こどもが震え上がる話

2018-09-15 00:00:31 | しょうぎ
数日前に、「かたき討ち」の話を書いた。41年かけて父の仇を討った武士の話だが、元はといえば、将棋の助言。もちろん江戸時代の後半の武士というのは地方公務員であり、役所すなわち城中で書類仕事をするのが一般的で、要するに暇だった。

城中で武士同士が将棋を指して、まわりに観戦者がいるというのは日常的だったのだろう。対局中に負けている方に横から助言があって、そのせいで負けるということは、常識で考えればよくあることではないだろうか。ところが、負けた方が逆上して、助言した武士に切りつけ、殺してしまった。思うに、金でも賭けていたのだろうか。

そして、将棋界の常識では、助言した方が悪いのだから殺されてもしかたない、ということになるのだろうが、武士の世界ではそうはいかない。殺された方が格上の家柄であったこともあり、切腹となるはずだったが、遁走した。

逃げるというのは天性の才能が必要で、一度、網から逃げ出すと現代でも捕まえるのは大変なのはご存知の通り。新潟から日本海を経て九州に逃げた後、再び北上し宮城県で僧侶に成りすましていたものの、ついに斬られて記念碑まで建てられる。

簡単に言うと、「助言をすると、殺されることもある」。


こども将棋教室で教えていると、他人の対局に口を出す小学1年の男児がいたので、まず、有名な話として「将棋盤の足がクチナシをデザインしたのは助言なしということで、盤の裏のくぼみは、助言者の首を切り落としてのせた時の血だまりのためだ」という話をしたうえで、全国を逃げ回った末に、斬られた武士の話をする。面倒なので、助言をしたため全国を逃げ回ったけれど、見つかって斬られたということにしてしまう。それの方が、話が簡単だからだ。

すると、「ヒエー」と泣きそうな顔になり、手で首の周りを抑えて震え上がる。

2年経った今でも、目が合うと、首の周りに手を回す。癖になってしまったようだ。


さて、9月1日出題作の解答。

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答えを見ればいたって簡単。短編というのはそういうものだろうか。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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双玉問題である。途中で合駒選択がありややこしいかな。本手順と同手数の後手の変化もあるが駒が余る。

ヒントは1〇手詰。
申し訳ありませんが、余詰め筋が発覚しました(玉方変化同手数駒余りなし)。
以下修正版です


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わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数を記していただければ正誤判定します。

天丼になった魚は?

2018-09-14 00:00:48 | あじ
千葉県のゴルフ場の食事は、結構レベルが高い。もっともレベルを低くして料金を下げてもらいたいと思っているアマチュアゴルファーは多いかもしれない。

実際には、オフシーズンにはランチ無料にして集客するクラブも多い。定価を変えずにオマケを付ける商法だ。そのためにもランチは豪華にした方がお得感は高い。もっとも、定価も下げて、ランチのレベルも下げてほしい向きもいるだろう。

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ということで、あるカントリークラブでの昼食だが、ある魚を天ぷらにして天重としてメニューに出していた。

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身はサクサクで厚い。白身魚の天ぷらで有名なのは、鱚(キス)とか、沙魚(ハゼ)とか。

味は淡白で、他のいかなる魚よりもクセがない味だ。逆に何の魚かよくわからないほど、かすかな味である。

正体は、鯰である。な・ま・ず。

国産であることを祈りたい。

最近のゴルフ練習場

2018-09-13 00:00:12 | スポーツ
ゴルフ練習場のことを「打ちっ放し」と今でもいう人がいるのだが、今でも多摩川の河原とかはそうなのだろうが、人口集積地では「ゴルフクリニック」的になっている。

自宅から車で20分以内に3か所あるのだが、

1ヶ所は、旧来方式で1かご500円で50個とかそういうので、ボールも自動ティーアップではないので、1球ずつ腰を曲げて手でボールを置く。長さは200ヤード程度。まあ古典的練習場でよかったのだが、十年前に台風でネットを支える鉄柱ごと折れてしまい全滅した。が、元よりローコストローリターン経営だったので、昔の姿にすぐに戻った。

2ヶ所目は、距離は240ヤードで3階建ての大型施設。駐車場も地下にあり、ボールは自動的にティーアップされる。料金コースは様々で、一向に覚えられないが、一球いくらというコースだと、平日、休日、午前 午後 夜間とさまざまな時間帯別に一階、二階、三階と一球当たり単価が異なる。いずれにしても現金チャージ式のカードの残高がザルのように減っていく。

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そして、今回行ったのは3ヶ所目だが、本年3月7日『富士登山(ただし川和富士)』の中で、遠くの場所から見ると、古墳に見える丘を削って作ったように見える、と書いた物件である。最も近い場所にあるのだが、最大の問題は、突き当りのネットまでの距離が120ヤードと短いこと。問題は、そこから先、右に曲がるのか左に曲がるのか、あるいは距離はどれくらいなのかだ。

