言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

片田珠美『プライドが高くて迷惑な人』を読む

2024年08月01日 17時33分58秒 | 評論・評伝
 
 どうしてこんな本を買つたのだらう。しかもこの暑い夏の昼間にどうして読んでゐるのだらう。そんなことを考へながら読んでしまつた。
 たぶん、さういふ人に出会ひ、困つてゐるからである。さう、私は困り果ててゐるのだ。
 できればさういふ人に出会はずに、かかはらずに、気持ちよく生きて行きたい。しかし、仕事も変はり立場も変はれば、彼らとの遭遇率は上昇していく。否応なしにである。電車が遅延したり、まずい食べ物屋に入つてしまつたりするのと同じである。家にじつとしてゐれば、さういふ「不幸」には遭遇することはないけれども、それでは生きていけない。現代社会とはさういふ社会なのである。いやいや人間とは「関係性」のなかに放り投げられてゐるのであるから、いつの時代もさうであつたのかもしれない。
 本書を読んで、少し慰められたり知恵を授けられたりした。

「ときには、いちゃもんをつけているようにしか見えないこともある。表面上は、『きちんとしなければならない』『正確にしなければならない』などと完璧主義を持ち出して、いい加減なことが許せないからこそ口うるさく言うのだというふうに装っているが、実は他人のあら探しをすることによって、自分のほうが優位に立ちたいのである。
 自分の優位性を誇示したいだけでなく、他人を操作して支配しないと気がすまない操作支配型の場合は、あなたがどれだけ努力しても満足しない、どれだけ頑張っても、ダメ出しをして、やり直しさせる。100%満点をめざして研鑽を積むように要求する。
 こういう対応は非常に厄介である。」

 かういふ場合にどうするか。
「言ふ通りにすると時間がなくなつて他の業務ができなくなるかもしれない」と言ふことだと言ふ。しかし、これだと相手をエスカレートさせることになりかねない。「残業してでもやれ」と。
 だから、何を言はれても聞き流す「スルースキル(鈍感力)を養へ」と書いてゐるが、これには拍子抜けしてしまつた。そんなことでいいのか。

 参考になつたのは、次のやうなこと。

「無理に説得しようなどという気は起こさず、真正面からぶつかるようなことはしないのが賢明だろう。とりあえず向こうの意見を聞いたうえで、『そんなふうにお考えになるのはどうしてなのですか?』『どういう根拠にもとづいているのですか?』などと尋ねてみてはどうだろうか。明確な理由も根拠もなく、単に個人的な経験や思い込みだけでものを言っている場合が少なくないからである。」

 これはやつてみようと思ふ。問題は、冷静でゐられるかどうかである。人生修行だな、と思ふ。
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