ザ・コレクション・ヴィンタートゥール

2010-09-12 00:00:09 | 美術館・博物館・工芸品
世田谷美術館で10月11日まで開催中の『ザ・コレクション・ヴィンタートゥール』。

不勉強なもので、ヴィンタートゥールというのがスイスの小都市であることを知らなかった。何となく、ミスター・ヴィンタートゥール氏という方の個人コレクションではないかなどと見当違いなことを考えていた。まあ、ある意味似ているのだが、ヴィンタートゥール市にある美術館で、資産家が多くの美術品を集めた町ということだ。



ある意味似ていると言えば、世田谷美術館だって、資産家の多く住む世田谷、ということ。ただ、スイスの方は美術品が立派で、世田谷の方は、美術館の建物が立派、という僅かな違いがある。

今回、来日した90点は、全部日本初登場ということで、かなりの快挙である。シスレー、モネ、ルノアール、ルソー、クレー、ジャコメッティ、レジェ、ピカソ、ルドンと大御所がずらりである。

そして、元々は資産家のコレクションということで、何か安心して鑑賞できるような名画が多い。初登場にしては既視感があるわけだ。



モネの『乗り上げた船、フェカンの引き潮(1893年)』
ルノアールの『水浴の後(1912‐1914の間)』

モネの初期の作。空の色はおなじみの色だが、睡蓮ではなく帆船を描く。

ルノアールの作品に、制作年の幅があるが、彼は、一旦女性の画を描いたあと、デブに書きかえる癖があった。その書き換えの時間なのだろうか。



ジャコメッティの『林間地・9人の人物による構成(1950年』
アンリ・ルソーの『赤ん坊のお祝い(1903 年)』

ジャコメッティの抽象彫刻は時代の先取りだったのだろう。現代では、むしろ抽象作の方が多いくらいだ。もっとも、彼の作品は小品だが、その数十万倍の大きさにすると、ガウディのサグラダ・ファミリアになる。

ルソー。いつもルソーの絵画を見ると感じるが、何のために、どうして、こういう絵を描くのだろうと思うわけだ。精密かつ寓話的であるが、ちょっと得体のしれない不安物体が見る者の心の中を動き回る。


それと、今回の展覧会のポスターにもなっているゴッホの『郵便配達人 ジョセフ・ルーラン』。ただのポストマンではない。彼の奥さんがルーラン夫人といって、ゴッホが人生の最後に、何枚ものヒマワリの絵を書き連ねたのは、ルーラン夫人に捧げるためだったらしい。その夫人の夫をモデルにするのだから、やっぱりゴッホは、ちょっと変だったのだろう。