警察博物館をのぞく

2008-11-30 00:00:37 | 美術館・博物館・工芸品
東京の京橋にある「警察博物館」をのぞいてみる。特にここをめざして行ったわけじゃなく、近くに用があって、目の前にこの建物があった。前にも一度入ったことがあるが、実は、少し前に見たあるテレビ番組の中で気になったところがあって、この建物の前で、「あっ、もしかしたら」とひらめいたわけだ。



ところで、この建物は見るからに元警察署だ。昔、引っ張り込まれたことがある人もいるだろう。さすがに現代の巨大警察署から言えば狭すぎる。1階は、オートバイやヘリなどの展示が中心。そして、2階が日本の警察の歴史をかいつまんで紹介するコーナー。

しかし、前回立ち寄った時には気が付かなかったのだが、この「警察博物館」は、「大日本帝国警察権力史展示場」というものではなく、あくまでも「警視庁博物館」なのである。つまり、東京都の警察。何が言いたいか、というと、ここには「特高」関係の資料はない、ということ。裏を読むと、警察博物館の中から特高の記述をはずすために、「警視庁」にしぼったのかもしれない。

ただし、全国の警察の中でも警視庁は別格だ。ポリス・オブ・ポリス。酒飲みの片隅にも置けないアナーキーな交通課長が、他県の県警に捕まっても、すぐに釈放だ。隣の県の殺人犯が投降(いや自首)してきても、なかなか県警には引き渡さない。


さて、警察のない国はたぶんないだろう。政治学の範疇だが、夜警国家論というのもあって、国家のはじまりは警察だ、という論まであるくらいだ。明治になって、薩長政府は警察制度の研究(といっても海外視察)を始める。そして、日本の警察の父と言われるのが、川路利良(1834-1879)。薩摩出身で、明治6年欧州視察の翌年、明治7年1月15日、初代の大警視となる。

現代の警察に残るシステムとの関係から見ると、この明治7年の警察開署の直後、7ヵ月後に「警察手帳」の制度ができた。ニセ警官詐欺とかあったのだろうか。ところが、川路が見てきた理想の警察論もいきなり大崩れになるできごとが始まる。明治10年に勃発した「西南の役」。同郷の大先輩、西郷隆盛の起こした日本史最後の内戦(あくまでも列島大四島に限れば、最後の市街戦でもある)に警察も狩り出される。

「そんなハズじゃないよ、軍の仕事だろ」って川路は言いたかっただろう。

そして、内戦は終結し、明治12年、45歳で亡くなる。

警察犬が導入されたのが大正元年。大正7年に「赤バイ」が登場。昭和11年に「赤バイ」は「白バイ」に変わる。「赤」に対する取締りが激化する頃だ。

戦後、昭和21年には、拳銃の使用が許可され、昭和25年には拳銃所持が始まる。


さて、博物館の3階が、建物の前で感じた目的の場所。ここには、殉職者のうち数十人の情報が公開されている。大事件の犠牲者、犯人逮捕の格闘中に殉職された方や、爆破物捜索中に犠牲になったり、暴走車に突っ込まれたりと、・・。

先日、某局で、昭和34年4月10日の皇太子(現平成天皇)ご成婚のパレードが特集されていた。騎馬隊の最後部を締めていたある警察官に焦点があてられていた。乗馬していた馬が暴れ始めた時、わざと馬を転倒させ、大混乱による惨事を防いだと紹介されていた。最後部の馬が暴走すると、パニックが全馬列に及ぶことが予想されていたそうだ。

そして、その警官は、後に殉職された、と特集では深く紹介されなかったのだが、少し気になったのである。何も隠すような話には思えないからだ。

しかし、残念ながら、まったくの準備不足で、氏名を覚えていないのだから、無理というもの。まあ、今回は、いろいろと「警官の殉職」ということに一般的な思いをめぐらすこととした。殉職者の警察手帳などぼんやりとながめていたら、フロアの係の婦警さんに殉職者の家族かと誤解されてしまい、直立不動にさせてしまった。

館内の表示では、警視庁の歴史では、殉職者の人数は1,688名。うち、918名が前述の「西南の役」。関東大震災、95名。東京大空襲、195名。その他、480名。


最上階の4階は、特殊犯罪のコーナー。薬物のことなど詳しいのだが。いいのだろうか。「植えていいケシの花」と「植えてはいけないケシの花」なんて、一般人は知らない方がいいのではないだろうか。目に入ってしまったわけだ。時節柄、詳しく書かないけど。


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2 コメント

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失礼します (SAMU)
2008-11-29 22:23:49
警察や軍隊は、国家権力を護るものだと思います。国民を護るなど、ウソですね。

http://blog.goo.ne.jp/samu_one
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Unknown (おおた 葉一郎)
2008-11-30 21:16:10
SAMUさん、
軍や警察は、「民主主義」より前から存在していたのですから(アテネはちょっと違うかもしれませんが)、国民を守る前に国家を守るというか、国家の主権者(帝国主義なら帝、全体主義ならナチスやスターリン)を守る目的だったわけですね。
そういう歴史を理解して、そうならないように努力するべきでしょうね。
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