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もっとも、少しゴルフをした人なら、打ったボールがどういう運命になるのかは地面に落ちる前に想像がつくわけだ。練習場なのだから、ミスショットしたからといって、ボールを探したり、そこから第二打目を打つわけではない。ところが、なんとなくボールが落下して止まるまで見届けたいわけだ。

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そして、最近、久しぶりに行ったところ、さまざまな新設備が登場していた。その一つがヘッドスピード及び推定飛距離表示。試しに一回打ってみると、39.4mと209ヤードと表示される。まだ体が堅い第一球なのでこの数字はうそっぽい。ゴルフ肘(テニス肘)のため、速く振れないのだ。自分のフォームのビデオが見られる打席もある。

ところで、ゴルフの近未来的人気はゴルフ練習場に行けばわかるはずなのだが、休日にもかかわらず混雑していなかった。未来は暗いのだろうか。一方、後ろの打席では、小学校低学年の女子を父親と思われる男性が色々と指導していた。小学生までゴルフをするのがブームとすると明るい話だが、どうみても将来、女子プロゴルファーとなって、毎年1億円を稼いで、親にも年金の足りない分、年1千万円を送ってもらおうという魂胆なのだろう。あるいは、親ではなく暴力コーチ?

政府専用機のこと

2018-09-12 00:00:54 | 市民A
B-747が2機という日本国の現在の政府専用機について、整備を担当している日本航空もB-747 (ジャンボ)がなくなるということもあり、また、米国からの押し売り圧力もあり1992年に購入してから既に26年も経ったということで買い直すことになった。先月には日本に到着している。機種はB777-300ERをベースに各種設備をスイスで搭載してきた。やはり2機。外務大臣専用機は買わなかったということになっているが、そもそも政府専用機というのは総理大臣専用機ではないわけだ。

優先順位は、皇室、総理大臣、その他ということになっているようだ。国家元首は天皇だからだそうだ。2機あるのは、途中で故障の時に乗り換えるため(もちろん飛行中に乗り換えるわけではない)。

ここで、問題点なのだが、B747からB777に乗り換えるというのはエンジン4基(4発)から2基に乗り換えるということ。つまり危険度が増すわけだ。ハドソン川の奇跡はエンジンが2基(2発)しかなかったからこそ起きたわけだ。今、世界中で燃費改善が求められていて、そのためにエンジンの基数が減り、危険が高まったのだが、その代償としてB-777は航空路が、世界中の空港の位置からあまり離れていないコースになっている。硫黄島に着陸したケースもあったが、二つのエンジンの一つが不調になった時の機長の気持ちになればわかると思う(四つのうちの一つではない)。自動車や船と異なり、危険があれば停まるというわけにはいかないわけだ。


ところで、いつも押し売りする米国だが、専用機といえばエアフォースワンが有名だ。こちらは政府専用機ではなく大統領専用機で、ゴルフとか大統領の私用に使ってもいいそうだ。札幌のラーメン横丁に行ってもOKだ(落選するだろうが)。機種はB747。1990年製で2機。つまり日本と同じというか、日本の方が2年新しく、エンジン性能は僅かに上らしい。そして、こちらも買い替える話になっていて、39億ドル(4000億円超)というとんでもない見積もりがあったようだ。当初は3機という話だったが、どうも2機らしい。

そして新型機は、B777ではなくB747-8というボーイングが唯一生産を続けているジャンボ機がベースになる。これは、貨物機なのだ。

その貨物機に中性子爆弾が近くで爆発しても飛び続けられるようにしたり、三流国の空港で機体トラブルがあっても修理できるように予備部品まで積み込んだり、全地球が核汚染された場合、いつまでも空を飛び続けるための空中給油装置まで装備されている。すると10倍(2機なので5倍かもしれない)に膨れ上がった。

いくら金持ちのトランプ大統領もこの金額には驚いたようだ、自分の乗っていたプライベートジェットの100倍とかなのだろうか。その結果、あれこれとボーイングと交渉の結果10億ドル安くなったと威張っているようなのだ。が、どうも完成したのにキャンセルになった機体がボーイングの倉庫に2機眠っていたようだ。マークをはがしてきれいに塗り替えるのだろうか。

ところで、米国がB747 にこだわったのには理由がある。エンジン4つである。大統領の命は地球よりも重いわけだ。いまや4発(エンジン4基)といえば、総2階のエアバスA380かボーイングの貨物機B747-8ということになるわけで、考える余地はないのだろう。

となると、日本の場合、総理大臣が乗ることが多いわけなのだが、エンジン停止の緊急時の場合はどうするのだろう。

おそらく、パラシュートなのだろう。運が良ければ、予備で飛んでいるもう一機の尾翼にしがみつくことができるかもしれない。

花とアリス(2004年 映画)

2018-09-11 00:00:39 | 映画・演劇・Video
花(鈴木杏)は荒井花であり、アリス(蒼井優)は有栖川徹子である。二人は親友なのだが、ある男子高校生をめぐってもめ事が起きる。

