言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『オデッセイ』を観る。

2017年09月13日 15時30分08秒 | 日記
オデッセイ [Blu-ray]
マット・デイモン,ジェシカ・チャステイン,クリステン・ウィグ,キウェテル・イジョフォー,ジェフ・ダニエルズ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

 ふとしたきつかけで『オデッセイ』を観ることになつた。

 アメリカ映画。不慮の事故で火星に一人取り残された仲間を再び地球に帰還させるといふ話。

 死んだと思つてゐた仲間が生きてゐたといふことを知る。船長はその仲間が死んだはずだと判断して火星を脱出した。しかし、生きてゐたことを知る。そこでの心理的葛藤がある。

 そして、その生き残つた宇宙飛行士は、たまたま植物学者であつたので、火星基地内を緑地化し(水や肥料の作り方も映画では描かれてゐる)ジャガイモの栽培に成功する。定義によれば「外地に植物を栽培することを以て植民地の開始」とするやうである。したがつて彼は火星の植民地化を行つた人物といふことになる。

 もちろん、映画はそのあといくつかのドラマを用意し、観客を飽きさせない。科学的な知見のない私にはその当否はあまり関心がない。しかし、アメリカ人のこの横溢する危機意識と、それを救済するに際しての知の総合力、レヴィストロース流のブリコラージュの執念に、気持ち良さを感じる。

 人を救ふことにこれほど熱心になれる国民は、やはり信教の自由を求めたピリグリムファーザーズの血筋なのだらう。この種の映画が量産されるのは、その血筋が騒ぐからだらうと感じる。

 危機に屈しない信念を内に秘めた人=必ず救済に来る仲間が外にゐる人。彼はきつと悲しい人である。

 

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