言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

深田 匠『安倍晋三元総理 追悼論』出来

2022年12月22日 09時51分05秒 | 評論・評伝
 
 高木書房の斎藤信二社長よりお送りいただいた。
 斎藤さんが、案内書にかう書かれてゐた。
「安倍元総理が暗殺された後、マスコミや左派野党がテロリストの思惑通りにテロ目的の完遂に『協力』し、いわゆる『魔女狩り』に狂奔して延々と統一教会と保守政治家の取るに足らない些細な接点を大げさに騒ぎ立て、テロリストをまるで『被害者』であるかのように擁護し、殺害された被害者である安倍氏を『加害者』の自業自得であるかのように貶める悪質な印象操作が執拗に行われています。」

 私もまたこの認識と同じくする者である。今年起きたマスコミの報道は「テロ」であり、ひたすら視聴率を上げるために煽り続けてゐた。そしてそのテロリストとテロリスト擁護者の口車に載せられた大衆は自覚なき共犯者である。
 かつて評論家の適菜収が明らかにしたところによれば、小泉純一郎を支持する人を「B層」と言ひ、彼等は「具体的なことは分からないが、小泉のキャラクターを支持する」のだと言ふ。これは2004年に自民党が広告会社に作らせた「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」といふ企画書に書かれてゐるらしい。このB層こそ、日本の大衆の原像である。
 自己を律するもう一つ上の価値を持つわけでもなく、あらゆる価値とは関係なく自分の腹で物事を考へるわけでもない。あるいは、大衆の原像とは無縁に冷笑的に社会を見つめるわけでもない。まさに大衆である。さういふ人が左翼マスコミに乗せられて、テロリストを擁護する言論に加担してしまつた。それも無自覚に。

 7・8事件は、戦後の傑出した政治家の暗殺事件である。そのことに焦点をあて、安倍氏を追悼したのが本書である。本来、かうした出版にこそ国民は目を向けるべきであらう。政治家を揶揄し、その言動を非難することが知的で教養のある人間であると錯覚してゐる。しかし彼等は知的であるが愚か者である。その貧しい「賢人」やマスコミ言論に一矢報いる書である。
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 時事評論石川 2022年12月20... | トップ | 適菜収『バカを治す』を読む »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