(承前)
また金田一京助といふ方には、「へ」と「に」の使ひ方に獨特の癖がある。
「なるたけそれへ合せさしている」
「世間へ發表する」
「二三の新聞へ目を馳せて」
「相手へ心を伝える」
などは「に」とすべきだ。このことに關しては、金田一の友人である太田行藏が的確に註してゐるので、引用する。
「君には『に』と『へ』の区別ができない。君の文を見ると『石川君へ話した』『相手へ話した』などという例がいくらでも出てくる『どこへ行くか』と『どこに行くか』とでは感じがちがう。すこし気のきいた国語の教師のいる学校なら中学一年生でも卒業している問題の一つじゃないか。この『に』と『へ』との区別のできないような言語感覚の持主たちが集まって、助詞の『へ』は『え』でよいなどというオキテを作ろうとしている日本の現状は、その点だけではまさに無知――無恥、何とも言いようのないなさけなさだ」。
(太田行藏『日本語を愛する人に』)
誤解しないでもらひたいのは、今日でも助詞の「へ」を「に」に變へる愚は起きてゐない。ただ、さういふ話があつたといふことは知らなければならないし、それを主導した本人の「へ」と「に」の使ひ方に混亂が見られ、さういふ國語觀から主張されたものであるといふことは更に知らなければならないことである。太田の主張は『日本語を愛する人に』といふ本に書かれてゐるが、これが決して『日本語を愛する人へ』ではなかつた。
これを補足すれば、「日本語を愛する人□向けたエッセイ」とした場合、□の中にどういふ助詞を入れるだらうか。「へ」でも意味は通じる、だから「へ」でも「に」でも良いではないか、といふのであれば、子供の理屈である。歌人であつた太田には我慢のならない言葉遣ひだつたのだらう。ひらがな一字を變へるといふのは、さういふことである。食べやすいやうに(死んだ)魚の骨を取るやうに、生きた魚の骨を一本でも拔けば死んでしまふのである。言葉が生きてゐるとはさういふことである。
閑話休題。『知性』昭和三十年十二月號に掲載された「かなづかい問題について」である。金田一は、福田恆存の反論にたいして、二つの「不満」を述べるのであるが、これがまた實に執念深く、じくじくとして陰濕である。以前にその慇懃無禮さを指摘したが、ここでの印象も同樣で、とても學者の文章とは思へないほど品の無さを感じる。言つてよければ、幼稚なのである。
まづは、「第一の不満」を解消するために、金田一は六つの質問を投げかける。長いが引用する。
一 英語には、古代英語(アングロサクソン)、中世英語、近代英語とあって、現代人の毎日書いたり読んだりしている実用の英語は、その中の近代英語であることを認めますか、認めませんか。
二 旧かなづかいは、紫式部や清少納言たち、今から千年前の人たちが、その頃の発音に基づいて書き下ろした綴り方であることを認めますか、認めませんか。
三 千年前の綴りというと、英語なら、古代英語アングロサクソンの綴りにあたることを認めますか、認めませんか。(以下次號)