『女流』(関川夏央著)

2010-08-01 00:00:28 | 書評
「女流」というコトバは、既に死語となっているようだ。あるいは、女性蔑視の差別用語の匂いもある。将棋界では、いまだに「女流棋士」という呼び方が健在で、女性棋士とはいわない。男女の体力差のあるスポーツでも女性アスリートと呼び、騎士やオートレーサーなどでも女流とはいわない。

もちろん、小説家の世界でも、最近は「女性作家」と呼ぶようで「女流作家」とはいわない。

では、『女流』ということばは、いつからあるのか、ということは、本書を読んでもわからなかったが、『女流作家』=『女性流行作家』から始まったのではないだろうか、と思うのである。例えば、樋口一葉は女流作家とは呼ばれなかったのだろうが、本書で紹介される二人の作家の場合、まさに「女流」にふさわしい存在なのかもしれない。



ます、林芙美子。放浪記の作家である。母親とともに全国を放浪した経験を基にして書かれた「放浪記」がベストセラーになり、以後、売れる小説を書きまくる。戦争中は戦地に題材を求めたり、戦後は時を忘れるほど原稿を引き受ける。

ある人が言うには、「他の女性作家に仕事を奪われないように」乱筆に励んでいたそうだ。

そして、体調は少しずつ悪化していき、1951年。50歳まで2歳届かず、駆け抜けた人生が終わる。

葬儀委員長は川端康成。会葬者に異例のあいさつを述べる。

「故人は自分の文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、あと一、二時間すれば林さんは骨になってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人をゆるしてもらいたいと思います」

やはり、ノーベル賞作家のことばは重い。このスピーチだって、並の人には語れないだろう。

ところで、放浪記だが、たしか中学1年か2年の頃に読んで、いたく感動し、小説を書き始めたような記憶があるが、今思えば、放浪記を作家の意図の通り理解できたとも思えないし、さらにそれで小説が書けたわけでもない。

2年ほど前に尾道に行った折、母とともに彼女が尾道に流れ着いた事情などを知ったのだが、その時に「放浪記」を再読してみようか、と思ったことを思い出したのだが、どうしようか。


そして、有吉佐和子。

関川氏は、林芙美子については、精神的な悪女であるが、それには同情すべき点があり、川端康成がいうように、「忘れてあげればいいじゃないか」というように理解を示すのだが、何があったのか知らないが、有吉佐和子の悪女ぶりには、まったく容赦なくたたいている。

特に、後半生では、単にベストセラーを狙って売れる本を書いているだけで、年寄りになると小説家としての筆の巧さではなく、書く内容のセンセーショナルさに頼っているだけだ、というようにかなり厳しい。

いったい、二人に間に何があったのだろうか。


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