(承前)
ここからは私の推測であるが、「發音に從ふ」――それで良いではないか、それ以上の考へを御持ちでないから、具體的に歴史的假名遣ひを議論の俎上に載せられないのである。文學の徒において、言葉は生命であらう。少なくともそれによつて自らを形造らうとする道具ではあるはずだ。その道具に對して具體的に論じる道を閉ざして、相手の態度のせいにして、「私は答えない」といふのは、「賢明」ではない。福田のレトリックが嫌だといふのなら、そんなものに構はず堂堂と主張を開陳すれば良い。評價を下すのは、論爭相手だけではなく、讀者でもあるはずだ。いかにも主義があるかのやうな書き振りで、論爭をしかけておきながら、レトリックが氣に入らないからやめるといふのはあまりにも逃げ口上である。讀者はこれでは試合抛棄と見て、福田恆存の勝ちと見る。實際、兩者の文章を讀むと、桑原の主張には全く分がない。いかにも近代主義者らしく、能率だけを考へる桑原の主張は、「歴史的」意味はあつても(日本近代史思想史の流れを理解する上で)、現代的意味はない。流行思想でしかなかつたことは、皮肉にも歴史が證明してゐるわけだ。讀者の皆さんにも、この「私は答えない」の全文を讀んでもらひたい。破廉恥振りを直に知つて欲しいからだ。しかしながら、この文章はどうやら全集にも輯録はされてゐないやうだ。桑原にもその程度の羞恥心はあるのならしい。
掲載誌の『知性』は、もはや手に入らないだらう。可能性としては、これもかなり低いが、文藝春秋新社から出た『この人々』(昭和三十三年三月)を古書點で探してもらふしかない。私もまたそれで讀んだ。
ここで、再び金田一の反論を讀んでみよう。
『知性』昭和三十年十二月號に掲載された「かなづかい問題について」である。
金田一は福田恆存の主張に二つの不滿があると言ふ。一つは、福田が「現代かなづかい」の國語史上の學的論據、妥當性、必要性について「ちっともそこを衝いては来られないこと」である。二つは、「現代かなづかいは表音的かなづかいではない」と金田一は言つてゐないのに、それを前提として福田の反論が組立てられてゐるといふことである。金田一はかう書いてゐる。
「無論、かな文字は表音文字だから、語音を書いて行く。けれど音にばかり忠実に書くと、目に抵抗が多くて、大衆が付いて来れない――実行がむずかしい。机上の空論になってしまう。そこを考慮して、実行可能な案とするために、表音に徹せずに、適当に旧いかなづかいをも取り込むのが実際的な案である。」
もうこの段階で言ひたいことがたくさんある。一つだけでとどめておく。それはいはゆる「ら拔き言葉」である。「来れない」といふ言ひ方である。すぐその前で引用した時には「来られない」としてゐたのに、ほんの數頁後では「ら」を拔いて平氣でゐる。ここ以外にも、この論文には「ら拔」が散見される。
その他、言葉遣ひは隨分ぞんざいで、小泉信三氏にたいしての慇懃ぶりとは對照的である。人によつてかうも文章の書きぶりを變へるといふのもあまり良い印象はない。