「君が壊れてしまう前に」書評

2009-05-22 00:00:12 | 書評
島田雅彦は、比較的よく読む作家である。よく読むといっても、全作品読破とか半分以上とかの意識はない。現代日本人作家男性版の中では、かなり上位にあるということ。特に題材が偏ることなく、本格的な小説が書ける男性作家が少ないということだろうか。

出版社からのメッセージ

かつて14歳だったあなたへ。いま14歳の君に。
ぼくのまわりは敵だらけだ。でもそんなぼくに謎の教師が教えてくれた、世界とうまく戦うコツを??

こういうのもある。

ぼくたちは狂ってはいたが、バカではなかった。無知で野蛮だったが、無邪気でもあった。奪われた自由を取り戻そうと焦りながら、無限の可能性の前で途方に暮れていた―。オナニーをして夢精をして、恋をして喧嘩をして、時には自殺も考える。父親は女を作って家出をし、母親はそのストレスで買い物に依存する。ぼくたちはまだ何者でもない青二才として、世界に放りだされ、何とか「このぼく」を作ろうとしていた。一九七五年、元日に始まり大晦日で終わる、14歳の「ぼく」の物語。

こういうのもある。

ぼくのまわりは敵だらけだ。謎の教師が教えてくれた、世界とうまく戦うコツを。1975年正月から一年間つづられた日記。まだ何者にもなりきれない「青二才」としての存在を描く。


kimiこの「君が壊れてしまう前に」というのは、主人公の「ぼく」が、14歳だった1975年1月1日から12月31日まで綴った日記である。もちろん、日記に書かれた出来事は、いかにも都合のいいストーリーなので、「この本は、日記の形式を使った小説である」という約束を、読者は作家と取り交わすことになる。14歳の少年が背負うには重すぎる重大な出来事が次々に起こる。

14歳にして、ガールフレンドが難病で亡くなる。父親は愛人が原因なのか何なのかわからない理由で、突然家出し、また突然帰ってくる。弟は喧嘩ばかりする。ぼくはそこそこ頭がいいが、勉強する気にはならず、ゴールドベルグ変奏曲を聴いてばかりだ。

それでも、毎日は過ぎていき、確実に1976年になる。

いつも、島田雅彦の小説を読むと感じるのだが、独創的な手法で小説を書き、読者の前に提供してくれる腕前には舌をまくしかないのだが、

もっと人間存在の極限のようなテーマに取り組んでもらえないかなあ、と思うわけである。

あるいは、出版社の担当の問題なのだろうか。

またいつか、次の「島田探し」の読書をするのだろう。


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