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花がとあることで気絶した男子に、部分的に記憶喪失になったと思わせて、自分が彼の彼女であったと信じ込ませようとする。もちろん、そんなことを簡単に信じる奴はめったにいないわけで、男子は、そうであったことの客観的証拠や証人を探すのだが、もともとウソなのでなかなかつじつまが合わず、アリスもその複雑な人間芝居の中に「元カノ」として組み込まれる。

男子からすると、粘着質で感情の激しい花よりもアリスの方に好意を感じるのだが、何しろ自分が部分的に記憶喪失になったと勘違いしているので、どうすればいいのかよくわからないが、ついにアリスが選んだデザートが、自分が絶対食べないアレルギー食品であったことで、ウソのほころびを見破ってしまう。そして、二人の女子高生から聞いていた話が、一から十まで全部ウソのかたまりであったことを知るわけだ。

「全部ウソ!」最近、金メダルコレクターが呟いた一言だ。彼の息子は金メダルの4年後にオーストラリア国籍を取得し、再度五輪に挑戦したが、選んでもらえなかった。そしてまた日本人に戻っている。やってることが、うそっぽいと思うが。

実は、本来、騙されるのは映画の中の男子高校生だけのはずなのだが、うかつに見ていたせいもあり、私まで騙されてしまった。もっとも、それだからこそ、少女たちの嘘を聞いて、まったく動転してしまったのだが、映画にかかわらず、事実ではないことを事実と誤認してしまい、あとで驚くとか誤認したままになるということは、人生に多数あるのだろうと思う。

そして、画質が少しブルーグレイにくすんでいるのが、映画らしくていい。冒頭にいた米国からの大柄な男子高校留学生だが、何か重要な役目を持って後半に再登場するのだろうと思っていたのだが、米国に帰ってしまったままになった。なんだったのだろう。男子の禅寺の修行もよくわからなかった。

敵討ちの話

2018-09-10 00:00:18 | 歴史
敵討ちの話。一般論で書くと大変なことになる。日米開戦やリベンジポルノも含まれてしまい文化論に至るのだが、そんなことを書きまくるわけにはいかない。日本古来の敵討ちの話。一例を上げれば忠臣蔵だが、実は狭義の敵討ではない。主君の浅野某がご乱心し、江戸城内で抜刀したため切腹になったので、斬りそこなった相手を主君の敵ということにして集団で襲ったわけだ。無許可である。切腹を決めたのは国家権力だし、悪いのは自分の主君だ。

本物の敵討は、親殺しなどの時にこどもが、犯人を見つけ出して殺したいと申し入れると、国家権力が、「好きにやりなさい」という許可を出す。必然的に武士の世界の話になりやすい。

実は、江戸時代の終わりの頃(1857年)に現在の石巻市の海岸で越後新発田藩士久米幸太郎が父の仇として林右衛門なる男を斬ったのが最後の敵討として知っていた。しかも父が斬られてから41年もかかっていて、九州や山陰までも捜索して僧侶に身を隠していた林を意外な場所で探し出したわけだ。最近の警察以上の能力だ。この41年というのも少し前までは日本最長とされていた。菊池寛が「恩讐の彼方に」の参考資料にしたので知れ渡ったのだが、それを超える期間で成就した例が見つかっている。53年かけて母の敵を討った「とませ」という女性がいる。また、1857年では、あきらかに最後の敵討ではない。

その事件は、久米幸太郎の父が殺されたのは、藩邸で指されていた藩士たちの将棋に、横から見ていた久米の父が横から助言したため、対局後、負けた武士が逆上したらしい。まあ、口を出すのはいけないが、殺すほどのものではないわけで、切った方の林がそのまま藩外に逃走してしまった。将棋界にとって黒歴史の1ページになっている。


そして、これから紹介するのは、もっと後の時代の幕末から明治にかけて。この時代、多くの武士が運命のように亡くなっているのだが、特に不条理なのは、最初に倒閣を決意した各藩の急先鋒隊の人たち。国中が動いている中で、ゆれ戻しがあり、薩摩藩だって寺田屋事件のような急進派の虐殺が起きている。そういう関係で、理不尽な死を遂げた武士の息子にとっては、斬った相手に復讐しようと思うのが当然なのだが、幕府も明治政府も許可しない。いい加減な奴ほど出世して新政府の要職になっている。ということで、いくつかの事件が発生している。

最後の敵討を自称する候補を並べてみる。

1.1868年(明治元年)筑前秋月藩内の方針の対立で殺された臼井亘理の子が1880年(明治13年)に両親と妹の敵を討った。既に敵討は禁止されていて、殺人罪となる。

2.1869年(明治2年)金沢藩家老本多政均が軍制改革に反対する旧守派に城内で斬られる。これに対し家老の旧臣12名が、1871年(明治4年)3名を惨殺。無許可報復として12名全員が切腹。

