なことに,父の時とは違い、もらすことはない。女の意地というか。ここ数日の花冷えが、密室のマンションに影響する機序、それは漠然と春先に知人の死が増す感覚的傾向の背後への不思議へとつながっている。入院中の病棟の変化へと記憶がつながっていく。ひとは生き物なのだ。
書き込み再開しますが、この転換期、ステレオタイプに半分うんざりしてもいるのです。
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個人が体験することが、類似体験があるようなことであれば、響きあうこともある。しかし事件や事故に現れやすい特殊性、ときには当人の思い込みによる錯誤がひそむ世界だが、最近は時代や環境と世代の断層のあり方が、一層気になってきた。
戦争•被災体験など、それでは同じ立場の者同士がわかりあえるかと問えば、心許ない。体験は個的というより同時代人の心性を孕みそうなものなのに、ズレていく。別人だから当たり前といえば、当たり前であるのだが。
社会運動のなかで、通じない言葉があることは承知しているが、生老病死に立ち会ったり、差別を噛み締めたりするとき、私の判断は共感を求めたりする内容を引きずる未練から距離をおくべきという気持ちが濃くなって来た。まず成すことが大事なのだ。
路上で出会った方の死を書いていく最中、再起の道すらみえない谷間が浮かんでくる。骨を拾う者としてではなく、活路を探すお節介でありたいと願って来たことは、私の中の通じない言葉が百万と見えるからだろう。納得していない私があるからだ。
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見えることと見えないこと。以前、倉敷真備の豪雨災害の中で,亡くなった知的障害があった母子の溺死の背後に、生活圏の人間関係の偏りが潜んでいた。福祉の関係者の中でいきてきたが、隣人と地域のつながりがなかったがゆえに、避難の道がわからず孤立。死に至った。
いろいろな人と生きて来たから、そこの人間関係に偏りをみいだす者はまず、いない。ところが災害のような極限では、それさえも剥き出しにしてしまう。
だが私らの日常が偏っていることを誰が気がつくだろうか。通じない言葉は、ここに生成する。懇話会の呼びかけをかいていて、ため息を噛み殺していた。
だが危ういことなのだ。
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蒲田の学童の防災パフォーマンスのその後の話を聞いた。
私の液状化実験の感想をこどもにきいた。
ビル(模型)が傾き、ピンポン球が浮き上がるのが
面白かった
こわかったから注意しようと思います
ああ、先験的な関わりは、こんな状態なのだなと思いつつ、今後の災害にであったとき、現場理解に思い起こされれば、意味があったという程度で考えるべきだろう。
友人に報告の感謝を述べつつ、むずかしかったかなという彼に、長い目でみようよと告げた。
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(校正1回目済み)