「福田恆存を語る」講演会
本年の講師には、第54回芥川賞受賞作家の高井有一氏をお迎えします。
高井氏は、福田先生の国語問題の継承者の一人であり、また「キティ台風」をはじめとする福田演劇の熱心な観客でもあります。
今回は、作家・高井有一氏を通し、福田恆存の神髄に迫ります。
奮って御参加下さい。
日時 平成18年11月18日(土)午後3時開演(開場は30分前)
会場 科学技術館6階第三会議室(地下鉄東西線 竹橋駅下車歩7分)
講師 高井有一
演題 「福田恆存といふ人」
参加費 1,500円
<私は、(先生の)体罰が蔓延してゐるらしい現在の学校教育に(平成四年頃)、・・・・>
「らしい」と逃げても、[蔓延」が私(太田)には、実感できません。氏の不確かな、恣意的、思ひ込みではないでせうか。
<この数字(平成四年、氏が中国旅行で訪れた「侵華日軍南京大遇難同胞紀念館」の入口に標示された虐殺の人数30万)はすらりと呑込み難い気がするものの、紀念館の庭に、各地区別の殉難者を悼む碑が散在するのを見れば、"大虐殺”の存在自体は疑へない。>
殉難者を悼む碑があれば、大虐殺はあつたと言へると。理由として安易すぎないか。
論拠の曖昧な文章を書く人だと思ひます。
講演會の樣子、ありがたうございました。行かうか行くまいか迷ひつつ、結局行けませんでしたので、かうした御話はうれしく存じます。福田恆存が演劇に情熱を燃やしたことに否定的といふのは、他にやるべきことをやつて欲しかつたといふことなのでせうか。それても、演出はともかく劇團經營は止めた方が良かつたといふことなのでせうか。もしよろしければ、お教へください。
なほ、質疑應答で面白い御話があればお聞かせください。
わがままなお願ひですが。
(イ)<私は、戦争が生み出す人間の劇に執着し、戦争がなくなったら文学は滅びるという説をほとんど本気で信じている。>(「戦争への執着」・朝日新聞・平成五年十一月二十六日)
(ロ)<古今の文学が戦争から実にたくさんの血を吸つて育つた事は、自明と言つていい。だがその反面、文学なんか滅びてしまつても、戦争はない方がいい、といふ立場だつて充分ある筈である。>(『昭和の歌 私の昭和』・平成八年)
前者(イ)は、戦争が生み出す人間の劇(文学)に執着するのであるから、文学が滅びてよいとは思つてゐないはずである。文学が滅びてよくないなら、杓子定規の戦争否定論に同意できないといふ理屈になる。
戦争アレルギーによる戦争忌嫌の単眼的な見方への反語であらう。
かたや後者(ロ)の主張は、一見同じやうで全く反対の方向を向いている。文学などどうでもよい。戦争が生み出す人間の劇(文学)などなくてもかまはない。戦争さへないならば。
前者(イ)では、「ほとんど本気で信じてゐる」と言はしめる程、文学に執着し、その肥しにもなる戦争から目をそむけまいとし、後者(ロ)は、戦争さへないなら文学などどうでもよいと。単純な戦争否定。
まとめてみる。
<文学に執着する(前者)と文学に執着しない(後者)>
<戦争アレルギーへの反語(前者)と戦争忌避(後者)>
同一の作者が平気で反対の主張をする。かういふのを"二枚舌”といふのではないでせうか。
前者は、[文章の機鋒」を狙い過ぎて、高井氏にとつては、予期せぬ「正論」になつてしまつたのかもしれません。{<いつもさうなのだが、私は、福田(恆存)氏の論稿を読みながら、文章の機鋒に打たれ続けてゐた。/それ(機鋒)があるために長い間、私は福田氏の書くものに親しんで来たのだといふ気がする。>(「なぜ旧かなを・・・・・」・『新潮』・昭和六十二年・九月号)}
「ほとんど」ではなく[半ば以上」の方の[機鋒ねらひ」の類似の文章に、こんなのがあります。
<小説は土地が書かせて呉れるものだと、半ば以上本気で信じてゐるのである。>(『作家の生き死』・平成九年)
人間の劇に目を凝らし続ける作者(高井氏)であるのだから、どうせなら、中国のチベツト侵略も付け加へてくれるとよいのにと思ひます。昭和二十四年から昭和五十四年にかけての中国の残虐な行為によつて、おびただしい数のチベツト人の犠牲に対して、
