言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

久保征章『魂のみがきかた9つの道標』

2023年07月28日 21時03分00秒 | 評論・評伝
 
 高木書房の斎藤信二社長からご恵贈いただいた。
 私には不似合ひな書ではあるが、かういふ面もあるといふことは臆さず記しておかうと思ふ。
 著者は医師である。命を対象としてゐるうちに、身体的な生命と平行する別の生命があるといふことを感じたのであらう。魂とはさういふ意味である。そして、その魂の成長を見つめる人の身体的な生命は健康にも幸福にもなつていくといふことである。何となくさうだらうなと思つてゐたことを、いくつもの症例や体験を通じて、久保医師は感じたのである。
 魂を磨くといふことの例としては、筆者が推奨する神社へ行くこと。そしてその神社での祈り方が挙げられてゐる。これには大きな気づきを与へられた。
「参拝したら、拝殿の前で、無事に参拝できたことをの感謝を申し上げて、日々守られていることに感謝しましょう。」
 そして、日本と世界の平和と人類の救済を祈ることと続く。
 さらに、祈つてはいけないことも明示される。それは「わたしは、どうなってもかまいませんので、どうか、この子を助けてください」といふやうな自己犠牲的な祈りだと言ふ。神にとつて、命に差異はない。こちらを生かすためにこちらの命を犠牲にするといふことはないといふのだ。
 神は愛なり、とはキリスト教の言葉であるが、神道の神も同じであるといふことだらう。

 鬱々とした日々のなかで、勇気づけられる書であつた。
 
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