言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語117

2006年11月13日 07時03分10秒 | 福田恆存

 前囘見た石川九楊氏の發言中、「政治文字が決定づけた」といふのは、それが古代ならばさうだとも言へよう。つまり、「秦始皇帝が統一し、制定した篆書体という政治文字」なら、文字が「文明、文化」を「決定づけた」とは、言へるだらう。しかし、その當時の關係が(始皇帝による支配が)今もつづいてゐるといふ發想には、度を越えた飛躍がある。もちろん、氏は東洋の言葉は、書字中心言語で、書くことにその本質があるとし、それにたいして西洋の言語は、聲中心言語で、話すことにその本質があるという性質が「決定づけられた」と言ひたいのであらう。しかし、その結論を出すには、より精緻な分析が必要である。

 文字といふものに過大な評價を與へてゐるからである。明らかに中國語の文法と日本語の文法とは違つてゐるではないか。文法とは、書き言葉によつて生まれたものではなく、文字が生まれる以前の話し言葉の中にすでにあつたものである。

 たとへば、現代中國語の「我是學生」と日本語の「我は學生です」とは、「我」や「學生」といふ言葉は同じであり、「我」「學生」といふ単語の順序は同じで、日本語は中國語の壓倒的な影響力の下にあると言へなくもない。が、「我は學生である」「我は學生ではない」、あるいは同じやうに「この花は美しい」「この花は美しくない」、「問題を考へる」「問題を考へない」など、日本語の文意の決定は文末でなされるといふ常識を思ひ出せば(中國語は英語と同じで、動詞の前に否定語をつける)、中國語とはまつたく隔絶したところにある言語であるといふことになるではないか。壓倒的な影響力は、漢字の文字においてはあつても、文の構成においてあるとは到底言へない。

 また、石川氏は、アジアといふ言葉で一括りして論じる癖があるが、それも中國語を重視するゆゑの誤謬である。アジアといふ地域は、一括りできるものではない。次の文をお讀みいただきたい。

「何よりも明白なのは、日本人の生活と支那人のそれとがすべての點に於いて違つてゐる、といふことである。家族制度も社會組織も政治形態も又は風俗も習慣も、日本人と支那人とに共通なものは殆ど無いといつてよい。道徳や趣味や又は生活の氣分といふやうなものが全く違つてゐることは、いふまでもなからう。日本人と支那人との間に意志の疏通を缺くことが多く、互に他を知ることが困難であつて感情の疎隔が生じがちであり、國交が常に紛糾してゐるのも、その根本はこゝにある。これは民族が違ひ、生活の地盤もしくは環境としての地理的形態や風土が違ひ、さうしてまた全く違つた別々の歴史を有つてゐるからのことである。民族の違ふことは言語が全く違つてゐる一事から見ても明白であつて、それはむしろ人種の違ひといふべきである。」

                   津田左右吉『支那思想と日本』一五二頁

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