知人Mの葬儀

2008-11-21 00:00:09 | 市民A
知人のM氏が都内の病院で亡くなってから、ようやく一週間。

がんである。年金受給はまだまだ先だった。

彼は、実在の私と、このブログのわたしをつないで知っている少ない一人であって、何度か「コードネームは0723」という記号でコメント欄にも登場している。

もともと、ある将棋関係のサークルのメンバーだった。わたしが主催している月例会に顔出したり休んだり。

その彼が、出席すると事前に連絡のあった月例会に突然欠席したのが、昨年の6月の末のことだった。そして、もちろん、そういうことは、よくあることだし、何も考えていなかった。

が、最初のSOSメールがくる。

(実は、メール類はほぼ残してあるが、純私的な部分もあるし、本ブログ読者にも、健康問題を抱えられている方もおられるだろうし、すべて、「意」だけを書く)

M氏:おおたさん、驚かないでください。今、貴兄のお勤めの会社のそばのA病院に入院しています。勤務中に、血圧急降下と心拍数急増で緊急入院です。循環器科にいます。・・・

書かれていた数字は大きな数字と小さな数字で、最初は大きな数字が血圧だと思っていたが、何度も読み返して、逆であることを確認。何となく別の病気による体内への出血ではないかな?と一瞬よぎる。

そして、当時、A病院から5分くらいの会社にいたので、一週間ほどして、見舞いに行く。しかし、受付で病室検索をしてもらうと、循環器ではなく消化器科にいるということ。もしか・・、

実はその頃、胃がんの権威の方の講演を聞く機会があり、その前に、かなり予習をしていた。各種胃がんの種類、進行度の段階、5年生存率。そして、それまでにさまざまな紆余曲変があった「治療法」「手術法」などの病院ごとの差に対する患者や遺族からの不満の結果、学会で統一的なマニュアルが書かれ、その進行度によりどの病院でも同様の対処が行われることになってきた、ということ。

その中で、ある種の胃がんは、発見しにくく、手遅れになりやすいことを知っていた。

遡ること15年以上だろうか。以前、小泉今日子が主演した「病院へ行こう2」という映画があった。学生の飲み会で急に倒れた彼女は病院に運び込まれるのだが、急性アル中ではなく、本格入院になる。彼女は、自分の点滴の液体の色が、他の患者と異なることから、病院の図書館の医学辞典を調べ、自分の余命が1年もないことを突き止める。(その後、新薬が開発され、ラストランの期間は半年ほど伸びたようだ。)

それが、この種の胃がんであり、カタカナの名称で呼ばれることが多いが、医師はあまり、その言葉を使いたくない。まったく告知しないこともあるだろうし、遠まわしに「性質が悪い」とか、「英語」にしたり、「未分化型」とか「○型」とか数字にしたりするらしい。

また、偶然読んでいた「キャンティ物語(野路秩嘉著)」の主人公、川添博史氏はこの病院で、がんを告知されないままだった、と書かれていた。伝記「星新一(最相葉月著)」では、星新一はこの病院で「星さんは作家だから、知っていた方がいいと思って・・」と告知されている。二人とも、もっと回復率の高い普通のがんだった。


ところが、見舞いに出向いた時、彼はベッドにいなかったわけだ。ちょっと、逃走して会社に行っていたらしい。しかたなく、枕元にお見舞いを置こうとして、思わず薬袋の山に圧倒される。袋の中を覗こうかと思ったが、怖くてやめた。当時、ZARDの坂井泉水さんが亡くなったりして、気分も最低だった。病室を出ようとしたところ、主治医らしい医師が彼を探していた。何か、重要な話があるのに、いないのは困る、と言う切迫感があった。

数日後、「消化器に移ったのですね」と携帯に打診メールを入れると、しばらくして、

M氏:おおたさんの推測通り、胃がんだそうです。しばらく入院します。・・

別に、私は何も推測をメールに書いたことはないのだが、彼からのメールには、医師に対する不信感が並べられていて、医師の氏名と言われたこと、飲んでいる薬の種類が記され、どういう経歴の医師で、どういう種類の薬か調べてほしい、というような内容だった。ごく普通のステージⅠとかⅡとかいう程度の心の余裕が感じられた。