3.1861年に肥後藩藩士下田平八が江戸藩邸内で斬殺され。息子の恒平が1871年(明治4年)に敵を討ち、跡目相続が許可される。(もっとも、武士という階級は廃止になるわけだ)

4.これは少し歴史的に有名なのだが、1857年(安政5年)土佐藩士広井大六が棚橋三郎に謀殺された。船で沖に出たところ、海中に落とされての水死である。そして息子の岩之助の公認敵討が始まるのだが、いきなり脱藩ルートを使って土佐を出ようとして捕まる。それを助けたのが、坂本竜馬である。彼が手引きして岩之助を江戸まで連れてくる。そして、竜馬の師匠だった勝海舟に紹介するわけだ。勝は幕府の要職にいたため、棚橋三郎の動向を把握していて、和歌山県の加太に潜んでいることを岩之助に教える(ちょっとずるいか)。以下、決行は1863年だった。

5.1862年(文久2年)に赤穂藩村上天谷は急進的な尊王攘夷派7名に殺害された。その子や助太刀を含めた7名が1871年(明治4年)に、復讐の敵討に成功した。本来なら無許可であるのだから、殺人ということになり裁判で死罪になるところ、西郷隆盛の一言で死を免れる。その判決の日(明治6年2月7日)に「敵討禁止令」が発布された。

形式的にはピカピカなのが4のケースだろうが、背後に坂本竜馬や勝海舟がいるのが、少しズルいようにも思える。

いずれにしても、武士身分が消滅したことにより、古来からの敵討文化は消滅したといえるわけだ。

戊辰の横浜

2018-09-09 00:00:51 | 美術館・博物館・工芸品
横浜市歴史博物館で開催中の「戊辰の横浜」へ行く。時は慶応4年(1868年)。1月の鳥羽伏見の乱で幕府軍が敗退(というか将軍が江戸に逃げ帰る)した後、全国各地が戦雲に包まれる。3月なると、ついに薩長軍が横浜に現れる。そして、江戸に突入寸前に有名な西郷・勝会談があり、無血開城となる(実際は旗本・御家人のうち運の悪いものは首を失うことになる)。

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その時、横浜はすでに開港していて外国人居留区があったし、そもそも箱根の関所から江戸の間は幕府に近い大名や旗本が管理していたはず。何が起きていたのだろう。というテーマなのだ。結構、マイナーな話かもしれない。

まず、箱根の関所だが、事実上、無抵抗だった。そもそも徳川家は白旗を上げていたわけだ。したがって、幕府(徳川家)の直接の部下だった旗本クラスは抵抗する意味がなかった。抵抗したのは彰義隊とか新選組とか東北諸藩の大名とか。彼らは「武士の本望」として戦ったわけだ。

話を神奈川に戻すと、幕府側の重要人物は二人いた。一人は、相州金沢藩主米倉昌言。金沢というのは今の金沢八景のあたりで、小さいながらも大名だった。彼は、薩長側に早い時期に鞍替えし、神奈川県での受け入れ準備を進めていた。

もう一人が江川英武。有名な江川英達の息子である。英達は韮山に反射炉を作ったり、台場を埋め立てて砲台を並べたり、江戸周辺の農民を農兵隊として武力化したりしている。英武はその父と兄が次々と病死した結果10歳で家督を継ぎ、慶応4年は15歳だった。しかし、英達の活躍の結果なのか、韮山(静岡)だけではなく横浜地区一帯を監督する地位についていた。(後に、その才を見込まれ岩倉使節団の別隊として、渡米した津田梅子と同様に長く米国留学することになり帰国後日本の教育に寄与したが、衆議院議員選挙に立候補し、落選した。

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そして、証拠書類があるのだが、江川太郎左衛門(江川英武)あてに東征軍の参謀から、
宿と昼飯の用意をするように命じている。昼飯は銭百文と米2合、宿は金一朱と米四合となっている。大飯食いばかりだ。

そして、参謀のところに海江田武次と書かれている。この男、かなりの直情家で、生麦事件の首謀者で、傷ついた英国人にとどめを刺している。その後、チョイ役で歴史に時々出現する。奈良県知事にもなるが、豪華な県庁を作ろうとして、1年で解雇される。それでも貴族院議員になる。海江田万里とは同郷だが万里氏は本物の海江田氏であるが武次は妻の実家の名字を無断で借用していたようだ。

そして、江川英達の創設した農兵隊だが、綱島農兵隊と川崎農兵隊と日野宿農兵隊が知られている。

そして、そういった幕府周辺勢力を弾圧する役目を喜んで受けたのが備中池田藩。農兵隊に対して、武器狩りを始めた。かなりの数(1000丁とか)の銃砲もあったようだ。綱島砲兵隊から、池田藩に、鳥獣対策の銃を提出しなくてゴメン。悪気はないのでという詫び状が出ている。

