若き薩摩の群像たち

2011-01-20 00:00:30 | 歴史
鹿児島中央駅の広場に、かなり大きな彫刻がある。昭和57年建立された「若き薩摩の群像」という17名の若者像である。



で、彼ら一人ずつがいかにその後の日本の役に立ったかというような説明が付けられている。

それで、鹿児島から戻って調べると、彼らが出発したのが1865年。歴史の流れ中では、薩英戦争で、鹿児島が焼け野原になった後、心を入れ替えた藩が、将来を嘱望された17人の若者を英国留学に出したということだ。もはや、海外渡航禁止といった幕府の定めなど聞く耳はなかったわけだ。一方、彼らよりやや年上のグループは、倒閣運動に向かっていく。



そして、さらに調べると、英国に渡ったのは17人ではなく、19人だった。

では、なぜ、銅像は17人分しかないのだろうか。

薩摩人ではなかったからだ。一人は土佐人。一人は長崎人(通訳)。昭和57年の頃には、仲間はずれになっていた。狭い料簡だ。

実際には、二人は、その後、薩摩の為に尽力していたことがわかったようだ。

さらに、町田実積さんと町田清次郎さんは、その後不明とされていたが、別に不明でも何でもないようだ。同時に英国留学し、後に国立博物館の館長になり、さらに三井寺住職となった町田久成さんの弟で、養子に行ったため、苗字が変わって、よくわからなかったらしい。

そして、最年少(数え14歳)で英国に渡った長沢鼎さんは、その後、日本ではなく米国に渡り、23歳でブドウ園を持ち、その後、郡の長にもなり、ワイン王となったようだ。

そういった今まで無名とされていたが、調べたらとても面白い人生を送った人物というのを発掘するような仕事は故人となった吉村昭の専門だったのだが、後継者はいないのかなあ。


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