一「國語問題」といふこと
「それを使ふことによつて、ますます譯が解らなくなり、ただ自他を苦しめるだけで、一向、誰の得にもならぬ言葉といふものがある。私たちはもう少し自分の身についた言葉で喋るやうになれないものか。」 福田恆存『批評家の手帖』二二
この作品は、昭和三十四(一九五四)年に「新潮」に十囘に亙つて掲載されたもので(ただし、連載時には、「言葉」のことばかりではなく、「人生のこと、社會のこと、その他いろいろな問題に觸れて」ゐたが、出版時には削られた)、「言葉の機能に關する文學的考察」と副題がつけられてゐる(副題といふよりも、表紙一面にはこの文字が裝丁されてをり、「批評家の手帖」といふ字句の大きさは、副題の一文字分である。ただし、後年出版された『福田恆存全集』(文藝春秋刊)の著者目録には、この副題はなく、晩年にはその考察に不足を感じたのかもしれない)が、まとまつた論考ではなく、斷想である。本書の出版された經緯については、後書で書かれてゐるが、言語學者の河野與一を圍んで、中村光夫の肝煎りで始つた勉強會で啓發されたものが多かつたやうである。もちろん、劇作家の面目躍如で、人生を演劇として捉へ、言葉を臺詞として考へるといふ構へは、本書全体に通底してゐる。
冒頭に、なぜこの言葉を引用したのか、それは最後までお讀みいただいて、自然にお分かりいただくといふのが本來であるが、はじめにあつさりとお傳へしてしまへば、西洋發の言語學といふ學問形式によつて私たちの國語を捉へた「國語學」が、じつは國語を破壞してしまつたといふことを暗示したかつたからである。「それを使ふことによつて、ますます譯が解らなくなり、ただ自他を苦しめるだけで、一向、誰の得にもならぬ言葉といふものがある」といふのは、日本近代のあらゆる場面で見られるものであるが、「科學としての國語學」が、精神の軸ともいふべき言葉の傳統を斷絶させたといふ意味で、これほど「自他を苦しめる」ものはない。國語の音韻を音素に分解し、表音化することをもつて國語の近代化(西洋出自の言語學として國語學を成立させようとしたこと)を達成しようとしたのは、西洋化への「適應異状」「過剩適應」である。言葉は、言語學などといふ學問が成立する以前からあつたといふ單純な事實を忘れ、わざわざ狹い「言語學」といふ枠から言葉を見ようとする愚を犯してしまつたのである。
そしてなほ恐ろしいことに、このことをもはや私たちは自覺しないやうになつてしまつたのである。「國語の破壞」などといふことを言つても、分かる人の方が少ないだらう。理解できないほどに、國語の命脈は斷たれてしまつたのである。
そこで、かうした現状を指摘し續けた福田恆存の言説と行爲とを囘想しつつ、「言葉を救ひ、宿命としての國語」を考へていかうと思ふのである。福田恆存が、「假名遣ひ」になぜあれほど心をくだいたのか、その内實に迫ることができればと思ふ。「思ふ」でも「思う」でも、どうでも良いではないか、さう思ふ人が多數を占めてゐたとしても「思ふ」が正統であることを主張し續けた、やむにやまれぬ思ひを探つていきたい。
言葉は、通じれば良いのか――皆さんにも、考へてもらひたい問題である。
「それを使ふことによつて、ますます譯が解らなくなり、ただ自他を苦しめるだけで、一向、誰の得にもならぬ言葉といふものがある。私たちはもう少し自分の身についた言葉で喋るやうになれないものか。」 福田恆存『批評家の手帖』二二
この作品は、昭和三十四(一九五四)年に「新潮」に十囘に亙つて掲載されたもので(ただし、連載時には、「言葉」のことばかりではなく、「人生のこと、社會のこと、その他いろいろな問題に觸れて」ゐたが、出版時には削られた)、「言葉の機能に關する文學的考察」と副題がつけられてゐる(副題といふよりも、表紙一面にはこの文字が裝丁されてをり、「批評家の手帖」といふ字句の大きさは、副題の一文字分である。ただし、後年出版された『福田恆存全集』(文藝春秋刊)の著者目録には、この副題はなく、晩年にはその考察に不足を感じたのかもしれない)が、まとまつた論考ではなく、斷想である。本書の出版された經緯については、後書で書かれてゐるが、言語學者の河野與一を圍んで、中村光夫の肝煎りで始つた勉強會で啓發されたものが多かつたやうである。もちろん、劇作家の面目躍如で、人生を演劇として捉へ、言葉を臺詞として考へるといふ構へは、本書全体に通底してゐる。
冒頭に、なぜこの言葉を引用したのか、それは最後までお讀みいただいて、自然にお分かりいただくといふのが本來であるが、はじめにあつさりとお傳へしてしまへば、西洋發の言語學といふ學問形式によつて私たちの國語を捉へた「國語學」が、じつは國語を破壞してしまつたといふことを暗示したかつたからである。「それを使ふことによつて、ますます譯が解らなくなり、ただ自他を苦しめるだけで、一向、誰の得にもならぬ言葉といふものがある」といふのは、日本近代のあらゆる場面で見られるものであるが、「科學としての國語學」が、精神の軸ともいふべき言葉の傳統を斷絶させたといふ意味で、これほど「自他を苦しめる」ものはない。國語の音韻を音素に分解し、表音化することをもつて國語の近代化(西洋出自の言語學として國語學を成立させようとしたこと)を達成しようとしたのは、西洋化への「適應異状」「過剩適應」である。言葉は、言語學などといふ學問が成立する以前からあつたといふ單純な事實を忘れ、わざわざ狹い「言語學」といふ枠から言葉を見ようとする愚を犯してしまつたのである。
そしてなほ恐ろしいことに、このことをもはや私たちは自覺しないやうになつてしまつたのである。「國語の破壞」などといふことを言つても、分かる人の方が少ないだらう。理解できないほどに、國語の命脈は斷たれてしまつたのである。
そこで、かうした現状を指摘し續けた福田恆存の言説と行爲とを囘想しつつ、「言葉を救ひ、宿命としての國語」を考へていかうと思ふのである。福田恆存が、「假名遣ひ」になぜあれほど心をくだいたのか、その内實に迫ることができればと思ふ。「思ふ」でも「思う」でも、どうでも良いではないか、さう思ふ人が多數を占めてゐたとしても「思ふ」が正統であることを主張し續けた、やむにやまれぬ思ひを探つていきたい。
言葉は、通じれば良いのか――皆さんにも、考へてもらひたい問題である。
引用してゐた「私たちはもう少し自分の身についた言葉で喋るやうになれないものか。」との言葉、改めてその通りと思つたしだい。そのことが出来てゐるかと言へば、心もとないですが、心掛けてはゐるつもりです。昨今の言葉で言へば「非認知能力の開発」などと語つたり、書いたりしてしまふのですが……