ところが、他の県の農兵隊では鉄砲狩りは行われていないそうだ。では綱島の鉄砲はどこに行ったのだろう。単なる鉄砲泥棒ではないだろうか。鉄砲狩りの隊長の氏名は明らかになっている。

「私の鉄砲、返して下さい!草野次郎右衛門さん」

海老原辰夫詰将棋手筋集5

2018-09-08 00:00:27 | しょうぎ
詰将棋小冊子である。

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3手詰40題、5手詰40題、7手詰20題。自慢する気は毛頭ないけど、5手詰まではあまり時間はかけずに解けるが、そもそも100題あると、疲れてきて目が見えなくなる。すると突然、7手詰めの途中で読めなくなり、翌日送りになる。

最近、詰将棋を始めたばかりの知人から、

「解けない問題は、答えを見てもいいのだろうか」という質問を受けた。

まだ短手数なので、5~9手詰あたりの本のようだ。

この場合、二通りの考え方がある。

1. 答えを見て納得する

2. 解けない問題は、答えをすぐに見ないで、翌日解いてみる。
  この場合、翌日解けないとどうするかというと
   ① 解けなければ、答えを見る
   ② 解けなければ、次の日に解いてみる
  この場合、翌々日でも解けないとどうするかというと
  また二択で、答えを見るか、次の日にトライするか

  つまり、解けるまで答えを見ないという方針もある。

私が、最初に詰将棋集にチャレンジしたのが金園社の『大山康晴 詰将棋200題』。7手から15手までと手ごわいのだが、その第一問がなかなか解けなかった。打歩詰打開がテーマで、飛車不成の手筋を自力で発見するまで1週間かかった。

ということで友人に勧めるのは、翌日回しにして、それで解けなければ答えをみたら、というアドバイスくらいかな。独力で馬ノコなんか発見して、詰将棋の制作までのめり込んでしまったら、人生大惨事だろう。


さて、8月25日出題作の解答。


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あまり難しい手はないが5手目の角捨てが見えないと、いきなり銀と飛を打って戦力不足になるのが怖いだろう。なお3三とはとどめの歩に再使用するためだし、別の成り駒だともっと早く詰む。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。*指摘がありまして修正しました。元図の玉型4五とを5四歩に変更しました。


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ヒントは、すっきり決まらない。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

サンマ豊漁につき

2018-09-07 00:00:22 | 市民A
ウナギは高いがサンマは安い。昨年は不漁でしかも痩せていて、中国のせいだ、と皆が言っていたが、今年は昨年獲れなかった分まで上乗せになっているようだ。0歳魚だけでなく1歳魚も獲れているようだ。中国のせいじゃなかったようだ。サンマの話だから、国家同士の戦争にはならないが、先入観をもって外国と事を構えるとうまくいかない。

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ということで、今年は4回も既に食べている。直近はコンビニ(イオン系のミニ・ストップ)で買った『具だくさん炙り〆秋刀魚太巻寿司・梅肉ソース使用』。

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まず、いわゆる太巻きじゃない。普通巻きだ。〆てしまうと、新鮮さがなくなるので、新物かどうかもわからなくなるのだが、水っぽくはないので今年産なのだろう。

加工工場は上尾市ということで海とは何の関係もない内陸の市だ。

いつもの秋刀魚の味だ。秋は来るのだろうか。

省庁障がい者水増し発覚で手帳狩りにならないように

2018-09-06 00:00:47 | 市民A
中央省庁が障がい者雇用の法定数の半数を水増ししていたことがわかった。半数以上が水増しと言うことで、健康診断で異常があった人や、既に退職している人まで含んでいるそうだ。明らかに違法性を認識しているのだろう。ごまかすというのは、普通は1割とか2割程度だろうが、今回は多すぎる。

ようするに障がい者として認定するには、障がい者手帳を持っているか、医師の診断がなければならない。

ところが、この障がい者手帳だが、少し問題がある。

民間企業にいたので、そもそも水増しはできない(罰則を受けた上に社会的制裁を受け、大損害を被るし)のだが、実は、障がいがあって手帳を持っていても、本人が明らかにしていないケースがある。本人が、明かにすると障がい者ということで不利になるのではないかと恐れるからである。障がいがあっても実務上問題がなければ当面は言いたくないだろう。

実例だが、何らかの仲間内の少人数の酒席で、うっかり手帳を持っていると口を滑らし人間がいたのだが、風の噂というのは足が速いもので、しばらくして、その上司(私)に人事部の担当から内々に問い合わせが来たわけだ。

ここから先は、企業文化というか体質というかの世界なのだが、結局、人事の担当者を含め、うやむやにして、知らないことにしたわけだ。要するに「手帳狩り」みたいなことはしない、という文化があったわけだ。

霞ヶ関では、そうはいかないだろうと、思うわけだ。

宝運丸はなぜ関空連絡橋に衝突したか(推測)

