『月魚』(三浦しをん著)

2011-01-11 00:00:52 | 書評
昨年末に読んだ一冊。



昨年、自分的には、三浦しをんという作家を知ったのが、今後の余生の楽しみのような気がする。好きな作家が、既に亡くなっていたり(例えば、故吉村昭氏)、あるいは年上(例えば、村上春樹氏とか金井美恵子氏)の場合、いつか先立たれると、楽しみが有限的になってしまう。年下であれば、多くのケースで自分の方が先に退場するのだろうし(例外も多いが)、読み尽すということにはならない。

話は飛ぶが、「主治医」というのも同様で、自分より高齢あるいは同年代の場合、自分が高齢となった場合、主治医難民ということになる。かといえ、自分よりかなり若い医師の言うことなんか信用できるか、という気持ちになるわけで、理想的には、十歳程度若い医師に、今のうちから貢いでおくのが得策なのかもしれない。

といっても、将来、どこに住んで野垂れ死にするのかわからないので、付き合いはほどほどに、ということかな。

で、自分の主治医ではなく主治作家と今後なるだろう「三浦しをん」。小説「月魚」は、上手すぎる。

同じように親子代々が看板を継いだ、二人の青年を中心に物語は古書店業界の裏側に潜入していくのだが、その先、祖父や親の代からに二軒の因縁が明らかになっていく。小説の後半は、濃密な空気が充満してきて、果たして、この小説はどこで終わりに向かうのだろうか、ということになる。

人間の感情の何段階も奥に潜む本能的な怒りや恐れや喜びといった原感情を浮かび上がらせるのが上手い。さらに、描いている古書店のことも相当詳しく描かれ、それがまたリアリティを高めている。


そして、女流作家。

以前、角田光代氏が、「一人で食事をしながら、他のグループの会話を聴いていると、小説の参考になる」とTVでしゃべっているのを聴いたことがあるが、三浦しをん氏もあさのあつこ氏も、あえて食事に誘おうとは思わないタイプのようにみえるので、案外一人メシが多いのではないだろうかと思うわけだ。

そういう時に、作品のアイディアが生まれるのではないかと、想像している。