本当に、「犬」なのか

2008-11-25 00:00:30 | 市民A
元次官殺人事件は、容疑者が警視庁に出頭するという、誰も予期しない展開になった。別の事件では、高知県で手榴弾が二発も炸裂しているのだが、警視庁そのものの警備も心配になる。

そして、容疑者は供述を始めているのだが、どうにもこうにも不審な話ばかりだ。

テレビキャスターのように冷静に分析する父親の言動も不思議だ。

毅という名前は、暗殺された「犬養毅」からとった、というのも話ができすぎていないだろうか。

10年以上、何をやっているのかわからない、と父親は言っているが、住所は知っていたらしい。生活費はどこから捻出していたのだろうか。

容疑者が言っている飼い犬が保健所に殺された、という話も、逆算すると、当時12歳か13歳。こどもと言っても幼児の年じゃないのだから、事の顛末ぐらい解るはずで、保健所を恨むのは不自然じゃないだろうか。

「犬」の話は、犯行のあと、親子で口を合わしているのではないだろうか。

つまり、逃げ切れなくなる重要な証拠を残してしまった、とか、警察の捜査が身辺に近づいてきたのがわかるようになり、作戦変更を余儀なくされ(というか想定の範囲内かもしれないが、)、極刑を免れるために、自首した上、さらに不合理な理由を主張することにより、精神的な不安定さを強調するためではないだろうか。政治テロで二人を殺したとなれば、ロープは免れないだろうから、あえて派手に警視庁の方へ出頭し、異常性を強調したのではないかと思える。


大学生の時に、高級官僚が悪いと確信したらしいが、それもよくわからない話だ。私は、多くの高級・中級官僚を知っているが、官僚たちの習性は「官僚制度」の構造が生んでいると思っていて、一人一人の官僚について考えれば、「みっともない生き方だな」と思うだけである。

案外、年金の滞納を続けていて、最近、また督促されたので切れたのかもしれない、と思っている。


そして、容疑者が実家あての手紙を郵送したのが22日の午後とすると、25日の9時過ぎには自宅に届くはずだ。信書になるのだろうか、あるいは証拠として没収されるのだろうか。


アキバの事件もそうだが、9.11事件が日本人の精神状況を過激化させたのだろうか。特に、被害妄想的人間が粗暴化する事態が多いような気がする。


後記:犬の話に戻るが、彼は「綱吉時代」みたいな犬の過保護社会を求めていたのだろうか。飼い犬を死なせたら死刑だったのだから、うかつに犬は飼えない、として犬を飼っていた家は、犬を放してしまい、江戸中が野良犬だらけになり、中野の収容所は肥大化してしまったそうだ。