2018-09-05 00:00:32 | 災害
台風21号の強風(関空での最大風速は58m/秒)により宝運丸(日之出海運所有2591トン・長さ89m)が関空連絡橋に衝突した。船員11名は今の段階では船内にいるようだが、機関室への浸水がなく、エンジンも停止して、積荷(ジェット燃料油)も船内にはないのであるから、とりあえず火事や沈没は考えられず、波による転覆が問題だが、タグボートを横付けすれば問題はないだろう。台風が北側にあるので、ずっと南から吹いている風と波とで橋に押し付けられているのが逆に幸いしているような気がする。

もともと船会社にもいたことがあるので、資料を寄せ集めてみると、いくつかの推論が組み立てられた。

まず、事故と直接関係ないのだが、船舶は古い。1996年竣工で、そもそも所有者は別の会社だった。老朽船である。現所有会社の元請けにあたる船会社が所有していて、船名も異なっていた。しかも、竣工した時は、東京湾内だけを航海することにしていた。成田空港のジェット燃料油を空港の持っている東京湾内のタンクに運ぶ専用船だった。ということで、このサイズの船としては少し小さいわけだ。通常は長さが105m程度であるから1割ほど短い。

しかも東京湾内専用ということで、比較的外洋を航海するのが設計的にやや苦手のわけだ。東京湾は完全な入り江だが、関空は瀬戸内海でもないし、大阪湾の一番外の方であり、紀伊水道から風も波も入ってくる場所である。

そして、成田第三滑走路や羽田のD滑走路により、東京湾ではこのタンカーでは経済性が合わなくなり、2013年に改造した上、今の所有会社に売却の上、関西空港を主な航路とすることになったわけだ。


事故は、走錨(そうびょう)という現象で、海底に引っかかっている錨(いかり)が、強い力により海底からはずれてしまい船体を支えることができなくなる状態を指す。同様に、錨を繋いでいる鉄の鎖が切れることもあり、鎖についてはほとんどの場合日本製の鋼材を使う。錨そのものは鉄の塊なので中国製でもOKということになっているが、後日、錨を巻き上げた時に破損していないか点検する箇所だろう。

そして、最大の問題は、バラスト水を張っていなかったことなのだ。が、それにはある理由がある。

バラスト水というのは、こういう嵐の時に荷物のない空船状態で航行すると転覆の危険があるため、油を積むタンク(通常は10タンク)のうち何ヶ所かにある程度の量の海水を積んで、船体の水面上の体積を減らすことで、風による影響を抑えることである。車高の高いクルマで橋の上で横風に吹かれると危険なのと同じである。冬の北海道のなどではよくあるケースだし、技術的に難しいことはない。橋に衝突した船体を見ると、船底近くまで海面上に見え、ちょっと信じられない。

一方、ある理由というのは、運ぶものがジェット燃料油であることに起因する。ジェット燃料油の成分はほとんど灯油と同じなのだが、水分を徹底的に排除するわけだ。理由は、燃焼する場所が高度1万mだからだ。氷点下であり、水分が凍ってしまい配管内が詰まり、燃料が正常にエンジンに届かずに大惨事になる可能性があるわけだ。海水をタンクに張ると、そのあとかなり洗浄しても100L位は配管内に残るとされる(傾斜があったり配管の曲がる部分とかに)。積み荷は4,500,000Lなので、まさに0.002%位のミクロの話だが。

ということで、通常はジェット燃料油を運ぶ船は、ジェット燃料油か灯油かの二種類を積み続け、バラスト水は使わない。他のガソリンや軽油を積んだり、緊急にバラスト水を使った場合は灯油を数回積めば配管内の水分はなくなるので、その後、ジェット燃料油を運ぶことができる。では、そういう複雑なオペレーションをするとまずいのかというと、コスト的にはあまり変わらないわけだ。タンカーは何百隻もいるのだし、要するに、「面倒」ということなのではないだろうか。たとえ、少し高くても、橋にぶつけるのとは大違いだ。

では、実際はどうだったのだろう。「船の安全のために海水を張る」と「次の航海のために海水を張らない」と相矛盾する行為を決断するのは、船長の権限であり義務である。おそらく、どこかの誰かに指示を求めて電話を掛けたに違いないだろう(忖度して掛けなかったかもしれないが)。その結果、バラストを張らずに事故を起こしたのかもしれない。その場合の責任は誰にあるのだろうか。実は、船長なのである。クルマの運転で助手席の人間が「赤だけど走れ」と指示をして、その通りにして事故があっても運転者の責任であるのと同様だ。

動力物語(冨塚清著)

2018-09-04 00:00:10 | 書評
韓国でBMWのディーゼル車が突然炎上する問題が、ついに日本に波及し、リコールとなった。排ガス再循環装置(EGR)のモジュール不具合ということだそうだ。モジュールとなると、その中の何が問題化なのかまだ見えない。

