梶井基次郎全集 全1巻 (ちくま文庫) 価格:¥ 924(税込) 発売日:1986-08 |
前前から、讀まう讀まうと思つてそのままになつてゐた『梶井基次郎選集 全一卷』(大和書房。「ちくま文庫」はこれを基にしたものか)を手にした。「檸檬」は學生時代に讀んでゐたし、「城のある町にて」は何年か前、その舞臺である三重縣の松阪に宣長の舊居を見に行つたをり、旅館で讀んだ。そこで、今囘は「のんきな患者」を讀んでみた。大阪の庶民の話であつた。「吉田は肺が惡い。寒になつて少し寒い日が來たと思つたら、すぐ翌日から高い熱を出してひどい咳になつてしまつた」で始まる。病氣の苦しみを抱へながら、しかも逃げることもできずに、「附合ふ」といふことは、貧しさから逃れられない人人の生き方のメタファーであるのだらうか。今の年金問題の悠長な「嘆き」とは全然質の違ふものを感じた。冷靜なのである。熱くなつてゐない。怒りを示すのでもなく、苦しみを宣傳するのでもない。すごいな、そんな感じがした。しかし、これがかつての人はすばらしかつたといふことを意味するのかと言へば、さうでもない。「のんきな」だけである。「貧すれば鈍す」といふことなのかもしれない。ただ、「衣食足りて禮節を知る」――私たちの社會に足りないものはそれだらう。
最後は、かういふ文章で終はる。
自分の不如意や病氣の苦しみに力強く堪へてゆくことの出來る人間もあれば、そのいづれにも堪へることの出來ない人間も隨分多いにちがひない。しかし病氣といふものは決して學校の行軍のやうに弱いそれに堪へることの出來ない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱蟲でもみんな同列にならばして嫌應なしに引摺つてゆく――といふことであつた。
「のんきな患者」とは、かういふことを知りながらじつとしてゐられる人のことなのか。
昭和七(1932)年『中央公論』に發表。原稿料をもらつた最初の小説である。