沖縄(3)少しずつ移動

2009-05-06 00:00:20 | たび
沖縄には鉄道がなかった。と、言われる。モノレールが完成し、那覇市の交通渋滞が緩和された、と言われるが、やはり渋滞である。日本の多くの城下町と同様に、道路は不規則で、さらに一部改良されているので、不効率なのだろう。モノレールには乗ってみたが、2両編成。要するに、1路線しかないので、起点と終点がともにこのモノレールの近くにある場合は、便利だが、そうでない場合は不便である。



花粉症がないということで、最近、プロ野球のチームの春のキャンプ地になっていることもあるし、このモノレール路線の周辺に住居を確保し、別荘にしたいなあ、と思うが、住めば永住しそうな感じだ。飯の糧はなさそうだが。

沖縄では聞かなかったが、以前、鉄道関係の本を読んでいたら、沖縄にも鉄道があった時期があり、その廃線跡を訪ねて、ノスタルジアに浸る人たちもいるようだ。まったくどこに、何のためにあったのか、今回はわからなかった。

北上開始。



そして、「蝶々」のハウスがあった。まったく詳しくないのだが、沖縄に生息する大型の蝶であるオオゴマダラがハウスの中で飼育されている。赤や黄色の帽子に反応して集まってくるという性質があるそうだ。そういう帽子が置いてあって、被ると、頭の周りに蝶が群がってくるのだが、銀座の夜みたいで、あまり好きにならない。

さなぎは輝くような金色である。が、さなぎも好きじゃない。以前、日本の現皇太子妃が沖縄を訪問した際に、赤い帽子の周りに蝶が集まり、黄金の微笑みを浮かべられたそうだが、ご病気の前だったのだろう。

さらに、ガラス工芸の工場。

重いのに、随分買ってしまった。この沖縄のガラス製品だが、古くからの伝統工芸ではないそうだ。戦後、米軍が持ち込んだコカコーラの瓶を材料に加工したそうだ。おそらく、沖縄中に米兵が投げ捨てるコーラ瓶が散乱してしまい、始末に困って窮余の一策だったのだろうか。今、宇宙ゴミが問題になっているが、そのうち誰かが集めてくれるのだろうか。

かなり危険な作業のように思えるが、修学旅行の中学生たちが体験作業をしていた。親や先生に内緒にすることの一つだろう。



このガラス工場は、いわゆるショー・ファクトリー。大量生産の工場はベトナムにあるそうだ。ベトナムのどこに工場があるのかはわからないが、ベトナム南部には、まだ、コーラの瓶が転がっているのかもしれない。



さらに、黒糖工場へ。



これが、いたって簡単。サトウキビを乾燥させ、茎の部分をローラーで絞るだけ。絞り汁を遠心分離器にかけ、ゴミを取り除き、煮詰めてしまえば黒糖の完成。見かけは真っ黒の塊だが、味は最高である。さらに精製していけば徐々に白くなるのだろうが、その必要がよくわからない。黒人より白人が優秀だ、というアングロサクソン的考え方なのだろうか。

大量に発生する搾りカスの茎の部分は、煮詰める時の燃料にするそうだが、いかにも勿体ない。バイオエタノールの原料に最適と思うが、一方、バイオエタノール先進国のブラジルの国営石油会社ペトロブラスは、すでに、沖縄にある石油精製会社南西石油を買収済である。買収の目的は不明。

そして、パイナップル園。夕方でも陽射しが強い理由は、南国というだけではなく、東京と40分の時差があるため。日没まで外で働くと遅くまで働くことになるが、結構、雨が多い。亜熱帯である上、海洋性気候であり、晴れが続くと、海から水蒸気が空に昇っていき、自然に雨雲となり、スコールがくる。本土では気候は4日晴れると3日崩れるという7日周期だが、沖縄は3日周期らしい。



たまたま、晴れて、パイナップル工場で働く妙な人物を発見。数日前に沖縄に来たらしい。ここでも大量のお土産を購入してしまう。お土産も、誰のためとか、何のため、とか考えずにどんどん買い進んでしまうのが、沖縄での観光客のマナーみたいだ。