EGRとはエンジンの排ガスを空気と混合して再びエンジンに投入することで、排ガス内のNOXやSOXを減らす環境効果とエンジンを冷やして熱効率を上げる燃費効果がある一方、排ガスには酸素がほとんど含まれないので、最大出力が上がらないという弱点がある。日本メーカーの多くはEGRは環境、燃費を優先し、出力はなんとかする思想だがドイツ車は出力を優先し、なんとか環境基準に合わせるという思想であるらしい(結果はあまり変わらないが)。またガソリン車よりディーゼルの方がEGRの設計は簡単と言われる。

では、韓国で炎上し、日本でまだ炎上しない理由だが、情報やデータがないのでわからないのだが、仮説でいえば軽油の品質というのも一考の必要がある。韓国も日本と同じ程度に軽油税があるのだが、ディーゼルエンジンはガソリンエンジンに比べて燃料の許容の幅が大きいので、流通段階で、同種の灯油や重質軽油分の混入の誘惑があるわけで、世界各国でも国ごとに取り締まっているのだが、「法律の裏には違法がある」という格言があるわけだ(聞いたことないかな?)。

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というようなことを調べているうちに、エンジンの歴史に足を踏み入れて一冊読んだわけだ。

19世紀から20世紀前半に飛躍的に発達した動力、つまりエンジンの開発の歴史を、概略的に解説した新書である。少し古い(1980年)の本なので、エンジンがついにモーターに置き換わることは予見していないし、ロータリーエンジンなど、できるわけないと断定するなどいくつかの思い込みはあるのだが、本の趣旨は、エンジン開発の歴史で、フランス、英国、ドイツの三か国がどのように意図しない競争の末、さまざまな画期的な動力が生まれたかが書かれている。

というのも、基本的には三か国の国民性というか社会構造からくるのかもしれないが、工学系の学問に限れば(他のジャンルもそうかもしれないが、今はふれない)、この異なる特徴のある三国がそれぞれの培地で技術を積み上げたということだろう。

まず、フランスだが、理論が高遠なのだ。代表がカルノーで1824年に理想的熱サイクル理論を完成させる。最初に神様のような学者が現れるわけだ。圧力と体積によるカルノー・サイクルと言われる。まだ蒸気機関すらまともに動かせていなかった時代にだ。

4サイクルエンジンもフランス人ロシャが考案する。つまり、フランス人は理想主義のわけだ。たぶん、ソファーでブランデーとか飲みながら思索するのだろう。

次に現れるのが英国人群である。彼らはそろって設計が好きなわけだ。理論を信じて最善な効果を上げるべくエンジンの設計図を描くのだが、これがうまくいかない。彼らは机の上で、日夜、図面を描くのが好きなのだろう。

著者によれば、英国は階級社会で、エンジンを設計するのは高級な仕事だが組み立てるのは労働者の仕事ということになっていた。もちろん今でもそうだろう。貴族になるにはサッカーチームのキャプテンになって世界一になる必要がある。

そして、ドイツ人。英国人からすれば、労働者ということになるのだろうが、今でもスーツのポケットに小型ドライバーを入れているらしい。ようするにエンジニア的なのだ。あるいはエンジニア過ぎるのだ。英国人の作った図面の不備を現場感覚で直して機械を芸術品のように仕上げてしまう。もちろん、国民性が「やりすぎ」なので、ネジ一本とっても、他国のネジのように、右に10回以上回して適当なきつさになったらOKというようなことではなく、右に11回すと、カチッといって止まり二度とはずせない、というようなことをするわけだ。

米国人は、大量生産方式を考えるのが得意であり、日本人は、完成技術と思われた製品から、さらに部分的に進化させるのが得意(いわゆるガラパゴス)なのだろう。この5ヵ国は、今でも大学院で母国語で科学を教える希な国家であるわけで、今後も役割は変わらないような気がする。

東京さくらトラムに乗る(数十年ぶり)

2018-09-03 00:00:42 | 市民A
以前、JR大塚駅近くで働いていたことがあり、数回都電荒川線に乗ったことがあった。たまたま大塚ではないが鬼子母神前駅あたりにいたので、都電にでも乗ってみようかということで、狭いホームに上がる。数分待つと近代的に見える車両が現れる。函館とか岡山の市内電車とは大違いだ。もっとも戦前の東京の都市としての発達は世界でも希な網の目状の都電網の完成と裏腹の関係だった。

hanatoalice


例えば渋谷では誰でも知っているハチ公だが、飼い主は東大教授の上野博士。渋谷に住んでいて本郷まで通っていたのだが、今の銀座線の上、青山通りにあった都電で赤坂見附のあたりまで行った後で皇居の南回りの都電に乗ったのだろうか、あるいは北回りだろうか。推測すると、なかなか面白いわけだ。

さらに地下鉄よりも駅間が短く、駅が多いわけだ。おそらくシティボーイと言われた人たちは、A点からB点に行くには、どの都電で、どこで乗り換えればいいか、即座に答えられたのだろう。ナビ男君。

