湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

11/06 マイクロFM機材のメインテナンスをしつつ

2013-11-07 06:14:30 | 地震津波災害ボランティア

2013/11/06 記
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相模大野校からの帰り、ジュンク堂藤沢店を物色してきた。ハローワークは業務時間がまもなく終わる時間なので、日を改めることに。「ラジオがつないだ命―FM石巻と東日本大震災」と、「大震災とメディア―東日本大震災の教訓」を探していた。残念ながら書架には無かった。通販で買うことにした。これから、著者と会おうとも考えている。コミュニティFMよりもマイクロFMに関心があるので、直接の関心が交差することはないだろうが、現場のニーズに共通の問題意識があるように思えるのだ。

私の関心は、避難所・仮設住宅の小さなエリアで、コミュニケーションをとっていくが、取材活動を通じて若者たちが、仮設コミュニティに居場所を確保していく、その対話の契機をそこに織り込んでいることだ。大学生になると、自主判断としてボランティア活動に参加しやすいが、中高生の場合は学校という縛りが彼らを中途半端な存在としている。むしろ自主判断のしんどさから、親と学校のつくる道に流されて、滞留のよどみの谷間に友達と顔をつき合わせて生息していくことを選ぶ子もいる。休校という非常時の、シャッフルされた珍しい時空に、彼らの社会参加への契機を持たせたいと考えた。

昔、私は塾生とミニFMをやっていたことがある。それと不登校・引きこもり青年のミニFM作りに関わっていた。この活動では、音楽系のFMではなく、語りのFMを意識していた。ところが大きなふたつの壁にぶつかった。あれほどまでに、機器をそろえることに熱心な子たちが、いざマイクの前で語る段階で、なにを話していいかわからなくなるとか、互いの内輪の隠語遊びがちょろちょろと語られて、すぐに飽きてしまったのだった。話すことがない、何を話していいかわからないという聴取者不在のイメージの壁だった。私は「取材しろ」と「マイクを持って街中へ」と彼らに言っていたが、ひとにマイクを向けずに、街散歩の生放送をはじめ、誰とも語らずに帰ってきてしまったのだった。塾生の方は、自分の趣味をひたすら語る放送に終始した。いま・ここで放送をするリアリティをなかなかつかめなかったというのが、実情だった。

被災状況下、彼らは大学生の金魚のうんこのように、それでも熱意をもって、ボランティア活動の周辺的存在として、走り回っていた。ボランティアに参加しなかった子たちは、津波に流されて何もなくなった戸外にでて、ひとめにつかないように数人ずつ雑談してすごしているのだった。学校とモラトリアム文化のなせる後遺症のような産物になっていたのだった。実は彼らが社会的認知をうける仕事は目の前に沢山あった。取材にしても、話はあふれ出すほどに出てくる。むしろその扱いの安全と調整に経験者が入らないと手に余る事態がいくらでもでてくる。日常とは異なるこの状況に注目した。

実際、避難所に配布されるミニコミよりも頻繁に、個別の要請がかかる。放送へとアレンジしていく力量が問われていた。

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当時の機器をひっぱりだして、整理していた。コネクタがさび付いていたり、シールド線が断線していたりし、その修理を行なった。久しぶりに半田ごてを握った。

夜間傾聴:ひとり


(校正2回目済み)


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