"反中国愛国教育に鋭く感応するだけの民族的体験がチベツトの人たちにある事を忘れてはなるまい”と。
それはさておき、高井氏の文章を読んで引つ掛かるのが、「A」を主張するのに、「反A」を前に置いておくことです。偏りのないこと、一面的でないこと、目配りのきいた平衡感覚のつもりでせうが、私には、「反A」は「A」の主張の通りをよくさせるための、見せ掛けの平衡感覚、カムフラージユ、ずるい保険に見えます。
当時の新聞では、「散るぞ悲しき」ではなく「散るぞ口惜し」と変へられて発表されたといふ。(梯久美子・『散るぞ悲しき』・硫黄島指揮官栗林忠道・平成十七年)
<(国運を賭けた戦争のさなかにあつて)死んでゆく兵士たちを「悲しき」とうたうことが(許されない事であり)、指揮官にとってどれ程大きなタブーであったか・・・・いたずらに将兵を死地に追いやった軍中枢部へのぎりぎりの抗議ともいうべきこの歌>(同上)と書かれてゐる。
梯氏の見方に賛成である。
「散るぞ悲しき」のことばに込められた思ひは、高井氏の述べる「従容と死に赴いたと誇示したがる」姿勢とは無縁だつたと思ふ。
私は、高井有一氏の文章に對してコメントするほど讀んでもをりませんが、このブログの制作者である立場から、一言コメントを書きます。
戰爭否定と肯定との兩者の立場から書いてゐるといふ矛盾についてですが、高井氏個人としては戰爭を肯定するが、否定する人がゐても良い、といふことではないでせうか。
もちろん、戰爭といふものが人間存在のあり方そのものにかかはつてくるものでありますから、戰爭否定論を高井氏は否定するとは思ひますが、戰爭肯定論を信じるかどうかは、個人の問題である、さういふところで書いてゐるのだと思ひます。
話は適切ではないかもしれませんが、信じるか信じないかといふレベルでは信仰を取上げてみれば明解でせう。
ある人は神を信じてゐる。したがつて、神を信じるといふことが人間の本來的な生き方である。ところが、現實には神を信じない人もゐる。そのことは認める。もつとも、信じない人を信じるやうに傳道するといふ道もある。それは宗教的な生き方(宣教師、傳道師)である。
文學は、人を説得したり傳道したりすることが目的ではないので、信じない人には「私は信じる」と言ふだけで充分である。さういふ考へで書いてゐるのが、高井氏ではないかと思ひます。
「悲し」と「口惜し」との違ひについては、太田樣の御考へに贊同します。
乞ふ御批判
「戦争を肯定するが、否定する人がゐても良い」(A)
「戦争を否定するが、肯定する人がゐても良い」(B)
AでもBでも、どちらの人がゐても、私はかまはないと思ひます。高井氏は、A、B両方を一緒に主張してゐるから、矛盾してゐるのではないかと述べたのです。
もつと解り易く言ひます。
「高井有一は、最高の文学者である。」
「高井有一は、最低の文学者である。」
といふ事を、同時に主張するから、矛盾してゐると指摘したのです。
再度、私見を述べます。まだ私は理解出來てゐないやうです。
もう一度、太田さんが引用した文章を載せます。
(イ)<私は、戦争が生み出す人間の劇に執着し、戦争がなくなったら文学は滅びるという説をほとんど本気で信じている。>(「戦争への執着」・朝日新聞・平成五年十一月二十六日)
(ロ)<古今の文学が戦争から実にたくさんの血を吸つて育つた事は、自明と言つていい。だがその反面、文学なんか滅びてしまつても、戦争はない方がいい、といふ立場だつて充分ある筈である。>(『昭和の歌 私の昭和』・平成八年)
(イ)の主語は、高井氏で、(ロ)は「充分ある筈」と考へてゐるのは、高井氏ですが、「戰爭はない方がいい」と考へてゐる主語は、必ずしも高井氏ではないでせう。もちろん、「自明」であるのなら、「といふ立場だつて充分ある筈」はないので、そこには矛盾がありますが、高井氏の戰爭觀そのものの矛盾ではないやうに考へます。いかがでせうか。