こういう言い方も何なのだが、彼とわたしの接点である将棋では、わたしは上品な棋風ではなく、いわば、町の賭将棋屋のような筋悪である(筋悪の裏には筋も知っているのだが)。さらに、彼は名の通った健康関連企業の重役だった(生活はまさに不健康だったが)。自分の方がやや身分が上だと思っていたのではないだろうか。亡くなる直前も将棋関係の週刊誌が読みたいから、毎週発売日に届けてほしい、と大役を言われていたが、最後の入院後、届けたのは、僅か1回という急だったのである。

そして、彼からのメール質問を調べると、わたしの想像した、かなり運の悪いケースではないかと思えるのである。一本取られたのかな、という感じだ。嘘をつくのは嫌だから、「素人に聞いてもしかたないでしょう」と書いたり、あれこれと本人にとって無毒のことばに消毒してからメールで返す。

実際、彼がそのケースだったのか断定はできないが、共通の知人である医師も、聞き集めた話を総合すると「たぶん、そうだろう。私なら手術しないかもしれない」との見解である。結局、最後まで事の重大性は本人にははっきり言われなかったのは確かだ。観念して親族に泣きを入れたのは、人生終焉の直前だったそうだ。

その後、抗がん剤で病状が抑制されたある瞬間に、胃全摘手術が執刀されるのだが、本人は胃袋一つ無くなるだけで、友人たちに大騒ぎをする弱虫ぶりを発揮する。結局、彼の友人である医師の一人が背中を押して手術室に押し込む。担当医もこれじゃ、あまり言えないだろうなあ。

最後の入院の時にも、入院直後には、

M氏:転移もないのに入院です。

その5日後には、

M氏:転移と言われました。これから放射線です。


まったく、告知というのは難しい問題だ。私が肉親の一人を、広義のがんの一種である難病で失くした時は、それに先立つ数年前に、ある大学病院の若い担当医から、こういわれた。

「残念ですが、現代の医学では、これ以上のことはわかりません。医学の道にいるものとして、大変申し訳ないと思っています。」

仕方がないなあ、と諦めの気分になったのは、若い医師の苦しいレトリックだったのだろうか。よくわからない。


ところで、わたしは、多くの患者さんが、告知を受けたあと、自分の生きがいをブログに書きつづっている世界があることを知ることになる。そして、それらの多くには、同病の方が集まってきて、相互にリアルの付き合いが始まったりする。僅かな時間に、やり残したことに挑戦したり、残る余命を延ばすために、自分でプランを立てられている。いくつかの薬も長く使うと効果が薄れ、副作用も現れ、次の薬を使うことになり、運がよければ切除したり放射線を使ったり、最後は緩和ケアで合計何年とか思い描く。

そして、ブログは宙に浮かんだまま中断し、また別の方々が必死に自分を書き綴るのである。読んでいると、悲しさもあるのだが、人間って力強く尊厳だということを改めて感じる。たぶん、わたしだって、もしその時が来れば、ブログを書いているかどうかはわからないが、「弱気」にはならないと思う。人間にとって「生きながらえる」というのは、非常に重要な(二番目に?)ミッションと思っているからだ。


・・・

彼の実家のある地方都市の葬儀場へ、高速道路で急いでいると、「そういえば、数年前、彼を乗せたとき、運転席の後ろに座っていた」と思い出す。背後霊。怖くなり、スピードをぐっと押さえると、とたんに滝のような雨が降ってきた。


今でも、携帯でメールを送ろうと書き始めると、「マ行」になると、彼の名前が自動学習機能のある辞書の一番上に現れたり、往復メールに何度も登場した「放射線」という単語が出没したりする。大量の受信メールも、どうしたものだろうか。