ところで、その都電網の中で唯一生き残ったのが、早稲田発大塚、王子、町屋経由三ノ輪橋行きの都電荒川線。運賃は一律170円。駅は30もある。

いつの間に「東京さくらトラム」を名乗っていた。沿線で桜が美しいらしい。が、鬼子母神から早稲田までの間に美しい物は何もなかった。

終点の早稲田を考えれば、さくらトラムではなく、いなほトラムではないかとも思える。桜をシンボルにしている大学と言えば、日本最大の某大学。桜吹雪状態だ。

大学と言えば、この沿線には大学が多いように思えて、調べると、早稲田、学習院、日本女子大というのが有名だ。少し離れて御茶ノ水女子大もある。早稲田の敷地が大きいのは学生数からいって納得できるが、少人数の学習院が早稲田と同じくらい大きいのは、やはり皇室の御子息御令嬢をお迎えするための余裕なのだろう。

日本女子大は悲しい位に狭いが、対極的にお茶の水女子大は早稲田、学習院クラスの広さだ。まあ、差別だろう。さらに東大となると、皇居の約半分程度の巨大な敷地なのだ。

もしかしたら、東大は世界有数の資産額の大きい大学かもしれない。順位を競うべきはそこではないのだが。

人面塔に登れなかったロメオではなく私

2018-09-02 00:00:28 | 美術館・博物館・工芸品
早稲田大学の施設に用があり、ついでではあるが、暑きを耐え、大学名所の演劇博物館に行く。以前は坪内逍遥記念館となっていたかもしれない。坪内逍遥は近代日本文学史の教科書では、最初の数ページに登場する大人物で、特に「シェークスピア全集」を翻訳したことが有名だ。記念館には、シェークスピアの時代の展示品があるはずだったのだが、・・・

どうも、夏季休暇中で職員が少ないらしく、一階の廊下の部分だけ解放していて、2階以上は展示替え準備という名目で入場できなかった。廊下展示品だけ拝見し、事務所の女性職員の方に、「残念です」と言ったところ。「申し訳ありませんでした」と過去完了形で言い渡されて、外に出るしかなかった。

engeki


となると、見どころはこの建物。

坪内逍遥の発案で、英国の「フォーチュン座」を模して造られたそうだ。しかし、シェークスピアといえば「グローブ座」ではないかと思われそうだが、わけがある。シェークスピアが劇を書きまくっていた頃のグローブ座は、彼の晩年に焼失してしまう。そして現在のロンドンや池袋にあるグローブ座のようなミニドームのような建物に建て替えられてしまう。残念ながら元のグローブ座のデザインは不明。一方、ライバルのフォーチュン座は元のグローブ座のデザインを改良して作られたということで、むしろその方がグローブ座に近いということで、東京に再現されたわけだ。

中央の塔は、よく見ると人面に見える。乱歩的だ。建物はロメオとジュリエットで地上のロメオが階上のジュリエットに呼びかけるシーンがあるので、この塔の上の方の目の部分か口の部分にいたのかと思ったのだが、帰宅後、子細に調べると、2階のバルコニーにジュリエットがあらわれることになっていたようだ。縄梯子で地上と行き来するのだが、確かに女優が塔の上から縄梯子で降りるには無理がある。しかし、2階のバルコニーでは縄梯子までは要らないような気がする。

この建物の玄関の前で演劇が行われ、左右の建物は屋根付きの桟敷席。お金持ち専用だろう。そして、ずっと手前の前庭の地面が庶民の席だったようだ。英国らしい。その後、民衆による革命が成功したのだが、なぜか大きな差別が残ったままだ。

東野流持駒論理

2018-09-01 00:00:54 | しょうぎ
『容疑者Xの献身(東野圭吾著)』の中に、チェスと将棋の違いのことが書かれている。もっとも大きな違いは、相手の駒を取った時、持駒として再び使えるか、取り切りゴメンにするのかだろう。

もちろん、チェスの駒には白と黒の色分けがなされているので、白が黒の駒を使うというのは困難なのだが、将棋の駒のように同じデザインの駒で向きを変えればできないでもない。

この中で、親友である刑事(将棋派)と大学教授(チェス派)が、勤務時間中なのにチェス盤を挟んで持駒論争をする。将棋派からすると、駒は戦利品なのでどう使おうが勝手だろうという論理だが、チェス派から言うと寝返りは騎士道に反するという主張だ。

もちろん、この論議でどちらが勝ったということはないのだが、私の意見では、チェスは盤面が狭いのに、強い駒ばかりで、持駒制度があると、さらに攻撃側が有利になるように思える。将棋の場合、弱い駒が多いので持駒を使うことになったのではないだろうか。例えば金は先手後手が各2枚を持つのだが、一枚取られると枚数が3対1になるわけだ。


さて、8月18日出題作の解答。

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0901kk


4手目、同玉だと3三銀以下駒余りになる。

動く将棋盤はこちら


今週の出題。

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重厚は似合わない。

わかったと思われた方は、コメント欄に総手数と最終手を記していただければ正誤判定します。